第十九話「海」
積み木がくずれた。
頑張って、考えて、目標を定めて、長い時間をかけて積み重ねてきたのに。
一瞬のうちに、崩れてしまった。
作者は泣きながら言った。
「全てが無駄になった」と。
しかし、そう思っているのは、きっと――――
「……おい!お前ら起きろ!」
「んん……?」
ハルヤに呼ばれて、重いまぶたを持ち上げる。
目をこすって横を見ると、そこにはマヌケな顔でねむっている黒髪の少女と白い少女が居た。
海へと向かう車の中。
ゆらゆらゆれる車内が心地よくて、いつの間にか眠ってしまったみたいだ。
いつかと同じように、僕とハナとヒカリは後ろの席、前の席にはハルヤと運転しているシショーさんがいる。
いつの間にかぼくたちは眠ってしまっていたようだ。
「もう着いた?」
前の席にいる二人に聞くと、運転手であるシショーさんが答えた。
「いや、まだ少しかかるかな。ヒビトも窓の外見てみなよ!」
「外?」
寝ている二人の向こう側、窓の外には地上に広がる青空のような絶景があった。
「わぁ……! 海!!!」
感動していると、横でヒカリがごそごそ動き出した。
「うぅ……? おぉ!海だー!」
みんなの声で、ハナも目を覚ましたようだ。
「え……?あっほんとだ!海だ!」
みんなで外の景色に夢中になっていると、シショーさんが笑った。
「ハハハハ!さっきまで寝てたのに元気だなぁ。窓、開けてみるか?」
窓が開くと、なまぬるい風がふしぎな香りを乗せて車内に吹き込んだ。
「海のにおいだー!!!」
「栗の花みたいな香り!」
ヒカリとハナは窓の外を夢中でながめている。
「ハナちゃん渋い例え方するなぁ!」
「えっ! そ、そうですかね?」
しぶいと言われたハナは少し照れているようだ。
それでもまた楽しそうに外をながめる彼女を見て、ぼくはホッとした。
昨日、雨の降る公園で泣いていた彼女はもうここにはいない。
「さぁて! 目的地まであと少しだぞー!」
運転しているシショーさんも楽しそうだ。
その横にいるハルヤも、さっきから読書を止めて外をながめている。
そしてぼくも、初めての海に心がウキウキしてしょうがなかった。
☆☆☆☆☆
ぼくらを乗せた車は、目的地である旅館にとうちゃくした。
海のすぐそばにあるその旅館は、とても大きくて、いい香りのする木で作られていた。
「すごい落ち着く。ヤバい」
「ヤバいよねー! ねぇシショーわたしここにずっと住みたい!!」
ヒカリがシショーさんの手をブンブン振っておねだりしている。
「うーーーーん、そうさせてあげたい気持ちはあるんだけど、何十年もお金を貯めなくちゃいけないなぁ」
「住みたい住みたい住みたい住みたい!!」
シショーさんが手を振り回されながら空笑いをしている。
「あはははは、言ってるぞハルヤ?」
いきなりシショーさんに話を振られたハルヤはびっくりした後めちゃくちゃ嫌そうな顔をした。
「えぇ!? オレ!??」
「ハルヤー!ここ住みたい住みたい住みたい住みたい!」
「う~~ん、宝クジでも当たったらな??」
「言ったな!? お前言ったからな!!?」
そんなやり取りをしている三人なぞつゆ知らず、ハナは旅館の内装に感動していた。
「はぁわぁ……!!こんな広くてキレイな旅館……描ききれない! 描ききれないよ!!」
「やっぱりハナは、置き物とかだけじゃなくて、床とかカベとか全部描くの??」
聞いてみるとハナはうれしそうにうなずいた。
「もちろん!! ツボとか置物もいいけど、見て見てこの木目!! 面白い形してるー!!! 」
彼女の指差した所を見てみると、木の木目が人の顔みたいに見えた。
「わぁホントだ! すごいけど、ちょっとブキミ……」
「そう? かわいくない?? よーし描くぞー!! 」
ハナが楽しそうならまぁそれでいいか。
☆☆☆☆☆
ぼくたちが泊まる部屋は、これまた居心地のいい広い和室だった。
窓からは広い広い海が見える。
ずっと遠い向こう側まで続いてる海を見ると、心がおどり出しそうなくらいワクワクした。
「夜はここにお布団しいて寝るんだよね?」
ハナがシショーさんに聞いた。
「あぁそうだよ。ヒビトくんとハナちゃんは、こういうのは初めてかな?」
