ある日の小夜 〜カラスと小夜
小夜は小さい。手のひらに乗れるくらい小さい。
それでも本体があれだと知っている僕としては、物理的なサイズにとらわれずに扱っているつもりだ。
だが、それはそれで不服らしいと言うことをつい最近知った。
いつものように最寄駅で降りると、なんだかカラスがやかましかった。
今日は比較的早く帰れた。空の明るいうちに帰れるなんて滅多にない。だから、暮れかかる空に影のように浮かぶ小夜の木を見るのは久しぶりだ。
それにしてもカラスがうるさい。
暖かくなったせいだろうか。会社の近くの公園でもよく目にするようになった。
こんなことで春を感じるのは風情があると言っていいかどうかわからないけれど、小夜を知る今までと比べれば、木々や花に目を向けるようになったよな、と自分でも思う。
ちょうど桜の時期で、駅近くの桜はぼんぼりでライトアップされているらしい。まだ早い時間だから明かりは付いていないが、すでに花見客が座り込んでいる。
明日は土曜日だ。小夜の木のある寺の境内にも桜があったから、花見に行くことに決めて、僕はバスに乗り込んだ。
◇◇◇◇
家に帰ると、小夜が迎えてくれる。
人サイズだった時は小学生みたいだと思ったけれど、手のひらサイズの小夜は年齢不詳だ。おそらく比較対象になるものがないからなんだろうけど、お地蔵様と並ぶ小夜は大人びて見える。
小夜はほとんど笑わない。表情を揺らしたのは今まででも両手に足りるくらいだろう。すましている、というわけではないらしいのだが、時折何があったわけでもないのに、不意に嬉しそうに微笑んだあとすぐさまいつもの顔になる。
小夜の言葉を借りるなら、木だから、だそうだ。木は喜怒哀楽の伝達が遅いのだ、と主張していたが、言われてみれば思い出し笑いだったのだろうと納得がいった。
それでも、機嫌がいいかどうかはわかるもので、今日の小夜は機嫌が悪い。
「何かあった?」
「……カラスがうるさい」
それはまさしく、帰りがけに感じたことであった。
「春だからじゃないのか?」
「つがいの時期はもう少し先」
「そうなんだ。……明日、花見に行くつもりだからその時に見てみようか」
小夜はじっと僕を見上げる。ほんの少しだけ眉が寄せられているように見えて、何かを悩んでいるようにも見えた。
それからずいぶん長いこと僕の顔を見つめたのち、お地蔵様の横に座り込むと膝を抱えた。
それが何を意味するものか、今の僕にはわかる。
「小夜。言いたいことは遠慮しないで」
ちらりとこちらを見上げるが、そのまま顔を伏せる。
「迷惑はかけぬ約束だ」
「別にいいよ、そんなの」
寺の住職からもらったお地蔵様から小夜が現れた時、確かに小夜はそう言った。『迷惑はかけぬゆえ、時折遊びにきても良いか』と。
別に小夜一人いたところで迷惑になるはずもない。まあ、着替えの時なんかは後ろを向いてもらってるけど、僕よりはるかに長く生きている小夜にしてみれば、それも見慣れたものだったのかもしれない。
その言葉を律儀に守ろうとしているのだ。
「気になることがあるんだろ?」
膝に顔を埋めたまま、小夜は動かない。
「ならしょうがない。小夜が気になることは僕も気になるから」
部屋着に着替える前でよかった。カバンから財布と携帯、鍵だけを取り出すと、お地蔵様をそっと撫でて部屋を出た。小夜はじっと動かなかった。
◇◇◇◇
寺に着くと、門は開いていた。住職に会釈すると珍しそうに寄ってきた。片手には箒が握られている。そろそろ陽も落ちて暗くなるというのに、今から掃除だろうか。
「あれ、今帰りかい?」
「ええ、まあ」
