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第8話 「B級探索者 ヴィゴ」

プルゼニア王国 カレドニク公都ドルッセン

B級冒険者 ヴィゴ


 B級探索者、ヴィゴ。22歳。彼女はいない。・・・彼女の有無がそんなに重要なのか、という突っ込みがあることは重々承知している。

 しかし、これは割と重要なのだ。読み進めていただければ分かるだろう。きっと・・・。


 さて、このヴィゴは割と中性的な顔立ちをしている。男顔とも女顔とも言えない、どちらにでもなれそうな顔。そして、顔は整っているが、妙に印象に残らない顔だった。


 この国には珍しくもないブラウンの髪に碧眼、多少日に焼けてはいるが基本は色白の肌。180ptsux、78jrgrn。細身である。


 ついに長さの単位と重さの単位が記号になってしまった。このptsuxとは、ペトロサクスと読む。そして、jrgrnはジロゴルンと読む。

 どこかの異世界の国では、センチメートルなどと呼ばれるのがペトロサクス、キログラムなどと呼ばれるのがジロゴルンである。奇しくもほぼ同じ単位量である。


 ヴィゴとは何の関係も無いが、あえて、ここでこの国の長さ、重さの単位の話をしよう。この国・・・だけではなく、近隣の3か国、ビナグラード王国、ラントゼリア王国、バルセーヌ王国を含めた4か国で使用されているのが、このサクサン度量衡である。


 プルゼニアで長らく物体の原理や数学についての研究にいそしんでいた第4代サクサン伯爵が、長年の研究の結果として世の中には共通の長さ、重さの単位が決まっていた方が良い、として策定したのが元である。


 サクサン伯爵、名はジローといい真面目一徹の変わり者として有名な人であった。国家が使用する度量衡であるから、サクサン伯爵の研究を王家がパトロンとなって陰に日向に支えていたのは周知の事実である。


 伯爵ともなれば、それなりの高位貴族であり、何かの研究に打ち込むよりは領地経営に注力する、王宮政治に関わって権力をふるう・・・のが一般的なところを、国王に直訴してまで度量衡の大切さを説いたと言うのだから、たしかに異色の人物ではある。


 このサクサン度量衡の制定によって、近隣の3か国もこれに合わせたという事実は、なかなかにプルゼニア国民の自尊心をくすぐる出来事であった。

 自分たちよりも国力の高い3か国が・・・うちの国で考えた単位を使っている、どやぁ。当の3か国からすれば、「便利だから取り入れただけ」だったのだが・・・。


 さて、このサクサン度量衡、長さの基本単位はサクス、重さの基本単位はゴルン、である。


 サクスを100分割した長さがペトロサクス[ptsux]、1000分割した長さがミニョサクス[mnsux]、1000倍した長さがジロサクス[jrsux]となる。


 ゴルンは1000分割した重さがミニョゴルン[mngrn]、1000倍した重さがジロゴルン[jrgrn]、ジロゴルンをさらに1000倍した重さがデルン[drn]となっている。

 どこかの異世界の国では・・・え?もうよい、早く先に進め?・・・承知した。


 だいぶ話が逸れたが、ヴィゴに話を戻そう。


 さて、ヴィゴはレオのパーティの中で唯一の探索者である。ギルドがそもそも冒険・探索者ギルドという正式名称なのだから、もう少し大切に扱われてもいいようなものだが・・・世の常で、大抵の場合は「冒険者ギルド」で済まされてしまう。ちょっと不憫な存在である。


 そもそも探索者とはいかなる存在なのか。これについて語らねばなるまい。探索者とは・・・大きく言えば、敵を見つける斥候の役目を持つ者、となる。

 これは相手が盗賊であろうが、魔獣であろうが役割に変わりはない。相手が何であれ、先に敵を見つけた者が有利なのは戦いの基本である。


 なぜ冒険者とは分けて考えられているか、と言えば・・・

 探索者の能力は、為政者にとっても無くてはならないものであって、一般の冒険者・・・言ってしまえばそこらの馬の骨と一緒に行動してポンポン死なれるには割に合わないからだ。


