第四話「80分の3の世界を」
少女は描いた。
何でもない風景を。気になったものを。キレイな景色を。めずらしいものを。花を。虫を。人を。
少女は描き続けた。
だってわたしは、たったの1日さえ――――――
タイトル【ノンフィクション】その4
わたしの目が見えるようになってからすぐに、おかあさんはわたしをいろんな所へ連れていってくれました。
「わぁぁあ……すっごいキレイ…………!!!」
おかあさんとわたしが行った場所の1つが、とあるお花畑。
そこには、たくさんの水色のお花が咲いていて、まるで青空の中にいるみたいでした。
「本当にキレイね。あなたの身体にはあまりよくないけど、今日は晴れてよかったわ」
おかあさんも、この景色にはとても感動していました。
ここのお花畑に咲いてるのは、ネモフィラという名前のお花でした。
わたしの目の色と似ているという理由で、おかあさんがここに行きたいと言ったのです。
「それじゃ、わたしは向こうで少し休んでるから、あなたは好きに見てなさい。あんまり遠くに行っちゃダメよ?」
「うん、わかった!」
おかあさんと別れた後、わたしはこのお花畑をじっくり見て周りました。
その日は平日の朝だったからか、あまり他の人は居ませんでした。
「本当にキレイだなぁ。わたしの目ってこんな色をしてたんだ。ずっと見ていたいなぁ……でも……」
わたしは天使さんの言っていたことを思い出していました。
この"目"の決まりごとのことを。
『まず一つは、時間制限があること』
この目は、いつまでも見える訳ではありません。
3年で"元にもどる"と天使さんは言っていました。
その時が来ればきっと、この目はまた見えなくなるのでしょう。
そうなればこのキレイなお花畑も、なんでもない日の風景も、雨の日も、晴れの日も、朝も、夜も、大好きなおかあさんも、何もかもが、真っ暗な世界に包まれてしまう。
そのことを考えると、わたしはすっごく悲しくなりました。
しょんぼり歩いていると、遠くに、ベンチに座って何かをしているおばあさんが見えました。
「あれ?あの人なにしてるんだろう」
気になったわたしは、おばあさんのもとへ走りました。
「おはようございます!おばあさん、何をしてるんですか?」
「あらおはよう。まぁ……なんて可愛い子なのがしら!」
おばあさんのしゃべり方は少し訛っていて、方言を聞いたことの無かったわたしはビックリしました。
「かわいいだなんて、そんなことないですよ。わたし、こんな真っ白で……」
すると、おばあさんはやわらかい声で言いました。
「なに言ってるんだい。おめみだいな透ぎ通った白い肌は、昔っから女のあこがれだったんだよ。もっと自信を持ぢなさい」
「そう……なんですか。ありがとうございます」
こんな白い身体に、あこがれる人なんて本当にいるのかなぁ。
わたしはやっぱりおかあさんと同じで、黒くてキレイなかみの毛や、健康的な身体が欲しかったなぁ。
「あぁごめん。話がそれちゃっだね。あだしは見での通り絵を描いでいるんだよ。ほら、これを見で」
おばあさんはそう言って、手に持っていたスケッチブックを見せてくれました。
「わぁぁ……!おんなじだ!すごい!!」
それは、まるで目に見えるお花畑の景色を切り取って、そのままはりつけたかのような、とってもていねいに写された風景画でした。
「うふふ、どうも。おじょうちゃんみたいな可愛い子にほめられるなんて、こーたに嬉しいごどはねえね」
おばあさんは、ヒャッヒャッヒャと、自慢気に笑いました。
「ところで、おばあさんはどうして絵を描いているんですか?」
そう聞くと、おばあさんは少し考え込んでから言いました。
「うーん。どうしてって、むずかしいごどを聞ぐねぇ。いろいろあるげどやっぱり、忘れねえだめにがなぁ」
「忘れないため……?」
「そう。こんだげ年食ってるど物忘れがひどぐてねぇ」
おばあさんは自分の頭を指さしながら笑いました。
「でも、見だものを絵に描いでおげば、すぐ思い出すこどがでぎる。ネモフィラの花の形どが、今日の気持ぢ良ぐ晴れだ天気どが、天使様みだいにキレイで可愛いおじょうぢゃんに会えだごとも、ね」
「今日の景色のことを思い出すことができる……!」
