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フィールド・レコード  作者: 渚咲 千桜
第1章
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第1話 『既視感』

霞む音色を連ねた静寂な光が窓から透き通る。羽毛の呪縛に囚われた無防備な意識の抜け殻は、その景色に身を委ねて混ざり溶け………





「って起きろぉおおおお!!」


「ん〜…あと56ぷんだけぇ…」


「長いわ!!!」


 母さんの声がうるさすぎて眠気も飛びかけてしまった、危ない危ない。さてもう一度…と行きたいところだが、身の危険を感じる。

 朦朧とした意識の中でも目に見えない感覚で伝わる。今や今やと首元に狙いを定めた「憤怒」という鋭利な刃物に囲まれている。


 このままもう一度寝てしまいたいとこではあるが…仕方ない、起きてやるとしようか。


「ふぁぁ…ん、ごめんありがと」


 手間かけさせてごめんという謝罪の意と、起こしてくれてありがとうという感謝の意を混ぜた完璧な一言…


ん?ちょっとまてよ、なんで…


「早くしないと学校遅れるよ?新学期なんだから、さっさと準備しなさい!」


 違和感。スっと感覚として入ってくるその懐かしい色は、"今まで通り" の景色のはずだ。

 だが、俺の中の何かがその "今まで通り" を否定している。


「いや……なんかおかしくて…」


「なーに言ってんの、おかしいのはアンタの頭でしょ。ご飯出来てるから降りてきな」


「え…?ああ、うん。……あれ?」


 答えへの道がない不確かなこの疑念は、母さんの声にかき消されてしまった。寝起きでボヤけてるのもあってさっきまで何を疑問に思っていたのか思い出せない。

 しかしこのまま悩んでいてもしょうがないし、もう求める先へはたどり着けないだろう。


 とにかく今は支度をすることだけ考えよう。しかし、母さんに無理矢理起こされたからかまだ脳が覚醒していない。この状態ではいざ身体を動かそうにも、脳からの指令がそのまま伝わることはなく遅れを伴うことだろう。

 行動の効率を上げるためにも、眠気を覚ますためにも、深く深呼吸をしながらまだ目覚めていない身体を伸ばした。


「さーてと、準備を始め………は?」


 せっかく生まれた身体を動かすためのやる気が、少しずつ焦燥感へと変わっていく。

 なにせ、ふと目を置いた先には想定していた起床時間より、40分も遅れた時間を指している時計があったからだ。




やばい。非常にやばいぞこれは




「なんでもっと早く起こしてくれなかったの〜〜!!!!!あああああもう!!!」


 焦りという感情はいつだって人を急がせる。他の感情を押し退けてまで "急ぐ" という一点を目標に、脳の命令伝達速度を限りなく0秒に近づける。


 1度この状態になってしまえば人間は誰しも、限界と呼ばれる制御の壁を超えることが出来るのだーーー














ーーーと、なんやかんやあって学校に来た


「おいおい…随分中途半端な説明だな」


 結局遅刻してしまい、職員室に寄るハメになってしまった。たかが27分の遅刻くらい許してくれよ…と、なぜか開き直ってしまう自分が恐ろしい。


「仕方ないですよ、寝ぼけた頭な上急いでて、朝の出来事をいちいち覚えてる余裕すらなかったんだから」


 恐ろしさを感じようとも、流れに身を任せて口からポンポンと保身の言葉が出てきてしまう。その言葉の一つ一つが皆、棘を持って相手を刺していく。


「悪いことしたのはお前なのに、随分上からだな。それにしても…説明する必要あったか?ただ単に寝坊しました、それで充分だろう」


「そこは俺にも譲れないものがあるんですよ、先生」


 変にプライドというものは、自己保身に徹底して周りに容赦がなくなる。

 自分が原因の根源だと言うのに、さも自分が偉いかのように振舞ってしまう、厄介な物だ。 


「やれやれ…それで朝食は食ったのか?」


「食べなくても平気です」


 親が用意してくれたにもかかわらず、その朝食を口にすることはなく "焦り" に身を委ねていたなんて言いたくない。

 そんな安いプライドに従って見栄を張っていたが、羞恥からなる保身の盾は、職員室一帯に広がる俺の "お腹の音" でかき消された。


「ったく…これでも食え」


「あっはは…すみません。まさかとは思いますけど、こうなることを予期して俺の分の朝飯を…??」


 普段は頭の堅い先生でも、こういうところがあるから嫌いになれない。気が利きすぎて惚れちゃいそうだぜ…


「誰がお前のために朝食を用意してやらなきゃならないんだよ…俺の昼飯だ」


くそっ!なんだこの可愛げのない男性教師は!


「相変わらず買い飯なんですね、栄養偏りますよ?」


 勝手に期待して勝手に感謝した俺が悪いが、俺の乙女心を返して欲しい。

 大塚先生は悪くないけど俺の繊細なガラスのハートを砕いた罪だ。その破片で刺してやる…と無意識に思ってしまっていた。

 自分が悪いことをわかっていながらなぜ彼が責められなければならないのか、自分でも説明することが出来ない。圧倒的理不尽だ。


「…いや、ごめんなさいなんでもないです。」


 触れてはいけない領域というものは誰にだってある。それに気づいて見事に回避出来る人間は多くない、俺もそれができない1人にすぎなかったのだ。


 彼が買い飯なのには理由がある。大方嫁さんが作ってくれない、もしくは独身であることを他の生徒は想像するかもしれない。それらは結果から見れば間違ってはいないが、あくまで結果でしかない。過程を知るものは数こそ少ないが、知っているなら知っているなりの配慮ができたはずだ。

 そもそもなんで俺はこんな理不尽を相手に押し付けてるんだ?何より自分が1番こういうのを嫌っているはずなのに


「気にするな、気にしてない」


 神か?この教師は神なのか?


