6-37 じいや来訪②
すっかり忘れていたがメア王国とアシュランス王国は兄弟国。メア王国のボナ・サザーランド王家とアシュランス王国のルーリン・シャレット王家は百八の条文からなる家訓を共有することで親密。
爺やことトラヤヌス・ド・モルダヴィアは、ボナ・サザーランド王家の筆頭家令「家令でも執事でもどちらでもお好きな方でお呼びください」と国王付名誉近衛従者を兼任。その業務は多岐にわたり寝る間も惜しむ程なんだとか。
因みに本人の希望もあり、トゥーシェが失踪した後もトゥーシェ付の執事だった。
トラヤヌス・ド・モルダヴィアの兄は、吸血族の上位種吸魔族の長(王)。七魔公の一人でメア王国王国領イート市の統治を任されている。
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トラヤヌスさんは、メア王国国王サザーランド・ボナ・サザーランドの名代ではなく、メア王家当主サザーランド・ボナ・サザーランドの名代でもなく、王国領イート市の統治者七魔公の一人ヴァンピストの長の名代としてでもなく。メア王家当主サザーランド・ボナ・サザーランドの正妻ミネルヴァ・アウグステ・ボナ・サザーランドの名代だった。
「ゲートも魔力陣も使わずにいったいどうやって」
「パスを繋ぎ直しました」
「パス?」
「はい。パスでございます」
パスって何だ? トラヤヌスさんは、chefアランギー様ばりに話が通じないみたいだ。
でも、これは確認しておく必要がありそうだ。闇の迷宮とゲートの他に行き来する方法があるってことだろう?
「トラヤヌスさん。そのパスですが具体的にはどういった物なんですか?」
「陛下はトゥーシェお嬢様リュシルお嬢様の旦那様でございます。私奴に敬称など不要でございます。トラヤヌス、爺、爺や、そこのヴァンピストとお好きなようにお呼びくださいませ」
そこのヴァンピストって、う~ん。
「おっ! そうなのじゃ、爺やは絶滅危惧種のヴァンピストなのじゃぁ~。思い出したのじゃぁ~」
「トゥーシェお嬢様の思考の片隅に勿体のぉーございます」
「そうなのじゃぁ~。勿体ないからこのお菓子は私が全部食べてしまうのじゃぁ~」
「トゥーシェお嬢様の愛らしいその小さなお口で咀嚼されるのですその菓子等も幸せにございましょう」
大丈夫なのかこの人。拗らせてるというか、溺愛が何か突き抜け過ぎて最早別の次元に……。
「爺」
「はい」
はやっ! 切り替えはやっ!
リュシルに声を掛けられたトラヤヌスさんは顔の表情を引き締め通常モードの冷静沈着紳士へと一瞬で切り替わる。
「旦那様が爺に問うたパスとは血路のことか?」
「左様でございます、リュシルお嬢様」
「リュシル。パスとか血路とか俺にも分かるように話して貰えませんか?」
・・・
・・
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パスとはヴァンピストのオリジナルスキルの一つで、自身と対象を血で繋ぎ血路を敷設することで対象のもとへ移動が可能になるスキルのことらしい。
「誠に有難いことでございます。喜ばしくもトゥーシェお嬢様とのみパスが繋がり、このように」
「え? 消えた!」
目の前でソファーに座っていたトラヤヌスさんの姿が忽然と消えた。自然魔素の循環に揺らぎは感じられない。
「こんな感じで」
「おっ! 爺やの声が体の内側から聞こえて来るのじゃぁ~」
キモイ。口も動いてないのにトゥーシェから渋い老人の声が聞こえて来る。
「あとは出るだけでございます。はい、このようにトゥーシェお嬢様のもとへと刹那の時間で駆け付け忠義を示す為にこのスキルはございます」
「爺やが体から出て来たのじゃぁ~。凄いのじゃぁ~」
凄い? いや、凄いというよりキモイの間違いでは? スキルとしてはかなり優良だとは思うけど……。
「トゥーシェお嬢様の為とあらばこの……」
「凄いのじゃぁ~、だけど次はないのじゃぁ~」
「え? そ、そんな。トゥーシェお嬢様に見捨てられてしまって……」
「人に会う時はお土産としてお菓子が喜ばれるのじゃぁ~。次に姿を見せる時はお菓子を今日の分も持って来たら赦すのじゃぁ~」
「おおぉぉぉなんと、なんとお優しいことか……」
「爺」
「はい」
切り替えはやっ!
「妾達に飲ませたか?」
「はい」
「飲ませた?」
「陛下、リュシルお嬢様の仰る通りでございます。先日の両陛下主催によるデュエルの後にお出し致しましたお飲み物に少しばかり混ぜさせていただきました。私奴の一存にございます」
何を混ぜたかは聞かなくても何となく察しが付く。が、ここはあえて聞こう。
「血をですか?」
「喜ばしいことにトゥーシェお嬢様とのみパスが繋がり」
それ。さっきも聞きました。
「もう天にも昇る思いで」
「爺」
「はい」
「その件はもう良いとは思わぬか。妾としてはパスの限界を知りたい故、旦那様には爺を何処か遠くへ飛ばして欲しい。可能か?」
「遠くへ飛ばす? とは、え? ……リュシルお嬢様? そ、そんなご無体な」
少し間があったようにも思えるが気にしないことにした。トラヤヌスさんは、リュシルの言葉の意味を瞬時に理解しこの世の終わりかと思わんばかりの形相で崩れ落ちた。
「爺や変顔か? 変顔はこうやるのじゃぁ~」
貴重な時間をありがとうございました。