「そう。そして、そんたけじゃねえ。おじょうぢゃんはこのネモフィラの花畑を見で、どう思った?」
「それは……すっごいキレイだなって思いました。まるで、地上に広がる青空みたいだー!とか、とことん広い海の上に立ってるみたいだ!とか思って、とにかく感動しました!」
「ヒャッヒャッヒャ!! 若え子は想像力が豊がでいいねぇ。本当にねぇ」
「あ、ありがとうございます……?」
わたしはほめられているのか、それともからかわれているのか、よく分かりませんでした。
「そう、描いだ絵をだれがに見せるごどで、おじょうぢゃんがさっき言ってだことをそのだれがに伝えるごどがでぎるんだ。言葉なんかよりもわかり易くさ」
だれかに、伝えることができる。
わたしにとって、それはとてもステキなことでした。
「それにもし、あだしが死んじゃっでも、今日覚えだ感動だけはこの絵の中で生ぎ続げる。あだしはそう信じでるのさ」
「絵の中で、感動が生き続ける……!」
この時のわたしは、おばあさんが言っていることをちゃんと分かっていたわけではありません。
でももし、わたしの見た景色を忘れないでいられるのなら。
わたしの感動を、誰かに伝えられるのなら。
――――わたしも、絵を描きたい!
そう、強く思ったのでした。
☆☆☆☆☆
「わたしはハナ。きくち はな!よろしくね」
ハナは笑顔でそう言って、真っ白な手を差し出した。
その手は、少しだけ冷たかった。
夜の風に当たって冷えたのかなぁ。
「うん、こちらこそよろしく!」
ぼくも笑顔で応えた。
笑顔のつもりだけど、今のぼくはちゃんと上手く笑えているのかな。
キンチョーして、変な顔してなきゃいいなぁ。
「ところで、こんな夜にヒビト君は何しに来たの?また忘れ物??」
「いや、君に会い……」
まてまてまてまてまてまてまて。
キミに会いたくてわざわざ夜の公園に来たなんて、そんなのまるで告白じゃないか!!
「あい?」
「あい……アイスを買いに、コンビニに……!」
「なんだ、アイスかぁ!それにしても、こんな夜中に子どもが一人で出かけるなんて危ないよ!それともまさか、ヒビト君はヤンキーなの??」
ハナは青空みたいな色の目で、ジーっとぼくを見つめる。
ドキッとした。
後ろめたいことは何もないのに、なんでか汗が出てくる。変な気分だなぁ。
「や、ヤンキーじゃないよ!! それに子どもってハナに言われたくないし! そっちこそ、こんな時間に何やってたのさ!」
「わたし?見ての通り、絵を描きに来たの!ほら、これ!」
ハナが広げたスケッチブックには、さっきの脱皮している途中のセミが描かれていた。
羽化したセミや、ぬけがらのフクザツなもようから細かいところまでしっかり描かれている。
「やっぱり、ハナはすっごい絵が上手いんだね」
「えへへぇ……ありがとう。ずっと描いて来たからね」
ずっと、か。
ハナはぼくとそんなに年も変わらないだろうに、こんなすごい絵が書けるなんて、一体どれだけ頑張ってきたんだろうな。
「あ、そうだ!せっかくだからヒビト君のことを描いてもいいかな!!すぐ終わるからさ!」
「え、えぇ!?……いいよ?」
突然言われたからびっくりして、思わずOKしちゃったけど、こんなこと初めてだからどうしていいかわからない。
流れるように、ぼくはベンチに座らせられた。
「あ、あの、ぼくはどうすれば……?」
「いや、座ってるだけでいいよー!」
そう言われましても。
ハナはスケッチブックに向かって、慣れた手つきでぼくを描いていった。
周りは暗いから、小さなライトで手元を照らしつつ、ペンケースに入っている何色もの色エンピツを使い分けて描いている。
なんか、すごいかっこいいなぁ。
こういうの『絵になる』って言うんだっけ。
絵を描いてる姿が『絵になる』なんてちょっと可笑しいや。
「あ、あのさ、ぼく笑ったりとかした方がいいのかな?」
そう聞くとハナは「う~ん……」と、少しなやんでから答えた。
「何でもいいよ!わたしは見たまんま描くだけだからね!」
見たまんま、か。
どっかの"ぬれがらす"には目付き悪いとか、ブスーっとしてるとか、散々言われてるからなぁ。
せっかく描かれるなら、やっぱり笑顔のがいい!