 冒険者は誰でもなれる。生き残れるかは別として。

 しかし、探索者は誰もがなれる訳ではない。それなりの経験なりスキルなりが必要になる。もともと探索者の素質を持っていて、最初からギルドの審査に通り探索者になるものもいるが、大抵は冒険者からの職の転向だ。


 気配を探る、自らの気配を遮断する、あるいは魔法でその補助ができる、魔法で敵を探ることができる、けれども冒険者としてやっていくには攻撃力に少し不安がある、そういう人間が探索者としてスカウトされる。


 もちろん、通常の冒険者にも探索者のような能力は必要だし、「生き残る」ということを考えれば1パーティに1人はいてほしい存在だ。


 だが、為政者にとっては、一般の冒険者パーティの中にそういう能力を持つ人間がいるのは「もったいない」と映る。既に居ることが分かっている魔獣ども、盗賊どもには適当な冒険者を向かわせればよい。


 そんなことより、どこにどんな魔獣がいて、どんな増え方をして、どの程度の実力と目されるのか、そういった「情報」を的確に集めてきてくれることの方がありがたい。

 それが正しい情報であればあるほど、適切な人間を派遣すれば安全が守られるのだから。


 ゆえに、探索者は冒険者と分けて考えられている。そして、探索者は粘り強く、そして慎重に、正しい情報が得られるまで辛抱のできる人間が求められる。


 我が強くて、剣を振り回して魔法をぶっぱなし、魔獣を討伐するだけで喜んでるような単細胞には務まらない仕事なのだ。


 そして、そういった職業の性質上、思慮深くなければならず、腕利きになるまでに掛かる時間が長くなる傾向にある。ヴィゴが22歳で探索者のB級であるということは、ドルッセンでもなかなかに珍しい有望株、ということだ。


 ドルッセンでヴィゴの次に若いB級探索者は27歳であることを考えれば、一部で天才肌とまで言われる理由もうなずけよう。



 ところで、ヴィゴという男、実はプルゼニアの人間ではない。プルゼニアで生まれ育ってはいるが、プルゼニアの人間ではない。


 ここプルゼニアの北部領境は隣国ビナグラードと接している。とはいっても、この国の北部は東西に長いため北部領境全体のうち西側の3割程度、といったところではあるが。


 ビナグラード王国はプルゼニアとはさほど仲が良いとは言えない間柄だ。

 さらに言うと、ビナグラードから海を挟んで西にはバルセーヌ王国という国があり、そこもまたプルゼニアとの仲が良好とは言えない。


 唯一この国、プルゼニアとの友好的な関係にはあるのはバルセーヌ王国から見て南、プルゼニアから見ると海を挟んでしばらく西へ行ったところにあるラントゼリア王国だけだ。


 いずれ、この世界における国々について語ることもあろうが、今はビナグラードの、いや、ヴィゴの話である。


 端的に言えば、ヴィゴはビナグラードの諜報員の息子だった。プルゼニアとビナグラード、どちらかと言えばビナグラードは軍を重んじるお国柄。


 大雑把にまとめると「商業重視」のプルゼニアとはかなり毛色の違う国だ。そして、それゆえにビナグラードは税が重めで、プルゼニアと比較すると経済の発展の度合いが低い。


 プルゼニアは税はさほど重くなく、商業、工業というよりは職人、工房といった程度のものだが、ざっくりまとめれば産業の基盤がビナグラードよりも整っている。とはいえ、総合的な国力という観点では、プルゼニアよりもビナグラードの方が勝っていた。


 だからこそ、ビナグラードはプルゼニアを狙っていた。豊かな国であるプルゼニアを手中に収め、国力を一気に増強すべし、そういう思いを持っていた。そして、それを実現するための手段として、プルゼニア内部に諜報員を送り込んでいた。


