プロローグ.偽りの婚約なのに
シャンデリアの輝く大広間は、着飾った貴族たちで賑わっていた。
今夜は国王主催の晩餐会。国王夫妻にご挨拶を述べるため集まった貴族たちは列になり、お目通りを今か今かと待っている。
そのご挨拶の列とは反対側に、人だかりがもう一つ。
人だかりに入り込もうとぴょんぴょん飛び跳ねている桃色の髪はティアラ様のものだろう。
そわそわと様子を窺うわたしに、セシリー様が亜麻色の髪を揺らしてくすりと笑う。
「まさかオリヴィア様とアーサー様が婚約なさるなんて思ってもみませんでしたわ。どなたからのお話でしたの?」
「あの、えっと……」
セシリー様はロメイド公爵家の御令嬢で、アーサー様とも面識がある。だから下手なことを言えばアーサー様に伝わってしまうだろう。
そう考えたわたしは、セシリー様から隠したこぶしをぎゅっと握り、腹に力を込め、お答えした。
アーサー様に言われていたとおりの台詞を。
「アーサー様がわたしのことを好きすぎてどうしても結婚してくれって縋ってきたから婚約しました」
「……え?」
途端、セシリー様の笑顔が硬直した。
うん、当然の反応ですね。
口にこそ出さないものの、内心でものすごく困っていらっしゃるのがありありとわかる。
「ごめんなさい、もう一度よろしくて?」
「アーサー様がわたしのことを好きすぎてどうしても結婚してくれって縋ってきたから婚約しました」
「そうなのね……」
自分の聞き間違いではなかったことをたしかめたセシリー様は、わたしと同じように人だかりへ視線を向けた。
一瞬だけ途切れた人と人との隙間から、アーサー様が見えた。
アーサー様は、いつもの無表情さで、自分に集まる注目の視線を無視している。
癖のない銀髪に、わたしよりもきめ細やかに思える白い肌。蒼穹を思わせる瞳は鋭く、整った顔立ちは近寄りがたさすらある。
二十歳という若さで父からダリエル侯爵の位と宰相の座を受け継ぎ、かつ現在までの三年間を文句なしに務め、国王陛下からの信頼も厚い彼が、アーサー・ダリエル侯爵。
……わたしの、婚約者だ。
おそらくセシリー様と同じ質問を誰かがしたのだろう。
「オリヴィア嬢のことが好きすぎたからどうしても結婚してくれって縋って婚約してもらった」
凛としたアーサー様の声がセシリー様とわたしのところまで届いた。
アーサー様を取り囲んでいた紳士たちの表情が、好奇心でにやついた表情から、一気にぎこちないものになる。
「お、おう……そうか……」
「ほかに質問はないのか? どこが好きかとか、いつから好きかとか」
宮殿内で〝氷の宰相様〟の異名を獲得した、感情をいっさい出さない表情のまま、たたみかけるようにアーサー様が問う。
「おお……じゃあ、いつから好きなんだ……?」
「そうだな、あれは三年前。宰相に任命された俺は補佐を探していた。そこに現れたのがすでに宮殿で働いていた彼女だった。一目見た瞬間に俺は彼女のまっすぐな笑顔に心打たれ、補佐役を頼んだ。彼女は非常に優秀で頭の回転も速く、おまけに明るくいつも楽しそうで、俺は彼女に惹かれていく自分を止めることができなかったのだ……」
いたたまれなくなったわたしはよろよろと目につかない場所へ移動した。セシリー様も心配そうについてきてくださる。
「オリヴィア様のことを心から愛していらっしゃるのね」
セシリー様の精いっぱいの気遣いが申し訳ないやら恥ずかしいやらでわたしは答えられなかった。
アーサー様はすごい。
目的のためなら手段を問わない方だとは知っていたが、ここまで堂々と演じきってしまえるとは感服に値する。
だってこれは、愛のない偽りの婚約なのに。
***
どうしてこんなことになったのかといえば、それはひと月前にさかのぼる――。