「おっけー、それなら……!」
ぼくは、心の中でとっておきの呪文を唱えた!
――――アルカイック・スマイル!!
「フッ」
きっと今、ハナが鼻で笑ったのは気のせいだろう。
気のせいだ。絶対気のせいだ。
☆☆☆☆☆
「フフフ……出来たよ」
ニヤニヤしながらハナは言った。
「あぁ、やっとか……」
ぼくはひきつった顔を少しマッサージする。
ずっと笑顔を作っていたから顔の筋肉が痛い。
これだけ苦労したんだ、きっといい笑顔のぼくを描いてくれているだろう。
「………………」
やっぱりハナは、絵が上手い。
よく知っているワケじゃないけど、見たものを絵に写すということにおいては、プロも顔負けの才能があるんじゃないかと思う。
見せてもらったスケッチブックには、ベンチに座っている、とてもビミョーな顔をしたぼくが描いてあった。
「これマジ?」
「マジマジ……フフッ……フフフ…………」
ハナはツボに入ったのか、笑いがこらえきれないようだ。
「コイツ変顔してない!??」
ぼくは、スケッチブックの中にいるぼくを指差した。
「アハハハ!!ごめん!笑っちゃいけないのは分かってるんだけど、ヒビト君あまりに絶妙な顔するから、ニヤけちゃうのこらえながら描くの大変だった!」
「ぜんぜんいいよ……自分のことだけど、確かにこの顔はちょっとひどいね」
笑顔になってたつもりが、ここまで変な表情をしていたなんて。
ハズかしいしちょっとだけショックだけど、笑い転げてるハナを見ていたら、なんかどうでもよくなってきて、こっちまで笑えてきた。
「この絵さ、わたしの部屋にかざってもいいかな!」
この子なに食わぬ顔してとんでもないことを言ってきやがった。
「それはやめて!!フーインしといて!!!」
「そっかーざんねん!わかったよ。ゲンジューにフーインしとく!」
ハナはワザとらしく言った。
何がザンネンなんだか……。
「そうだ、ぼくさ、ハナに聞きたかったことがあるんだ」
「そうなの?あ、わたしの色のこと?」
彼女は真っ白な自分のカミの毛をいじった。
たしかに彼女のキレイな白い身体や、毛のことは気になるけれども……。
よく考えてみると、それがもし生まれつきの病気とかだったら、あまり深く聞くのも悪いかなって思う。
「いや、そうじゃなくてさ、ハナはどうして絵を描いてるのかな?って」
初めて会った日、彼女はぼくのすいとうを描いていた。
目的は分からなかったけど、そのひたむきな姿を見てから、ずっとそれが気になっていた。
「あぁ、そっちか。それはね」
すこし間を空けてから、彼女はほんのちょっとだけ悲しそうに、それでも笑って、こう続けた。
「――――忘れたくないんだ。わたしは、わたしが見た、たったの1日さえも」
ハナが言ったことの意味は、よく分からなかった。
それでもぼくはその言葉から、彼女の決意のような、覚悟のような何かを感じたんだ。