 むろん、全てが上手くいくわけではない。

 露見して一家諸共処刑された諜報員だっている。一切公にはなっていないが。だが、それでも着々と手を打ってはプルゼニアに食い込むための手がかりを構築しつつあった。


 ヴィゴの両親はプルゼニア、ビナグラードの領境に近い街・ヌイアンで商売人として小さな店を構えていた。先代から店を譲り受けた長男夫婦、そんな体裁で。実際には、その地に基盤を作っていた先代の諜報員夫婦から引き継いだだけだ。


 老いを感じたから、もう少し温かい土地でのんびりと暮らしたい。そう周囲を欺いてプルゼニアの西の公都・ブリエールまで足を延ばし、そこから船でバルセーヌへ、そして最後にビナグラードへ、先代夫婦はそのように道筋をたどって帰国した。

 もはや十分にご奉公はした、これからはゆっくりと余生を過ごすことが出来る。


 はずだった。


 老夫婦は、ビナグラードの高官の不興をかってザレチエ海に浮くことになった。


 ビナグラードの諜報部の大物で、王族に連なる御方が言ったのだそうだ。

「我らに休む暇などない。この国を大きくすべき時、より羽ばたかせるべき時に何を言っているのだ?」

・・・老夫婦の長年の功績に見合った勲章でも授与してもらえないか、老夫婦の直属上司の上司にあたる人物がそう頼んだ際に帰ってきた言葉だった。


「その諜報員はどこにいる?」

「今は国内におりますが・・・」

「敵前逃亡である」

「・・・っ!?な、なにとぞ・・・ご寛恕を・・・」

「敵前逃亡をしたものを庇うのか?」

「い、いえ・・・」


 翌日の朝、長年の忠節への報いを期待していた老夫婦は、訳も分からぬままに気絶させられそのまま後ろ手に縛られザレチエ海に放り捨てられることになった。ザレチエ海とはビナグラードとバルセーヌの間を隔てる海のことである。


 この話が回りまわってヴィゴの両親の元へ届くまでには1年ほどの時間が掛かった。そして、それ以降、ヴィゴの両親は商売人としての仮面をつけている時以外は、鬼気迫る表情でヴィゴを鍛え上げるようになった。ヴィゴ4歳の時に起きた変化だった。


 ヴィゴが両親から学んだことは色々とある。剣術、双剣術、体術、暗器術・・・一通りの武の技術は叩き込まれた。ビナグラードの諜報員にだけ伝わるような秘技も教えてもらった。相手を殺す気でなければ見せるな、という条件付きで。


 それ以外にも多くのスキル、魔法を叩き込まれた。

 気配察知、気配遮断、看破、闇魔法、風魔法・・・今、表に出しているのはこれだけだ。


 他に、偽装、情報収集、観察、暗殺、探知魔法、精神魔法、抽出魔法についても学び、人並み以上には使えるようになっている。表に出しているスキル、魔法だけでもB級探索者になるには不自由しなかった。


 が、隠している技能についても、人目に付かないように鍛えてはいる。

「技能というものは、どれだけ鍛えておいても損はない」

両親の口癖だった。


 表立ってはヴィゴの両親は死んだことになっている。

 商売人をしていた両親が死んだから、店をたたんで遺産を元手に食いつないだ。せっかくなので自分の好きな道を歩もうと冒険者ギルドに来たが、活動するうちに探索者の方が向いていることに気付いたので転向した。


