第三夜「雨の日の人形たちの宴」
―22時―
夜、またこの時間がやってきた。
今夜も悪夢を見ることになるのだろうか。
一日くらいなくてもいいんじゃないだろうか。
まぁそんなことを思うだけ無駄か。
それより昨日チェシャ猫の言っていたことが気になる。
もしほんとに「アリス」という人物があの世界にいてあの世界を創造したというのであれば、彼女は「不思議の国のアリス」の主人公のようなものなのだろうか。
そんな人間が本当にいるとは思えない。
しかし本当にそうだとしたら全て説明がつくような気がする。
問題点はその「アリス」がどうして私をこんな目に合わせるのか。
私は彼女に会ったことはないはずだ。
共通点は名前ぐらいだろう。
それだけなら世界にいくらでもいるはずだ。
その中でどうして私が選ばれたのか。
実際に確かめる必要がありそうだ。
そのためにはアリスに会わなければいけない。
チェシャ猫が合わせてくれることはないだろう。
いつか姿を出すといっていたがそんなことを待っていられるほど私は落ち着いていない。
できれば今すぐにでも話をしたい。
そしてこの悪夢を終わらせたい。
これが私のしばらくの目標か。
本当はこんな面倒くさいことをする気はない。
しかしやらなければいけない。
私の何の変哲もない日常を取り戻すためには。
―0時―
目が覚める。
今日は森の中にいる。
そしていつも通りチェシャ猫がいる。
「おはよう、アリス。」
「ええ、おはよう。」
「おや?今日は無視しないんだね?」
「貴女との会話は意味がないと思っていたけれどそうでもないみたい。」
「へぇ、もうボクの重要性に気づいたかい。」
少し驚いた顔をするチェシャ猫。
そこへ質問を投げかける。
「今日は何を聞かせてくれるのかしら?」
しかし返ってきたものは予想外なものだった。
「悪いね今日は何も用意してなかったよ。こんな早くにボクを必要とするとは思ってなくてね。」
「役に立たないわね。」
「キミが早すぎるのがいけないんだよ。」
「何よそれ私が悪いみたいじゃない。」
「そうだよキミが悪いんだよ。予想外な事するから。」
「さすがにそれは責任の押し付けよ。」
さすがにチェシャ猫の言葉が止まる。
「まぁ話すネタがないのはボクのせいにしておくよ。それはさておきキミは何を聞きたいんだい?ボクの重要性に気付いたご褒美に一つ質問に答えてあげるよ。」
「じゃあ『アリス』について教えなさい。」
「彼女についてかぁ...。少し答えづらい質問だなぁ。」
「どうしてよ。」
「ボクがここにきているのも基本的には彼女の指示でね、彼女の目的のために動いているわけだからシナリオ通りにいかなくなる可能性のことはしづらいんだよ。」
それほど『アリス』の情報は重要ってことか。
「キミが真相に早くたどり着きすぎると予定が狂うんだ。今回みたいにね。」
「じゃあ教えられないってこと?」
「でもまぁ約束は約束だし少しだけ教えてあげよう。」
「あら、貴女が約束を守るとは意外ね。」
「ボクだって約束くらいは守るさ。失礼だなぁ。」
チェシャ猫は少し不貞腐れながら言う。
「それでアリスのことだったね。彼女は前も言った通り不思議の国を作った人物。そしてここの管理人さ。」
「じゃあ私が悪夢を見るのはアリスのせいってことね。」
「まぁそうなるね。」
「でもなんで私なのよ。」
「何がだい?」
「どうして私がこんな目に合ってるのかってこと。」
「あぁそれはキミがアリスだからだよ。」
「アリスなんて名前の子はどこにでもいるでしょう。」
「...なるほど。まだそこには気づいてないか...。」
チェシャ猫が少しきょとんとした顔をしたのち小さな声で何かをつぶやいた。
「何か言ったかしら?」
「いや、何も言ってないよ。それよりそろそろ時間かな。」
チェシャ猫がそうつぶやいた瞬間雨が降り始めた。
「風邪をひきたくないからボクはそろそろ帰るよ。」
「ちょっと、待ちなさいよ。」
「雨宿りをしたいんだったらこのまま真っすぐ行くといい。少し歩けば大きな屋敷がある。あそこなら十分雨風をしのげると思うよ。それじゃあね。」
私の声を無視してチェシャ猫はいってしまった。
「全く、少しぐらい待ちなさいよ。」
それにしても屋敷か。
そこに行けば間違いなく私は死ぬと思う。
しかしそれ以外にここの手がかりがない。
行きたくはないが行くしかないんだろう。
少しでも手掛かりが見つかることを期待して歩き始めた。
―2時―
話に聞いた館にたどり着く。
何とか雨が強くなる前に着くことができた。
とはいってもここは不思議の国。
いや、悪夢の国だ。
何が起こるはわからない。
できれば何も起きてほしくはないがそんなことはないだろう。
中に入らずこのまま外で待っている方が安全なのではないか?
