1
冷たい風が草原を吹き抜けた。
丈の低い草が一斉に、ざあっと音を立てる。
その拍子に、馬上の女のフードが脱げ、美しい金色の長髪がこぼれ出た。
「ああ、くそ」
美しい顔とは裏腹の品のない悪態をつき、女がフードに手を伸ばす。
「フードが」
「ここには遮るものがねえから、風が強いんだ」
女の乗馬の差し縄を引く旅の戦士ドライオは、神経質に髪をフードの中にしまい込む女にそう声をかけた。
「周りには誰もいねえ。もうフードは下ろしてもいいんじゃねえか」
だが女は答えず、逆にフードをしっかりとかぶり直した。
やれやれ。
内心ため息をつきながら、ドライオは馬を引いた。
ドライオがこのアデリナという女と出会ったのはこの地方の中心都市の、戦士たちが集まる大きな宿だった。
「この中に、財宝に興味がある者はいるか」
宿と併設の酒場で酒を飲んでいた荒くれ者たちの中に、場違いな凛とした声が響いた。
大柄な男たちが酒に赤らんだ顔を上げ、フードを目深にかぶった女を目にして、へっ、と笑う。
「むしろ財宝に興味のねえやつがいるのか」
男たちの中の一人がそう言って笑う。
「どこの偉い王様だって大富豪だって、財宝にゃ目がねえだろうぜ」
女はにこりともしなかった。
「ならば、私に雇われて、危険を冒してでも財宝を手にしようという勇気のある者はいるか」
その言葉に、酒場の空気が変わる。
女の言葉が妙な具体性を持っていたからだ。
「そりゃあ、危険の中身にもよるだろうな」
顔のいたるところに古傷のある一番年長の戦士がそう言った。
「生きて帰れなきゃ山積みの金貨だって使い道がねえ」
皆、それなりに場数を踏んだ戦士たちだ。年長の戦士の言葉に頷き、値踏みするように女を見た。
「岩竜の草原だ」
女は言った。
「そこに、財宝がある。場所も分かっている」
そう言って、ぐるりと酒場を見まわす。
だが、戦士たちの間にはたちまち白けた空気が流れた。
「岩竜が財宝を貯め込んでることなんざ、ここにいる全員が知ってる」
細面の長髪の戦士がそっけなく言った。
「お前に教えてもらうまでもない。命より金が欲しけりゃ誰だって獲りに行くさ」
「そのとおり」
別の戦士が頷く。
「あそこでいったい今までに何人の戦士が死んだのか、女、お前は知らねえだろうな」
「あれは十五年前のことだ」
突然、赤ら顔の巨漢が声を張り上げた。
「俺は岩竜の草原に財宝を探しに行った。ヴァイザとスィーコの二人も一緒だった。あいつらは本当にいい奴らだった。俺たちは最高のチームだった……」
「また始まったぜ、ディバーテの昔話が」
常連の一人が大口を開けて笑う。
「その話は何度も聞いたぞ。財宝を見付けたヴァイザが、岩竜にひとのみにされちまうんだろ」
「違うぜ。ひとのみにされるのはスィーコだ」
別の常連が言う。
「ヴァイザは岩竜に頭から踏み潰されるんだ」
「俺が聞いたときは、ヴァイザはスィーコが岩竜に食われるのを見て発狂しちまったって言ってたぜ」
「いや、スィーコはまだ生きてるんだ。でもすっかり人が変わって、戦士なんかやめちまったんだ」
口々に喚く戦士たちに、女は鼻白んだように顔をしかめる。
「ヴァイザ。スィーコ」
赤ら顔のディバーテが悲痛な表情でそう叫んで、熊のような泣き声を上げ始めると、周りの戦士たちはげらげらと笑い転げた。
「これを聞かねえと、ここに来た気がしねえ」
「昨日は馴染みの娼婦のことで泣いてたぞ」
「誰のことだっていいんだよ、ディバーテは」
「そうそう。自分が泣きてえだけなんだから」