 転向した後は、この仕事の奥深さにはまって没頭していたものだから気付いたらB級になっていた。こんなストーリーをどれだけ語ったことだろう。


 もちろん、両親は死んではいない。あの国境に近い街で、今でもつつましく商売人として働いている。

 だが、両親の元を訪ねることは禁じられているし、一応、連絡を取る方法は無くはないが滅多なことでは連絡を取ってくるなと言われている。


 両親は、愛情深い親だった。諜報員という仕事を生業にしているとは思えないほどに。その両親がそこまで言うからには、何かしらの事情があるのだろう。

 ヴィゴは「祖父母」たちの最期については聞かされていない。が、両親がビナグラードの諜報員であることについてだけは15の歳に知らされた。


 そして、死ぬまでここに居続けるしかないのだ、ということも。

「後を継ぐことは考えるな。お前はお前の人生を生きろ。国に人生の全てを絡め取られるなど・・・」

そう語った時の父、母の顔は悲しみと憂い、怒りに彩られていた。


 両親からは大銀貨30枚を餞別に渡された。それほど蓄えがある訳でもない小さい商店でこれほどの大金を受け取る訳には・・・、そう断ろうとしたが、父は頑として譲らなかった。


 そして、同時に渡された一対のダガー。名工の手になる逸品とまでは言わないが、数打ちのなまくらとは訳が違う質の良いダガーだった。ヴィゴが最も得意とするのは双剣術であることを見抜いての贈り物だった。


 持っていけ、これからは生きていても「互いに」死んだものとして暮らしていくのだから、と。


 そこまで言われて、もはやヴィゴに選べる道はなかった。

 ビナグラードには忠誠心の欠片もない。これまで育ってきたプルゼニアにも思うところはない。

 ただ、もし両親を助けられる機会があるのなら、プルゼニアの利に反することであろうと躊躇うことなく実行するだろう、それが両親にできる唯一の恩返しだ、と思い定めた。



 その後、ヴィゴは西の公都・ブリエールで冒険者になった。

 ヴィゴ、という偽りの名前で。本当の名前、両親からもらった名前はエルヴェという。


 もともと諜報員であるから探索者としての能力は十二分に持っているのだが・・・あえて、冒険者から始めた。商売人の息子がいきなり探索者として周りを圧倒するスキルを持っていては怪しまれるからだ。


 冒険者になり、欠伸が出るほど弱い冒険者パーティの中で、足が速いこと、気配を捉えるのが上手いことを理由に斥候として活躍し、丸2年が経ったとき、探索者への転向を果たした。


 元のパーティとは、徐々に実力がかけ離れていく様を装った。探索者へ転向すれば、自分たちのパーティでその斥候としての能力を独占できなくなるが、そもそも領主たちにとっては探索者の方が需要が高いわけで、メンバーは了承するほかなかった。


 その後、しばらくは探索者としての活動をブリエールで行っていたが、思わぬ事情からブリエールには住みにくくなってしまう。主に、心情の面から。



 ある日、ブリエールのギルドから出たヴィゴは、「じゃあまたな、ヴィゴ」とたまたま一緒に仕事をした冒険者たちに呼ばれているところを、とある人物に目撃されてしまう。


「あら、エルヴェじゃない」

とっさに驚愕の表情を浮かべかけてしまった。


 その人物の名はセシール、ヴィゴが・・・エルヴェが育った街・ヌイアンで最も大きな商会の次女だった。ヌイアンは国境に近いだけあって、様々な商人、行商人が行きかう割とにぎやかな街だが、さほど大きな街ではない。人口は2000人を超えるかどうかといったところ。


 ゆえにそこで商売をしている人間は自然と顔馴染みになる。セシールとももちろん顔馴染みだし、何度も話したことがある。そして今、両親は自分のことを死んだと言っているはずで、自分も両親が死んだと言っている。


 まずかった。非常にまずかった。何でこんなところに1人で・・・いや、1人の訳がないではないか。こんなお嬢が1人でこんな街に来るわけがない。必ず付き添いがいるはず・・・