しかしそれだと結局何の情報を得ることもできずに餓死してしまう。
何もできずに死ぬことと何か情報を得たうえで殺されること。
どちらの方が価値があるか。
本当はどちらにも価値なんてないかもしれない。
ただ、後者の方が得があるような気がした。
そう思うしかなかった。
そうしなければ私はこの世界に馴染むことができないような気がしたから。
私は館に入ることにした。
中に入ると館の中は暗かった。
何もないのかそれとも幽霊のようなものがいるのか。
それぐらいのことしか想像できないほど。
少しずつ館の中へ歩いていく。
すると背後から急に声がした。
「ドチラ様デスカ?」
慌てて振り返る。
そこにいたのは小さな人形だった。
「ドチラ様デスカ?」
困惑していたところに同じ質問が投げかけられる。
「私はアリス。チェシャ猫がここなら雨宿りできるって言っていたから来たの。不快にさせたなら出ていくわ。」
「不快ナンテ思ッテイマセン。ムシロ貴女ヲ歓迎シマス。ドウゾコチラへ。」
そういって人形が歩き出す。
黙って後をついていく
ついて行かない選択肢もあるだろうが私にはそれをする勇気はなかった。
―4時―
人形にしばらく着いて行くとホールのような部屋の前に来た。
「ドウゾオ入リ下サイ。」
人形に促されるままにホールへ入る。
「これは、一体...?」
中にはたくさんの人形が居てパーティーをしているようだった。
踊っている人形や料理を食べている(正確にはかみ砕いているだけ)人形、歌っている人形など様々なものが居た。
「サァ、アリスサンモ宴ヲ楽シミマショウ。」
案内をしていた人形に手を引かれテーブルへと連れてこられた。
「コノ後ニショーガアルノデ食事デモシテオ待チクダサイ。」
そういって人形はどこかへ行ってしまった。
食事とは言ったもののこれは本当に食べれるものなのだろうか?
パッと見変なものは入っていないようにも見えるが...。
そう思いつつケーキを一口食べてみる。
予想外にもおいしかった。
これで空腹は免れることはできる。
それにしても目の前のこの光景。
私にとっては狂気という言葉以外には形容できそうな言葉が見当たらなかった。
ずっと見ていたら私も気が狂ってしまいそうだ。
早くもここを抜け出したいとも考えている。
とはいってもさっきの人形が怖い。
なぜだかわからないが逆らってはいけない気がする。
もし逆らったら殺されるのではないか。
そんな考えに至る。
かといってもずっとここにいてもいけないような気もする。
どうしていいかわからない。
今は死というものを一切感じられないせいか、いつもより判断力が鈍っている。
逃げるべきか、とどまるべきか。
考え続けていると明かりが消えた。
そして舞台にスポットライトが当たる。
そこには衣装が変わった先ほどの人形が立っていた。
「皆サマ、オ待タセシマシタ。コレヨリショーヲ開始シマス!」
その声を聴いた人形たちが歓声を上げる。
なんだか嫌な予感がする。
今すぐにでも逃げるべきなのではないだろうか。
そう思っていると。
「今回ノ主役ハコチラ!」
人形の声とともに私にスポットライトがあてられる。
「アリスサンデス!」
その声を聴いた瞬間私の感情に恐怖が生まれた。
周りの人形が私を見ている。
その視線には期待のようなものが含まれている感じがする。
今から起こることは絶対に私にとっていいことではない。
早く逃げなければ。
そう思い出口に向かって走ろうとした。
その時だった。
「マズハ脚カラ!」
そう人形が言葉を発したその瞬間、私は脚の感覚を失った。
体勢を保つことができずに転ぶ。
何が起きたかを確認するために脚を見た。
すると...。
「どう...して...?」
私の脚は木でできた人形の脚に変わっていた。
何が起こったか理解ができない。
しかしショーは進む。
「続イテハ腕!」
人形のその声が聞こえると腕に力が入らなくなる。
体を支えることができずにうつぶせに倒れこむ。
次は腕が変わってしまっていた。
「次ニ胴体!」
体の感覚がなくなり地面の冷たさすら感じ取れなくなる。
「最後ニ頭!」
その声が聞こえた瞬間私自身のすべての感覚が消えた。
何にも触れていないような状態になってしまった私の恐怖は最大になった。
声を出すことができないから叫ぶこともできない。
生き物の体でもないから涙を流すことさえできない。
だんだんと消えゆく意識の中で人形の声が聞こえる。
「コレデ我々の新シイ仲間ノ誕生デス!皆サン盛大ナ拍手ヲ!」
たくさんの人形が拍手をしている音を聞きながら私の意識は途絶えた。
―6時―
意識が戻ってくる。
それと同時に私が寝ているベッドと上にかかっている掛布団の感触を覚える。
どうやら私の体は元に戻ったようだ。
いや最初から変わってなんかいないはずだ。
あれは夢の中なのだから。
目を開けると私のベッドの横にシルヴィアが座っていた。
「お嬢様、おはようございます。」
「えぇ、おはよう。私の部屋にきているなんて珍しいわね、何かあったのかしら。」
「朝食の用意が早く終わったのでお嬢様が起きたらすぐにお呼びできるようにと待っていました。」
「そうだったのね。」
ベッドから出て着替えを始める。
「悪い夢でも見ていたのですか?」
突然シルヴィアに声を掛けられる。
「どうしてそう思ったのかしら?」
着替えを続けながら返答をする。
「泣いていましたから。」
そういわれて初めて頬を伝う涙の感触に気付く。
「そうね、少し嫌な夢を見ていたわ。でも心配しなくて平気よただの夢だもの。」
ただの夢。
実際にはそうではないのかもしれないが少なくともシルヴィアにはそう思っていてほしかった。
彼女には心配をかけたくない。
それだけではあるが。
「さて、行きましょう。」
着替えを終えシルヴィアに声をかける。
日記は朝食が終わった後に書こう。
チェシャ猫に誘導された館の「雨の日の人形たちの宴」で人形にされ意識を失った、と。
―Good morning dear Alice.
See you next Dream.―