「うん! 初めて!!」
「初めてです!!」
海のことも、ここでみんなで眠ることも、考えるだけでワクワクするけど、ひとつだけ不安なことがあった。
「ぼく、ちゃんと眠れるかなぁ」
「わたしも、自分の家以外でおやすみしたことないから、ちょっと心配……」
そんなぼくらに、ヒカリがイヤなニヤケ顔で近づいてきた。
「夜はお楽しみだぞ~?? カンタンに寝かせないからな~???」
「前オレたちで来た時は、ヒカリの寝相が悪くてなかなか眠れなかったんだよなぁ」
「ばっ! ハルヤ余計なこと言うんじゃねぇ!!」
ヒカリはハルヤのほっぺをギューーっと引っぱった。
「だっれおまへ!ひゅうにひろのふろんはいりほんでひやがっれ!」
「ぎゃぁぁあ言うなぁぁぁぁあ!!!」
「まぁまぁ二人とも、夜更かしはほどほどにな?」
シショーさんがやさしく二人を引き離した。
「お前たちはしゃぐのはいいけど、ルールはちゃんと守れよ??」
「「「「はーい!」」」」
ぼくらがお泊まりをするにあたって、車の中でシショーさんから散々聞かされたルールが4つあった。
ろうかで走らないこと。
うるさくしすぎないこと。
トイレや部屋はキレイに使うこと。
人と通りすがったらあいさつをすること。
今日だけのことではなく、どこに行くにも大切なことだとシショーさんは言っていた。
これができないヤツはモテないらしいから、ちゃんと守るぞ!!
「じゃあ、そろそろ準備して海いくかー!!」
「「「「おー!!!」」」」
☆☆☆☆☆
「こ、これが……海!!!」
青い!!! デカい!!! 大きい!!! やばい!! すごい!!
車の中から見てもすごかったけど、実際に砂浜に立ってみたら、海めっちゃすごいでかい!!
「おぉー!!」
足元にある砂を手でつかんでみる。
その手を広げると、砂がぼくの手からササーっとこぼれ落ちていった。
「なんだこれ! 海もすごいけどこの砂浜!!! すげぇ! 公園にある砂場の砂よりめっちゃサラサラしてる!!すげぇ~~~!!!!」
周りにはたくさんの人がいた。
海で泳いでいる人、砂浜でアイスを食べている人、鳥さんに荷物をどろぼうされている人、砂浜から顔だけ出して埋まっている人などなど。
みんながみんな、思い思いに海を楽しんでいた。
「ヒビトが見たことないくらいにテンション上がっててちょっと面白い」
ヒカリに言われてちょっとイラっとしつつも、ストレッチを始める。
「テンション上がってねーーーし!!!」
「またテンションの高い否定の仕方だな……」
☆☆☆☆☆
タイトル「ノンフィクション」その11
みんなが海で遊んでいる間に、わたしは海辺付近でいつものように絵を描いていました。
「カサ、持ってもらっちゃってすみません」
黄色い花の絵を描くために手が塞がってしまったわたしに、日傘を指してくれるのはシショーさんでした。
「いいよ、気にしないで! それより、ハナちゃん体調は大丈夫? どこか辛くなったらすぐ言うんだよ?」
今日になってもう10回は聞いている気づかいの言葉。
シショーさんだけでなく、友達のみんなからもたくさんあたたかい言葉をもらっています。
それはたいへんありがたいことだとは思いますが、申し訳なくも思いました。
「ぜんぜん! むしろいつもよりも元気ですよ!」
この言葉は強がりではありません。
もちろん普段よりも強い日差しにさらされるこの海辺なのですが、フシギなことに今日の体調はすこぶる良いのです。
「それはよかった。でも、何かあったらすぐに言うんだよ?」
「はい! 日焼け止めもたくさん塗ったから大丈夫ですし、なんか今日は身体が軽いんです!」
今まで重りでもつけていたかと思うほどに、今日の私は身体も頭も軽やかに動きました。
「へぇー! 最近の僕は寝起きがあまりよくないから、羨ましいなぁ!」
「そ、そうなんですか? それは心配です……」
「シショーさん、夜にお酒はあまりよくないらしいですよ??」
「えぇ!!? ハナちゃん何でそれを?」
「ハルヤくんが『夜にリビングでママにナイショでお酒を美味しそうに飲んでるのを見かけた』って言っていましたよ」
「ははは……やっぱり隠し事ってどこかでバレてるもんだなぁ」