 頭が高速回転するが、この場を乗り切るうまい方法までは思いつけなかった。

「あぁ、セシールか。久しぶりだな」

「・・・ふーん、ヴィゴ、か。何で偽名を名乗ってんのよ?」

「色々とあってな・・・」

「そう・・・。で、なんであなたの両親、あなたが死んだことにしてるわけ?あなたには厳しく接していたのは知ってるけど、愛情がないわけじゃなかったでしょうに・・・」

「それも含めて色々とあったんだよ」

「まぁ、いいわ・・・。ちょっと付き合いなさいよ」

「いや・・・これから約束が・・・」

「ヌイアンで言い触らすわよ」

「っ!・・・わ、分かった。情けない話なんだ・・・言い触らすのは勘弁してくれ。」


 食事に付き合わされた店は、駆け出し冒険者が入るには敷居が高く、お嬢様が普段使いするには少し格が足りない、そんなような店だった。ただし、食事は美味いと評判の店だった。

 その時のヴィゴには味など分からなかったが。


 結局、セシールの言いたい事はこうだった。私と付き合え、と。ちゃんとあなたの両親との橋渡しもしてあげるから。

 あなたのことが好きだったのに、いつの間にかいなくなっちゃうんだから。そういった時のセシールの顔は赤かった。おそらく、事実なのだろう。


 が、最後の言葉で凍り付いた。いつの間にか酔っていたお嬢様の漏らした一言。

「・・・もぅ・・・私と付き合わないって言うなら、ばらしちゃうんだから。あなたの両親がスパイみたいだってこと」

「・・・なんのことだ」

「いいのょ、私しか知らないし、気付いてないんだから。なんとなーく、あなたのことが気になってあなたのお店をずーっと眺めてたら変なのよね。

 妙に決まった間隔でくる客がいるし、その客は必ずビナグラードに行くし、運び込まれる荷物の量と、売ってるものの量が違うし。みんなが寝静まってるころに時々人の出入りがあるし」

「俺は知らない」

食い気味に言ってしまっていないか、がとても不安だった。


「近いうちに戻る。こちらでの整理もあるし、1月は待ってくれ。必ず戻るから」

「しょうがないわね・・・じゃ、私は明日にはヌイアンに帰るから、忘れずにね」


 セシールの泊まっている宿まで送っていった後には、もう決意は固まっていた。

 その日、ヴィゴは自らの宿に帰らなった。セシールたちの行動を観察し、密かに部屋の中を検め、同行しているのが侍女1人だけだということを突き止めた。


 翌日、乗合の馬車ではなく、貸し馬車でブリエールの街を後にするのを見てヴィゴは密かに追跡する。護衛には2人の冒険者が付いていたが、そこまでの腕利きではないように思えた。


 街道の前後に人気がなく、ちょうど山間の道に差し掛かったところで、ヴィゴは仕掛けた。子連れの蒼月熊の番いの目の前で、子に傷をつけ、連れ去った。怒り狂った蒼月熊を先導し・・・そして、その子を馬車の前に放り投げた。

 馬車は止まることも敵わず蒼月熊の子を轢き潰した。


 蒼月熊の番いの怒りは頂点に達し、馬車に乗っていたものは蹂躙された。御者は最初の一撃で胴体が引きちぎられた。慌てて飛び出した冒険者2人も、全く態勢が整っていない中で体当たりを喰らい、馬車との間に挟まれて絶命した。


 馬車の中にいたセシールと付き添いの侍女は、蒼月熊の突進で崩れ落ちた馬車から投げ出されたところをもう一頭によって噛み砕かれた。


 見ていて吐き気がした。自らの、そして家族の安全を守るためだけに、手を汚したのだ。だが、吐いてはいられない。


 すぐ傍に、怒り狂った蒼月熊がいるのだから。

 風魔法を巧みに使い、気配を出したり、止めたりしながらヴィゴは蒼月熊の体力を削っていく。風の刃により、弱点とされる部分を的確に削っていく。看破のスキルを持つからこそできる芸当だった。