 考えすぎて少々混乱していた精神に、安堵という鎮静剤が打たれた。境遇を理解し合う者同士だからこそ、相手がこちらの真意を読み取り、弁明を受け入れるという形でこちらへの気遣いを施したのだろう。


 俺は無数に縺れた感情の一つをほどき、感謝の意味を込め、深くお辞儀をして職員室を出た



 そして向かうは…教室。



 はぁ…帰りたくなってきた。


 いつもいつも遅刻してはこのような感情が押し寄せる。学校に来るまでは容易いが、教室に入るまでが気苦労だ。それも遅刻なんてしてなければ容易に入れるものを…


 遅刻は、した者にしか分からない苦痛がある。遅刻して教室へ入ると、教室内の人、ほぼ全てがこちらへと視線を向ける。それも一瞬。

 一瞬こっちへ目を向けてはまた避ける。何事も無かったかのように。


 その瞬間は特に、世界から見放された気がしてくる。とても嫌いな時間だ。


 ならば遅刻をしなければいい?そう簡単な話では無いのだ。遅刻者がなぜ繰り返し遅刻をするか。それは遅刻を悪だと思っていないからという単純な答えとーー


 世の中に対する不満。



 このふたつが相まってようやく遅刻行為のリピーター思考へとたどり着く。ただ単に起きられないというのも起きようと努力することに欠けるからだ。これも後者で理由がつく。


 遅刻を悪だと思わないのは、

遅刻による "罪悪感"という感情が麻痺してしまうためである。なぜそうなるまで遅刻をするかは人それぞれ理由があるが…世に対する不満に関しては違う。


 これには一貫して言えることがある。


 世の中は、腐っている。当たり前のように当たり前のことをする。これを普通と呼ぶこの世の中に、生きづらさを感じるそれぞれの普通を持つ人間がいる。

 そういった考えの先にあるのは自己中心的考えではなく、普通という定義の型にハマるのはまるで洗脳だ。と無意識に感じ、それに逆らおうとする "反抗心" である。


 その反抗心のせいだろうか、職員室を出てから1歩も足を動かすことができていない。そろそろ授業も終わってしまう。


 授業中に入室するよりも苦痛なこと…休み時間に教室まで向かうことにはなりたくない。なにせ道中に遭遇する人の数はクラスの人数を遥かに凌駕するからだ。


 そうならないようにと、ようやく自分のクラスへ向かおうと、そこへ繋がる階段を上り始めた。

 

 いつもと同じ階段のはずなのに、懐かしさを軸とした見覚えがある。その感覚は到底説明できるものでもないし、何故今までその感覚に陥らなかったかを考えてしまう。数ある可能性の全てを視野に入れて考えながら一段、また一段と足を運んだ。その動きに合わせるように、段々と無意識下の既視感に襲われる。






なんだこれ…



 その既視感は、さっきまでの出来事を全て忘れてしまうほどに効力を持ったものだった。


気の所為…だよな


 この感情は…単に嫌ってだけじゃない。そんなちっぽけな理由で片付けられないくらいの不快感を感じる。一言で表すならデジャブ。突然来るこの感覚は、驚くと言うよりも恐怖を覚える。恐怖で足がすくみ、その場から動けなくなる。その感覚は一瞬にすぎないために、再度進もうと動き始めるがうまくいかない。遅くなるのが基本だ。


 徐々に鈍くなる足の動きを進めるたび、自分とよく似た姿が今まで感じたことの無い感覚で


今の自分…ここに在る自分と重なっていく。


 ようやく階段を上り終えたが、既視感からなる恐怖により精神的疲労を感じる。なにより心臓がバクバクいって鳴り止まない。どこからともなく湧き出る脂汗が鳥肌まみれの腕を伝ってどこかへ消えてゆく。

 目の前しか見えないこの状況はどうにも勝手に身体が動く。その結果目の先にはすでに教室の扉がある。


 進行し続ける下半身の流れに身を任せ、大胆に扉を開いて自身のクラスへと足を踏み入れた





気持ち悪い





 驚くべきことに、視覚的情報が脳に記憶されると同時に、五感で表せないほどの感覚の全てが、自身の存在している空間を感じた。


 つくられたシナリオをただなぞって進んでいるような気がしてくる。

 それも、教室内の生徒一人一人の、遅刻して入室してきた俺を見つめる顔の雰囲気や、黒板にかかれた授業の内容のひとつひとつが。



なにもかもが。



 起きた時から既にこの世界はおかしかった。というより、この世界からしてみればおかしいのは俺だったんだ。もっと早く気がつくべきだったんだ。



この空気、この景色、この匂い…





感覚で、精神で覚えている。









ここはーーーー































ーーー過去だ。

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