6
ずしん。
ずしん。
二度の地響きの後、洞穴は不気味に静まり返った。
その束の間の静寂に、ドライオは微かな望みをかけた。
それで終われ。寝返りであってくれ。
だが、虚しい祈りはすぐに儚く霧散した。
岩盤を激しく削るような耳障りな音が、断続的に聞こえ始めたのだ。
「ああ、くそ」
ドライオは舌打ちした。
そりゃそうだ。岩竜はそんなに甘い魔物じゃねえ。
貯め込んだ宝物が誰かに少しでも荒らされたら、絶対に許すようなやつじゃねえんだ。
けたたましい不快な音は、少しずつ大きくなってくる。
近付いてくる。
「来るぞ、岩竜が」
ドライオは戦斧を構えたまま、アデリナを振り返った。
「脱出だ」
「まだルークが見付かっていない」
アデリナは悲鳴のような声で答えた。
「何とかしろ」
「てめえのせいだろうが。できる事とできねえ事があるんだ、こっちだって」
そう吐き捨て、それでも戦士はその場に踏みとどまった。
「一つだけ教えろ」
ドライオはアデリナの顔を睨みつける。
「お前の探してた金の胸像、そいつは人なのか」
「人だ」
アデリナは頷く。先ほどまでの虚勢を張った姿ではない。もうそれは、強靭な肉体と精神を備えた戦士に全ての希望を託すしかない一人の世間知らずな女に過ぎなかった。
「ルークの上半身なんだ。ずっと探していた、ルークの」
「ルーク、ルークと。最初から俺にそう言っときゃ話が早いものを」
ドライオはそうぼやきかけて、限られた時間はもっと有意義に使うべきだと考え直す。
「探せ」
短く言うと、ドライオはざくざくと金貨を踏み荒らしながら宝の山を下りた。
「岩竜がここに着くまで、まだあと少し時間がある。死ぬ気で探せ」
それだけ言うと、ドライオは宝の山に背を向けて階段状の段差を駆け上がった。
数十段の段差を登りきったところ。そこが、この洞穴で一番広い場所だった。
ここだ。
ドライオはそう決めた。
ここで、岩竜を待ち伏せて、あわよくばやり過ごして位置を入れ替える。
岩竜は宝の心配をしている。まずは宝を確認したいはずだ。その隙に空気穴まで逃げることができれば、何とかなる。
頭の中で、大雑把な作戦を立てる。
もとより緻密な作戦を立てる頭など持ち合わせてはいないが、どうせ出たところ勝負なのだ。細かいことまで心配してもしょうがない。
歴戦の戦士の本能を総動員して、生き残る道を嗅ぎ分ける。
岩竜が来るまでにアデリナがここまで登ってくればいいが。
間に合わなけりゃ仕方ねえ。俺だって、そこまで面倒は見切れねえ。
ドライオは振り返った。
眼下の宝の山。壮観な眺めも、今では墓場に手向けられたはなむけのように見えた。
床に置かれたランプに照らされた金貨の山を、アデリナが必死の表情で崩している。
だが、まだ目当ての胸像は出てこないようだ。
洞穴の向こうから聞こえてくる掘削のような音が次第に大きくなる。
「ルーク!」
アデリナが叫びながら、金髪を振り乱して金貨をかき分ける。
「どこにいるの、ルーク!」
金貨がばらばらと床に飛び散った。
けたたましい音が洞穴中に響くが、もう今さらだ。岩竜には気付かれてしまっている。お行儀よくする理由はなかった。
「ああ、くそ!」
苛立ったアデリナが絶望した表情で金貨の山を蹴り散らす。
「おい、余計なやけを起こしてねえで最後まで」
諦めずに探せ、と叫ぼうとしたドライオの目が、金貨に埋もれた何かを捉えた。
段差の上、高いところから見下ろしたドライオの方が、俯瞰で財宝を見渡すことができた。
それが功を奏した。
細い、金色の何かが金貨の中から突き出している。
あれは、指だ。
「おい、アデリナ」
ドライオは叫んだ。
「その下だ。そこに埋まってるぞ」
そう言って、金の指の出ている場所を指差す。
「えっ」
アデリナが身も世もなく金貨の上に這いつくばった。
かき分けようとするが、どかされたそばから、金貨が崩れ落ちてきてかき分けられない。