 気付けば蒼月熊の番いは自らの横で息絶えていた。そして、虚しさが自分の心を覆っていることにも気付いた。

 暗殺、決して軽々しく使ってはいけない手段を使ってしまった。しばらくの間、ヴィゴは探索者としての活動をする気力も得られなかった。


 ブリエールからは一刻も早く去りたいと思ったが、1ヶ月ほど我慢した。こういう時には急に動くと怪しまれるものだからだ。


 そして、セシールの死因が保衛部の手によって不運な事故と判断されてしばらくしてからブリエールを去った。王都に行くことも考えたが、王都は人の集まる街だ。もしまた同じようなことが起きてはたまらない。


 腰を落ち着けたのはドルッセンだった。



 実は、過去にも一度だけ、どうしても許してはおけないと思った人間を暗殺したことはある。

 依頼でも何でもなかったが、たまたま情報収集をしていた街の近くで、悲鳴を聞いて向かった先に居たのは既に裸に剥かれて汚されてしまった後の少女。周りを囲んでいたのはどう見ても貴族のガキだった。


 泣いていた少女が突然舌を噛み切って自殺すると、嘲笑うかのように

「勝手に死ぬとは躾がなっていないじゃないか。お前たちは俺たちの道具なのに。どれ、死んだあとの具合を確かめてやるか」

と、屍姦を始めたのだ。


 どれだけトチ狂えばこんな人間に育つのか、寒気がしたが、相手が貴族だからこそ簡単には介入できないのも確かだった。最後にそのケダモノどもは、証拠隠滅とばかりに少女の身体を火魔法で焼いてからその場を立ち去った。


 何となくその行動が読めていたがゆえに、ヴィゴは精神魔法と闇魔法により、相手に少女の身体が燃えているように錯覚させ、実際の少女の身体は覆い隠して守ることにした。


 夜、その街の教会の前に、少女の遺体を置いた。白い布に包んで。裸を見られることのないように。そして、その街を治める領主の館に忍び込む。ケダモノのガキは領主の長男だった。


 深夜、領主館が寝静まったころ、ヴィゴは行動を起こした。ケダモノのオスの象徴が刺激され、大きくなるように精神魔法により操作した。


 そして、夢の中でいい気持になっているところで、オスの象徴を、その下にある袋と2つの玉ごと切り取った。突然、下半身を襲った衝撃にぼんやりしているケダモノを覚醒させ、自分の下半身がどうなっているかを明確に認識させ、存分に絶叫させた。声は誰にも届かなかったが。


 さぞ恐ろしかったであろう。本来ならば、子種を吐き出す部分が失われ、滾々と自らの血潮を吐き出しているのだから。


 絶叫させ、興奮させたことで、血の勢いは止まらず、ケダモノは多くの血を失いすぎて息絶えた。ヴィゴはその上に貴族家に相応しい豪奢な上掛けを被せて、静かに領主館から出ていった。


 仕上げは、街の教会の前に切り取ったモノを置き、

「領主の長男の凌辱により命を落とした少女に捧ぐ。安らかに眠れ」

と一筆したためることだった。


 保衛部の調査により、長男の乱行を放置していたことが明るみに出た領主は男爵位を取り上げられることになり、王国軍の最も厳しい部隊で小隊長からやり直しをさせられることとなった。


 が、全く付いて行けず、評価を得られずに降格人事を受け続け、最後には一家離散の憂き目を見ることとなった。


 そこまで見届けた訳ではないが、ヴィゴとしては義憤に駆られて行ったことに、手ごたえを感じてはいた。が、満足感は得られなかった。

 例えどんなに下種な人間であったとしても、殺めることで気分が良くなるということはないのだ、とその時知った。



 セシールを手に掛けて以降、ヴィゴはもう二度と暗殺はしない、と心に誓った。あの日以来、もっと他に手は無かったのか、後悔する日々が続いている。表には出さないが。

 ドルッセンに腰を落ち着けて、多少なりと心にけじめをつけてから、ようやく仕事を再開できるようになった。


 だが、今でも蒼月熊を見ると、あの日のことが脳裏に浮かびあがってきて気分が悪くなる。だから、突然の遭遇でもない限りは、蒼月熊に関する何かとは関わらないようにしていた。

