3
鷹岩の陰はドライオの言った通り、周りからは見えにくくこちらから周囲は見やすいという、魔物の襲撃を警戒しながら身を休めるのにちょうどいい場所だった。
ここを拠点にしたのであろうかつての旅人や戦士たちの、いくつもの焚火の跡がまだ残っていた。
そのうちの一つの傍らに置かれた石に腰かけ、ドライオは手早く火を起こし始める。
「さっさと飯を食って休むぞ」
ドライオは、鷹岩に手をついて遠くを見ているアデリナに声をかけた。
「明日も朝から早いんだろ」
「ああ」
アデリナは生返事をよこして、それでもまだ遠くを見ていた。
日は沈み、もう視界はほとんどない。
「何か見えるのか」
ドライオがそう言って近づくと、アデリナは首を振る。
「いや」
ドライオはアデリナと同じように草原に目を向け、それから確かめるように言った。
「岩竜の洞穴はまだ見えねえな」
「昼間でもだめか」
「だめだろうな」
ドライオは肩をすくめる。
「よっぽど目のいい奴なら別かもしれねえが」
「そうか」
それだけ答えて、相変わらず草原の彼方を見つめているアデリナを、ドライオはちらりと見た。
「お前の欲しがってる金の胸像ってのが、その洞穴にあるのは間違いねえのか」
「ああ」
アデリナは頷く。
「間違いない」
「どうやって、それを知ったんだ」
「なに?」
アデリナがドライオを見た。ドライオはその険しい目を見返す。
「どうして、岩竜のねぐらの奥にそれがあると知ったんだ。岩竜以外に知る者もいねえような話を」
「それはお前に話すことではない」
アデリナはそう言うと、また草原に目を戻した。
「お前は私を岩竜のねぐらの空気穴まで護衛すれば、それでいいんだ。胸像以外の物は皆お前にやると言ったはずだ」
ドライオはその横顔をじっと見つめた後で、肩をすくめて、へいへい、と気の抜けた返事を返した。
「そんなに熱心に見ても仕方ねえぜ。人間は夜目がきかねえからな」
最後にもう一度、真っ暗な草原に目を向けた後、ドライオはそう言いながら焚火の脇に戻る。
「夜は、寝るしかねえ」
「そうだな」
アデリナはようやく鷹岩から手を離し、焚火に近付いた。
「夜の見張りはお前がしてくれるんだろう?」
アデリナがそう言いながら、フードを下ろす。
こぼれ出た艶やかな金髪が、焚火の炎に照らされた。
「私は疲れた。眠るからな」
「勘違いするなよ、俺だって不寝番なんてしねえぞ」
ドライオは鼻を鳴らす。
「明日、仕事にならねえからな」
「それならどうするんだ」
アデリナはさして困った風でもなく尋ねる。
「魔物が襲ってきても気付かないのでは、まずいんじゃないのか」
「あんたも交替で見張りをやれ」
ドライオはアデリナを睨む。
「……と言っても、やるつもりはねえだろうな」
ドライオの言葉に、アデリナは肩をすくめる。
「何のためにお前を雇ったと」
「人間ってのは寝なきゃいけねえ生き物なんだよ」
ドライオは言った。
「金をたくさん積まれたら、寝なくて済むんだったら苦労しねえ」
「そんなことは分かっている」
アデリナはドライオの顔を見ようともせず、焚火を見つめながら言った。
「だから、それならどうするんだ、と言ってるんだ」
「どうもしねえ」
ドライオが答えると、アデリナは眉をひそめて、もの問いたげにちらりとその顔を見た。
ドライオは付け加える。
「心配するな。ここなら、魔物が上ってくる道は限られてる。寝てたって気配で気付くよ」
一人で危険な旅をしているとき、戦士たちは決して熟睡をしない。
ぐっすりと眠っているように見えても、何か気配がすれば直ちに飛び起きる。
それは、一人旅で生き延びるための必須技能だった。
アデリナは納得した顔をしていなかったが、それ以上何も言わず、簡素な食事を済ませると、自分の言葉通りさっさと横になった。
ドライオは焚火の脇に座り、しばらく周囲の音に耳を澄ませ、それから自分もごろりと横になった。
アデリナは、まるで獣のような荒い息遣いが聞こえてきて目を覚ました。
闇の中で、アデリナの傍らにドライオが立っていた。
はあはあと息をついている。
顎から汗がぽたりと垂れて、地面に落ちた。
「なんだ」
アデリナは上半身を起こして、不機嫌に言った。
「夜這いのつもりか」
「寝惚けてんじゃねえ」
ドライオは吐き捨てた。
「ここを離れるぞ」
「なに」
アデリナは闇の中で目を見張る。
「なぜだ」
「見ろ」
ドライオが自分の握る戦斧をアデリナに突き出した。その刃が、べっとりと汚れていた。
こびり付いているのは、何かの肉片か。
「エーベンベロイが出た」
ドライオは言った。
「なに?」
アデリナは眉をひそめる。
「何が出ただと?」
「エーベンベロイだよ。まさか知らねえのか」
ドライオは苛立ったように舌打ちした。
「忍び寄ってきた二匹は仕留めた。だが、エーベンベロイは一匹見たら三十匹はいると思えってのは常識だ。ここにいたんじゃ吞み込まれる」
「鷹岩は安全だとは、お前が言ったのではなかったか」
「だからこんなに眠れただろうが」
ドライオは吐き捨てた。
「他の場所なら一睡だってできやしなかった。そんなことより急げ」
そう言って、周囲を見まわす。
「連中が来るぞ。それでもここで寝ててえなら、好きにしろ。俺は行く」
「ああ、くそ」
アデリナは起きると、自分の馬の方へと走った。
「どこへ行くか、考えているのか」
「エーベンベロイのいねえところだ」
ドライオは答えた。
「それが目的地の方角だったら、なおいいな」
ざわざわと葉擦れのような音が聞こえてきた。だが、ここにはそんな多くの葉を茂らせた木などない。
アデリナの目にも、草原の地面が闇の中で波打っているように見えた。
だが、それは地面が動いているわけではない。何か無数のものが這い寄ってきているのだ。
「ほら、来たぞ」
ドライオはすでに駆け出していた。
「急げ。馬に乗れ」
アデリナは馬に乗ると、ドライオの背中を追う。
「どっちへ行くんだ」
「この方角に馬を走らせろ」
ドライオは闇の中の一角を指差した。
「行け。俺は後から追いつく」