最近、子供たちのために大好きなお酒を止めようとしているシショーさん。
"がまん"というものは、なかなか大変なのだといいます。
「かくしごと、ですか」
「ハナちゃんには何か、隠し事があるのかい?」
シショーさんにそう聞かれて絵を描いていたわたしの手が止まりました。
「あります。まだみんなに言っていないことが」
「……そうなんだね」
わたしがみんなに隠していること。
この目が見えなくなること。
世界が"もとにもどる"こと。
「ねぇ、シショーさん」
「なんだい?」
わたしはシショーさんの方に振り向いて聞きました。
「みんなにかくしごとをするのって、悪いことなんでしょうか?」
シショーさんは、ゆっくりと首を横に振りました。
「"隠し事の全部が悪い"とは言えないね。 ただもし、それを隠していてココロが痛くなるのなら、あまり良くないかもしれないね」
「ココロ、ですか」
「ちなみに僕のは悪い隠し事だ。後で、奥さんとハルヤに謝っておかなくちゃ」
シショーさんはあきらめたように笑いました。
「ココロってすごいですね。いろんなことを教えてくれる」
「そうだね。何か悩んでいることがあれば、まず自分のココロに聞いてみるといい」
「……分かりました。 こんにちは、わたしのココロさん。かくしごとをしていてつらいですか?」
「ブフッ!」
「なっ!! なっ! なんで笑うんですか!!!? 」
「いや、ごめんごめん! 笑うつもりは無かったんだ! でも口には出さなくても良いんじゃないかな~って……ははは」
「そういうことは先に言ってくださいよ!! わたしのココロはシショーさんがキライって言ってます!! 」
「ぐはっ!!」
わたしの言葉は、シショーさんに大ダメージをあたえたみたいです。
「わたしは、つらくないです。みんなに話した方が、もっとつらくなっちゃいそうです。ただ」
「ただ?」
「――もし、何かをずっとガンバってきて、それが全部なくなってムダになっちゃったら、どうすればいいんでしょうか?」
「…………」
シショーさんは口をポカーンとさせて驚いていました。
「す、すみません!変なこと聞いちゃって!」
わたしははすがしくなって目をそらします。
すると、シショーさんはわたしの肩を手でポンポンしました。
「ごめんね、ハナちゃんがすごい難しそうなことを考えているみたいだったから、びっくりしちゃって」
「……」
「ハナちゃんが言っているのは、絵のことだよね?」
シショーさんはわたしのスケッチブックを指差しました。
「……はい」
「ハナちゃんの描いた絵が、もしも無くなってしまうのなら、それはすごく悲しいことだけど」
シショーさんは、こんなわたしのよく分からない話をどうしてシンケンに聞いてくれるんだろう。
「全部が無くなってしまうなんて、ムダになってしまうなんてことは、ないんじゃないかな」
きっとバカにされてしまうと思っていたわたしは、すごくうれしくなりました。
「それは、どういう……?」
「ヒビトから、前に聞いたことがある」
どうして、ここでヒビトくんの名前が出てくるんだろう?
「『初めて会ったとき、夜の公園で水筒の絵を描いていた』ってね」
その日は、夜にお散歩してたとき、公園のベンチにナゼか水筒が置いてあって、それが面白くて描いていたのでした。
「あぁ、なつかしいですね」
「それなら、ハナちゃんがガンバって絵を描いてきたことは"絶対に"意味の無いことにはならない」
「……!!なんで、そんな風に言い切れるんですか!」
「それはほら、アレよ」
シショーさんはそう言うと、遠くを指差しました。
「「シショーーーー!!!!!! ハナーー!!!!!!!!」」
「なんでお前ら! そんな元気ありあまってんだーー!!」
そこには、全力でこちらへ走ってくる、わたしの大好きなともだちがいました。
「みんな!!」
「ハナちゃんがみんなと出会えたこと、みんなと遊んだこと、ここに来れたことはさ」
シショーさんは、元気なみんなを見渡しながら言いました。
「――――絶対に、ムダなんかじゃないでしょ?」
「……はい!!!」
わたしはこのとき、今までで一番"絵を描いていてよかった"と思えたのでした。