 この前の、ル・フィロッテでの会食ではステーキが出てきて少々驚いたが。。。何とか動揺を隠して食べることができた。ステーキの後に一度トイレにいき、全て戻してしまったけれど。


 そして、もう一つ、ドルッセンに来る前にヴィゴが変えたものがある。元々のヴィゴは赤髪に灰色の瞳をしていたが、ブラウンの髪、そして瞳の色は深い青の碧眼へと変えていた。これはあの後に完成度を高めた偽装のスキルによって実現できたものだった。


 何よりどんな時でも慎重に行動するようになった。自らの能力はひたすらに鍛え上げている。周りにはあまり悟られないように。そして、常に冷静さを保つように自らに過酷な環境での修練を課した。


 まるでスパイとしての技能を磨いているかのように。


 周りの印象にはあまり残らないように、しかし、付き合いづらい訳ではない。探索者としては優秀で、頼りになる奴と思われるように。特定の女は作らない。


 もちろん、ヴィゴとて男であるから欲求はある。そういう場合は、適当な娼館に行って発散する。だが、同じ女は二度と抱かない。特定の女を作って、秘密がバレてしまった時が恐ろしいのだ。


 そうやって気を張っているうちに、いつしか疲れてしまった。俺は結局、何のために生きているんだろう。ビクビクしながら生きて、この先何を目的にしたらよいのだろう。15の歳から秘密を抱えてきたヴィゴが、色々と背負ってきたヴィゴが、ついに全てを投げ出しそうになった時・・・その男と出会った。


 周りに溶け込むことで、何とか没個性化しようと努めているヴィゴを見て、変な奴だけど一緒に仕事をしたら面白いかもな、と思って声を掛けてきたのがドルフだった。

 なぁ、臨時でパーティ組まねぇか?そう言って。


 そして、美人なのにやたらと刺々しい雰囲気を出していたミカエラも誘って、気付けば3人はパーティではないがよく一緒に仕事をする仲間となった。


 特に束縛するでもなく、緩く付き合える仲間。

 ドルフは細かいことには頓着しなかった。だが、生きるためには鍛えねぇとな、と妙に真面目に鍛えている男だった。ミカエラにはもっと複雑な事情がありそうだったが、こちらも真面目に鍛える女だった。

 あたしは女だから、ちゃんと鍛えとかないとアンタたちの足手まといになるでしょ。


 何だか妙にウマの合う奴らだった。

 それぞれ何かを抱えていそうな、だけど、決してそれを表に出すことなく「生きて、うまいもの食って、うまい酒を飲めたらとりあえずそれでいいんじゃね。あと、いい女も抱けたら言う事なしだ。今の稼ぎなら、それ全部叶えられるんだから、俺は何にも文句ねえよ」などと、ほざいていられる仲間がいる。


 それだけで、何となく胸につかえているものが取れた気がした。そうなのだ・・・、結局、両親が望んだのは「自らの人生を生きること」だった。別に、何かを成してくれとか、特別なことを言われたわけじゃない。

 ただ、生きていられればそれでいいのだ、と。


 そして、そのことに気付かせてくれたドルフを、ミカエラを、守るために自分の力を磨く、それもまたいいのかもしれない・・・そんな思いに落ち着いていった。


 ヴィゴにとって、ドルッセンとは「生きる」ということの価値を、意味を再確認できた街だった。・・・とても恥ずかしくて面と向かっては言えないが、こいつらを守ってやりたい、と思える仲間の出来た街だった。


 今もヴィゴは、街外れの小高い丘に足繁く通っている。

 そこには「セシール、他4名」とだけ刻まれた小さな石碑が立ててある。後悔は消えない。


 だが、今日もまたヴィゴは自らの持てる能力でもって探索者としての戦いに赴く。生きるために。仲間を守るために。

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