曖昧にごまかすと、住職は「良い心がけじゃ」とにっこりして火ばさみとビニール袋を渡された。
「え、と……」
「表の看板を見て来てくれたんじゃろ? この時期は花見客が多くて大変なんじゃ。大きなゴミだけ拾ってくれたらええからの」
それだけ言うと、住職はさっさといなくなった。箒もそのまま立てかけてある。ぱっと境内の明かりが灯された。花見客のためというわけではなく、夜もお参りに来る檀家のためのものだ、と以前説明を受けた。申し訳程度の明かりだが、掃除をするには十分だろう。
「……小夜」
「知らん」
まさか清掃ボランティアをさせるためにわざわざ呼び寄せたんじゃなかろうな、と呼んでみればあっさりした声が飛んで来た。
振り向けば以前見た通りの姿で小夜はいた。部屋から直接こちらに来たのだろう。
やれやれ、と肩をすくめて僕は空を見上げた。桜の花びらがはらはらと落ちてくる。
駅前だけでなく寺の境内も花見の宴会場とは思わなかった。木の周りを見ればあちこちに残滓が残っている。
住職に頼まれなかったとしても、見て見ぬ振りはできなかっただろう。
仕方ない、と目につくゴミに火ばさみを向けた時だった。
かすかに猫の鳴き声がした。
と同時にカラスたちが騒ぐ。
僕は小夜の方を振り向いた。小夜は白い顔のまま、じっと立ち尽くしている。
小夜が言いたかったのはこれなのだろう。
聞こえてくる声はか細い。カラスは生まれて間もない子猫を襲うと言うのをこの間テレビでやっていた。普通は親猫がかばうのだが、近くにはいないのだろう。
声の方へ足を運ぶと、威嚇するようにカラスが鳴く。けたたましい、と評するのが正しいだろう。いつもなら、襲われそうな声にヒヤヒヤしながら足早に立ち去るところだろう。
でも、今は違う。
後ろに小夜がいて、前からは絶えてしまいそうな声が聞こえる。
都合のいいことに火ばさみもある。もし襲いかかられたら、これで応戦するしかない。ぐっと力を込めて握り直すと、地面を踏みしめた。
かあ、とこちらを向いて鳴くカラスたちが遠巻きにする真ん中に、小さなものが見える。時折飛びかかるように嘴でつつくカラスが見えて、火ばさみを振り回しながら突入した。
勇気を振り絞るように喉から絞り出した声は言葉にならなかった。
カラスたちは駆け寄る僕の足音にぱっと散るように飛び上がった。が、何羽かは離れようとしない。無我夢中で火ばさみを振り回し、円の中心にたどり着くと、小さな存在がモゾリと動いた。
「大丈夫かっ」
相手は喋れない小さな猫だというのに、思わず声をかける。
火ばさみを放り出して両手ですくい上げると、手のひらの上の存在は暖かかった。
まだ生きてる。
手のひらに収まる小さな存在だけど、必死で声を上げようとしているのがダイレクトに伝わって来る。
でも、声にはならない。そんなにも消耗しているのだ。
すぐにでも病院に連れていかなければ。
立ち上がり、元来た道を戻ろうと踵を返すと、カラスと目があった。
かあ、ではなくがあ、と聞こえた。
カラスは頭がいいと聞いたことがある。自分を害した人間を覚えるという。
ホントかどうかは知らないが、目の前にいるカラスは間違いなく僕を睨んでいる。
飛び逃げたはずのカラスたちも戻って来ていた。今では僕をカラスたちが取り巻いている。
間違いない、僕を狙っている。
切り込んだ時の武器は放り出したまま、子猫で両手はふさがっている。
目の前でじっと僕らを見るカラスが一声鳴けば、取り巻くカラスたちが飛びかかって来るのではないか。せめてこの子だけは守ろうと体全体で手の上の存在を覆い隠しながらカラスの嘴が開いていくのを凝視する。と。
「こらあっ」
