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壺の中⑥


 うっすら微笑んだユリちゃんは再び、前の布団で眠る人物の白い布を見つめる。


「せっかく結婚したのにね……どうして先に、こんなに早く逝ってしまうのかな」


 ユリちゃんの両目から、つっと涙はこぼれ頬を伝った。


「……あの、石田君? は、どうして……その……」


 死んだの、と私ははっきり聞けなかった。


「行方不明になってたんだ、一か月くらい前から。その日の朝もいつもと変わらずスーツを着て、会社へ行ったものだとばかり思ってた。様子もおかしくなかったし、いつもの宏樹だったから。だけど、その日からずっと帰ってこなくて、警察に相談して、会社にも電話して……そしたら、宏樹……その会社に勤めてなかったの。そんな人は知らないって言われて……」


「はっ、えっ? 勤めてない……?」


 涙を流し続けるユリちゃんの視線は白い布から外れ、どこを見ているのかわからないほどに、うつろだった。


「そう。七年間、ずっとね。平日は毎日、朝七時半にスーツを着て家を出て、夜八時だったりに帰ってくるのよ。確かに、仕事の内容についてくわしく聞いたことはなかったけど、毎月、決まった日に、ちゃんと銀行の口座にはお給料が入っていたし……その会社に勤めているとばかり思ってた。宏樹は嘘をついていたのかな? 私、全然信じられなかったけど、警察も、勤めていないのは間違いなさそうだって」


「そんな……じゃあ、石田君は毎日どこへ行ってたんだろう?」


 毎月決まった日時に会社から給料が振り込まれていたのに、その会社に勤めていないとは……そんなことありえるのか。


 あるとすれば恐らくは、振込人の名義をその会社名に似せるようにして、石田君が自らの銀行口座に自ら毎月振り込んでいたということだろうけど、その給料は一体、どうやって用意したのか……


 それに、石田君は毎日、何をしていたのだろう。


「一か月、いなくなってさ。その後、どうなったと思う?」


「へっ……? ど、どうなったの?」


 また愚門だ。そんなの、私にわかるわけがない。


 握りしめたままだった、すっかり水滴も乾きぬるくなってしまった缶ジュースを、私は自分の前、布団との間に置いた。


 不意に目に入った、黒いスカートからのぞくユリちゃんのひざ頭は小さくて、ストッキングをはいているとはいえ、ツルツルと美しい。私の汚い膝は、ズボンをはいていてよかったと思う。


「そこの坂道をもっと上ったところに、私たちの通った小学校があるでしょう? その脇に大きくはなかったけど、竹藪があったのを覚えてる?」


「えっ? うん、竹藪はあったけど……」


 確かに、住宅街の坂をずっと上ったところに、母校である小学校はあったはずで、ユリちゃんのいう竹藪は校庭のすぐ横に茂っていたものだろう。


「その竹藪の中にね、宏樹の遺体があったの。それで……」


 ユリちゃんはまた白い布に焦点を合わせると、口をつぐんだ。


「それで? 遺体が見つかって?」


 ユリちゃんは変に黙るので、私はまた緊張する。すっかり濃くなって張りついたような唾をのみ込んだ。


「……その遺体なんだけど、いろいろおかしくて。警察が遺体を持っていってしまったものだから、一週間くらいかな。でも結局、死因がわからないというか、自殺なのか他殺なのかもはっきりしなくて」


「自殺か他殺か、わからない……」


 一体どんな死に方をしたのか。思わず、目の前に横たわる、たぶん石田君である人の白い布を、私も見つめる。


 この顔にかぶされた白い布の下、そして一枚めくった布団の中、彼はどんな姿をしているのだろう。生前と同じ姿形をした人間が横たわっているだけだと勝手に思っていたが、もしかしたら、想像とは全く違うものがそこにあるのかもしれない。


「実理ちゃん、せっかくだし、宏樹の顔を見てやって」


「へっ!?」


 全く読むことのできない変なタイミングで、ユリちゃんはすっと顔にかかる白い布をめくった。


 一瞬のことに、私は目をつむるどころか大きく見開く。


「はっ……あぁ……」


 私に吸い込まれた空気は瞬間、確実に止まったが、すぐに口から吐き出された。


「ね? 宏樹、綺麗な顔をしているでしょ? とても死んでいるなんて思えない」


 そこには、ただ眠っているだけのような、石田宏樹の顔があった。


「本当に……さっき会ったのと同じ……」


 間違いなく、先ほど自販機のところで会った彼と、同一人物だった。


 だが、こんなことを言っていいはずがない。


「さっき会ったのと同じ? どういうこと?」


 案の定、石田君に向けられていたユリちゃんの顔はこちらに向けられ、大きく見開かれたその目玉は今にも落っこちそうだ。


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