もう誰も女のことなど気にもしていなかった。
「分かっただろう」
年長の戦士が静かに言った。
「そんなやり方で戦士を雇おうとしても、無駄だ。俺たちは命を張ってる。生き残るためには何が大事かを知ってる」
女はその言葉に答えず、踵を返した。
大股で出口に向かう女を、野太い声が呼び止めた。
「待ちな」
声の主の巨漢の戦士を見て、年長の戦士が顔をしかめる。
「ドライオ、お前の悪い癖だぞ」
「いいじゃねえか、グリム」
ドライオはゆらりと立ち上がった。
「誰も受けねえなら、俺が受ける。それだけのことだろ」
そう言うと、女に向かって顎をしゃくる。
「詳しい話を聞かせろ」
戦士の寄り付きそうもない静かで高そうな店で、アデリナと名乗った女が説明したのは、やはり岩竜の貯め込んだ財宝の話だった。
「岩竜の洞穴の中に、財宝がある。私が欲しいのは、その中の金の胸像だけだ。他の財宝はくれてやる」
「よっぽどの値打ちもんなのか、その胸像が」
ドライオが目を光らせると、アデリナは顎だけで頷く。
「不服か」
「いや」
ドライオは首を振った。
「俺はそんなところまで欲張らねえ。ましてや、お前が持ってきた話だ。取り分はお前が決めりゃいい。それで納得すれば受けるし、納得いかなけりゃ受けねえ。それだけのことだ」
だが、とドライオは酒で口を湿らせて続ける。
「岩竜一匹仕留めるのに、戦士が何人必要なのか知ってるか」
アデリナは無言でドライオを見返した。
「五人じゃとてもきかねえ」
ドライオは言った。
「十人揃えて、やっと一人生き残れるかどうかだ。だから、誰もやりたがらねえんだ。最後の一人になれるって保証はねえからな」
「岩竜と戦う必要はない」
アデリナは言った。それから、一瞬周囲を気にする素振りをした後で、声を潜める。
「私の見付けたのは、岩竜の巣の空気穴だ」
「なに」
ドライオは目を見張った。
岩竜は暗い洞穴に棲み、財宝をそこに貯め込む性質がある。
名前の通りの岩のように固い鱗と巨躯を持ち、財宝を狙う者に対する狂暴性は数ある魔物の中でも群を抜いている。狭い場所で戦わなければいけない不利と相まって、手練れの戦士たちが徒党を組んでも退治するのは至難の業だった。
だが、アデリナは岩竜の棲む洞穴の空気穴を見付けたのだという。
そこから潜れば、岩竜のねぐらよりも奥まった場所に出るので、岩竜に気付かれる前に財宝をしこたま手に入れて脱出することができるのだと。
「それが本当なら、またとねえ話だが」
ドライオは腕を組む。
「それなら別に戦士を雇う必要もねえ。自分だけでもぐりゃいいじゃねえか」
「岩竜の草原には他の魔物も蠢いているだろう」
アデリナは言った。
「だから、目的の場所まで私を無事に届けてほしい」
「ふうん」
ドライオはもう一度、アデリナを見た。
先ほどの酒場では目深にかぶっていたフードをもう下ろしている。美しい金髪の持ち主だった。
こんな店を知っているあたり、それなりに裕福な女だ。
ドライオは考える。
戦士の雇い方を知らない程度には世間知らずだ。あんな酒場であんな呼びかけ方をすれば、誰もまともに取り合ってはくれない。
「あんたくらい裕福でも、財宝が欲しいんだな」
ドライオの言葉に、アデリナは一瞬険のある目をした。だが、すぐにそれを隠すように頷く。
「悪いか」
「悪いなんて言ってねえよ」
ドライオは酒を一口飲んだ。滅多に口にすることのない高い酒だった。
「いいぜ」
ドライオは言った。
「受ける」