聞きなれた声と駆けてくる足音に、カラスたちがざあっと散った。目の前にいたカラスだけは僕の方をじっと睨むように見ていたが、ばさりと羽を広げて飛び去った。
「大丈夫かっ」
すぐそばまでやって来た住職は周りを見回している。
「僕は大丈夫です」
「なんかやたらカラスの声が聞こえると思って見にくりゃ、君がうずくまってるし」
「この子がカラスに襲われてて」
そうだ、のんびり話してる場合じゃない。慌てて立ち上がり、手の中のそれを見せると住職は顔色を変えた。
「こりゃ大変だ。病院行くぞ」
住職は首に巻いたタオルを外すと僕の手から子猫をすくい取り、小さな体に巻きつけるとさっさと踵を返した。ちらりと小夜を見れば、白い顔でじっと子猫を見ている。細い眉がほんの少しだけひそめられているのは気のせいじゃないだろう。
「僕も行きます」
「お? お、おお、いいのか?」
「……はい」
住職はタオルごと子猫を僕に預け、社務所に引っ込むと上着を手にすぐ出て来た。
駐車場に停めてある軽トラックの助手席に乗り込む。玄関で女の人が立っている。住職の奥さんだ。
思わず頭を下げた僕の手の上にコロリと置かれたのは、小夜の木でできた小さなお地蔵様だった。
思わず顔を上げると、住職は口をへの字に曲げている。
もしかしてと見れば僕の腕に小夜が座っている。
住職も小夜が見えているのだろうか。ちらりと見た横顔からはわからない。が、このお地蔵様が住職の思いを全て代弁してるように思えた。
◇◇◇◇
部屋に戻って来たのは夜遅くになってからだった。
子猫を病院に預けた後、住職に連れられて寺に戻り、奥さんの手料理までご馳走になってしまった。
あの寺とはなんの関わりもなかったのに、今ではすっかり家族みたいに扱われている。土日の清掃ボランティアに参加するのが決定事項になってたのには苦笑いするしかなかったけど。
「小夜」
お地蔵様のそばに、小夜はいた。
子猫を預ける時、あのお地蔵様も一緒に預けた。看護師らしき人は怪訝そうな顔をしていたけれど、先生は慣れているのか子猫と一緒に受け取ってくれた。
だから、もしかしたら子猫についているんじゃないかと思っていた。
「……遅かったの」
なぜか小夜の機嫌は悪かった。子猫は助けられたし(僕のおかげじゃないけど)、カラスもすっかり静まって、小夜の気がかりなことはなくなったはずなのに。
「どうかした?」
「……なぜ置いていった」
「え?」
「勝手に飛び出していって、気が気でなかったぞ」
「ええ?」
珍しく眉を逆立ててまくし立てる小夜の話を要約すれば、出がけに自分ーーつまりはお地蔵様を連れて行かなかったのが不満だったらしい。
それを、全て終わった今になって言うのはやはり、木だからなのだろう。感情の伝達が遅いとはいっていたが、こう言うことなのか。
「で、でも、最初にここに来た時に、ポケットの中はつまらなかったって……」
「肩に乗ればよかろう」
「肩に……」
肩にお地蔵様を乗せて歩く自分の姿を想像して、ガックリと頭を垂れた。ーーどこの変人だよ。しかもそれに向かってぶつぶつ話す僕。ドン引きだろ。
「何をバカなことを考えておる。地蔵は胸ポケットに入れれば良い。他の者には見えぬのだから、気にするな」
いや、気にするだろ、普通。
「次はないぞ」
僕が悶々と悩んでいるうちに、小夜はそう言い捨てて消えた。次って……。
樹木の精にしては気が短いようだ。
くすりと笑ってお地蔵様を取り上げる。
明日、病院に一緒に行くことになっている。というか気がついたらなっていた。
「一緒に行くか」
当然じゃ、と少々拗ねた声が聞こえた。