「ああ、見ちゃいられねえ」
ドライオは舌打ちした。
戦士は果断だ。飛ぶように段差を駆け下りる。
「どけっ」
叫びながら、ドライオは勢いに任せて金貨の山を駆け上がった。
熊のように巨大な手で、一気に金貨を掻き崩す。
「ほら、これだ。よく見ろ、ルークか」
ドライオはアデリナを振り返る。
金貨の山から、こちらに差し出されるように黄金色の腕が突き出していた。
それを、ドライオが人間離れした剛力で強引に引っ張り出す。
耳をつんざくような金属音とともに、無数の金貨が床で跳ねた。
驚いたように目を見開いた美しい顔の青年の、均整の取れた上半身が、ランプの弱々しい光の中に浮かび上がった。
「ルーク!」
アデリナが悲鳴のような声を上げて、その胸像を掻き抱いた。
「これがルークに間違いねえんだな」
ドライオの言葉に、アデリナは胸像の胸に顔をうずめたままで何度も頷く。
「よし、それなら行くぞ。感動の再会は生きて帰ってからにしろ」
頷いてアデリナが胸像を持ち上げようとするが、とてもではないがアデリナの細腕で持ち上げられる重量ではなかった。
「まったく、どうして俺が」
そうぼやきながら、ドライオは軽々とその胸像を抱えると、背負い袋に入れて背負い上げる。
金貨を手あたり次第、服の至る所につっこみながら、ドライオは腕を振った。
「お前はランプを持て。もう岩竜が来るぞ」
ドライオを先頭に、二人は段差を駆け上がった。
段差を登りきったところで、ドライオが身振りでアデリナを壁際に下がらせるのと、巨大な岩の塊のような化け物が洞穴の奥から飛び出してくるのは同時だった。
巨大な一枚岩を竜の形にそのまま切り出したような、造型の神が手慰みに作ったかのような化け物だった。
削り取られた岩石を巻き上げながら、岩竜は微塵の躊躇もなく二人目がけて突進してきた。
岩竜は火を噴かない。その最大の攻撃は、突進だ。
単純な攻撃だが、その衝撃をまともに受ければ、どんな人間であれひとたまりもない。
それをぎりぎりまで引き付けて、ドライオは巨体に似合わぬ身軽さで体を躱した。
まさに紙一重。岩竜の背の鋭い突起が掠め、ドライオの胸から血が飛び散る。
だが、ドライオの判断は正しかった。
洞穴いっぱいに広がる岩竜の巨体は、ドライオが選定して待ち構えたこの場所以外では、躱すことなどできなかっただろう。
岩竜はそのまま速度を落としもせず、壁に突っ込んだ。
岩同士のぶつかり合う、耳をつんざくような衝撃音が洞穴中に響き渡る。
壁に大きな穴が穿たれた。それでも岩竜にとっては子猫が草むらで羽虫にじゃれつく程度のことだった。何事もなかったように自分に向き直る岩竜に、ドライオが何かを投げた。
それは、岩竜の鼻先をかすめて、段差を音を立てて転がり落ちていく。
ドライオの握り拳くらいもある岩竜の大きな目が、それを追った。
と、轟音が響いた。
岩竜が段差を下に向かって這い下りていく音だ。
「今だ!」
ドライオはアデリナに腕を振って、走り出した。
岩竜が追ったのは、岩竜の貯め込んだ宝の中でもひときわ大きな、碧色に輝く宝石だった。
宝を何よりも愛する習性を持つ岩竜は、転がり落ちていく宝石につられて段差を下りていく。
それは、千載一遇の好機だった。
ドライオのすぐ後をアデリナが続いた。アデリナの持つランプの灯が狂ったように揺れる。
二人は走りに走って、わずかな外の光の差し込む場所にたどり着いた。
空気穴。
そこに、ドライオの張ったロープがだらりと垂れ下がっていた。
「お前から上がれ」
ドライオは、ぜえぜえと息をついているアデリナの身体を両腕で抱え上げると、ロープに掴まらせる。
「おら、上がれ」
「お前は」
「聞こえるだろうが」
ドライオは叫んだ。
「もうひと勝負しなきゃ、逃げ切れねえ」
その言葉通り、再び激しい掘削音が迫っていた。
「行け」
ドライオは戦斧を振り回す。
「お前がつかえてたら、俺も登れねえ」