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朝日が昇る。
それだけで、世界が一変する。
太陽は平等だ。平和な街の路地にもこの危険極まりない岩竜の草原にも、等しく光を照らす。
闇の中を蠢いていた夜行性の魔物たちは、自分たちの時間が終わったことを悟ってまた光の届かない暗がりへと姿を消し、その代わりに、夜の間は身をひそめていた動物たちが活動を開始する。
朝の草原を、馬に乗った女と徒歩の男が進んでいた。
戦斧を担ぐ戦士ドライオと、美しい金髪をフードに押し込んだ美女アデリナだった。
エーベンベロイの襲撃を避けて闇の中を駆け続けた二人は、夜明け前に運良く合流を果たしていた。
「いい馬だ」
アデリナと顔を合わせてすぐに、ドライオはそう言った。
アデリナが闇の中でも方角を間違えることなく正しい方向に進み、それを追ってきたドライオと再会できたのは、紛れもなく彼女の乗ってきた黒馬の功績だった。
「その馬のおかげで、方角は間違ってねえ」
自分の背後、既に遥か小さくなった鷹岩を振り返り、ドライオは言った。
「結果的に出発が早くなっただけだ。これなら今日の昼には岩竜の洞穴にたどり着く」
「空気穴は、その少し先だ」
アデリナは馬上からドライオの逞しい肩を見下ろす。
「勘違いするな。洞穴が目的地ではないからな」
「分かってるよ、そんなことは」
ドライオは吐き捨てる。
「でけえ目印には違いねえだろうが」
そのまま、ドライオは足を速める。
深夜から休まず歩き続けているというのに、この戦士の無尽蔵のような体力はまるで衰えを見せなかった。
結局最後に生死を分かつのは、人としての体力、生命力であることをドライオは知っていた。
そしてドライオのそれは、鍛え抜かれている。
「早く着くに越したことはねえだろう」
ドライオは言った。
「魔物が動き出す前に行くぞ」
草原に、岩場が目立ち始めた。
ドライオたちの足もとにもごつごつとした岩が露出するようになり、風景が明らかに変わり始める。
時折、岩場の陰にちらりちらりと不穏な影が蠢いたが、それらが実際に姿を現して襲ってくることはなかった。
「必要以上に気にするな」
神経質にそちらを窺うアデリナに、ドライオはぶっきらぼうに声をかける。
「どいつも襲ってくるほどの力もねえ魔物だ。もっと強い魔物に俺たちが殺されたときに、そのご相伴にあずかろうとしてるだけだ」
「あさましいな」
アデリナがあからさまに嫌悪感をその顔に滲ませる。
「なんだ、知らなかったのか」
ドライオは鼻を鳴らした。
「生きるってのはあさましいことなんだよ」
岩場をずいぶんと歩いた頃。
ひときわ高く張り出した岩場の壁面に、それはあった。
岩竜の洞穴。
黒々と口を開けた洞穴の入り口は、まるで地上から遥か深く、地の底の冥府への入り口のように見えた。
事実、あの穴の中には無数の戦士たちの骸が今も眠っている。
洞穴を抜ける風が笛のような音を立て、アデリナが顔をしかめた。
洞穴から一定の距離を保ったまま、ドライオたちは歩を進める。
「あの奥に、岩竜が眠ってる」
ドライオは言った。
「剣も槍も通さねえ、本当に岩からそのまま切り出されたみてえな化け物だ」
そう言って口元に笑みを浮かべ、アデリナを見る。
「な。正面から入るんだったら戦士が何人いても足りねえ気がするだろう」
「空気穴の方から入れば、大丈夫だ」
アデリナは答えた。
「そこから入れば、岩竜と戦う必要はない」
だがその声には、そう信じたいというような切実な響きが混じっていた。
「そうすれば安全に胸像を手に入れられる」
「おい」
ドライオは険しい声を上げる。
「分かってるんだ、そんなことは」
胸の中に、急に黒雲のように嫌な予感が頭をもたげていた。
「そうじゃなきゃ、たった二人でなんか来るかよ」
ドライオはそう言って、馬上のアデリナを睨む。
「大丈夫なんだろうな。いまさらそんな自信のねえ声出すんじゃねえ」
「大丈夫に決まっているだろう」
アデリナは答えたが、その表情を見てドライオは小さく舌打ちした。
洞穴を目にしてから、アデリナはまるで急に何歳も幼くなってしまったように見えた。
あどけない少女が不安をこらえるような表情で洞穴から目を逸らし、自分たちの進む先を見据えている。
びびりやがったのか。この期に及んで。
苛立ちとともにそう考えたドライオは、アデリナのきつく結んだ唇が小さく震えているのを見て、考えを改めた。
いや。そうじゃねえな。
ドライオはアデリナを無遠慮に一瞥した。
どうしても欲しいと言っていた、その金の胸像とやらか。
それがこの女をこんな表情にさせるのか。
不機嫌な顔でドライオは前に向き直る。
強い執着心。
それが、悪い方向に出なきゃいいがな。
洞穴の入り口を過ぎて、なおもしばらく歩いたところでぶつかった岩場で、アデリナが馬を下りた。
四方をぐるりと見回し、洞穴の入り口のあった岩場の位置やその先に霞んで見える丘の位置を念入りに確かめる。
「ここで間違いない」
ようやく、アデリナは言った。
「この岩場の上に、空気穴がある」
「よし」
ドライオは頷いて馬から荷物を下ろすと、近くの低木に馬の引き縄を括りつけようとするアデリナを止めた。
「自由にさせてやれ。縛られてたら、魔物に襲われても逃げられやしねえじゃねえか」
「だが、馬がもし逃げていなくなっていたら、帰りはどうする」
「ここまで連れてきてもらえただけでも、馬に感謝しな」
ドライオは冷たく言い放った。
「いなくなってたら、歩いて帰るまでだ。運が良きゃここでまた会えるだろうぜ」
アデリナは馬を見つめてしばらく逡巡していたが、やがて覚悟を決めたように岩場に足を掛けた。
「私が先に登るぞ」
「いいよ、好きにしな」
ドライオは答える。
「落っこちてきたら、優しく受け止めてやるよ」