コイコガレ
朝七時十五分、起床。
朝食は塗ったマーガリンの上に砂糖を掛けて焼くだけのシュガートーストとインスタントコーヒー。
九時前に出勤。でもバイト。いつになったらフリーターを卒業できるのかしら。
バイト先の喫茶店で笑顔を振り撒きながら接客。ここで私のことを見つける度に向けてくる笑顔は私の活力剤ね。
お昼のピークを過ぎた二時頃に一時間の休憩。お昼ご飯はまかないのサンドイッチ。ねえ、それで足りるのかしら?
三時頃に最大のピーク。とても忙しそうで、私がいたとしても見向きもしてくれない。とても寂しいけれど、こればっかりは仕方無いわね。
五時過ぎに退勤。相変わらず今日も疲れていて、私が癒してあげたくなるわ。
それから夕飯の買い物をして、帰ってくるのは六時過ぎ。これから夕飯を作るの。自炊をしてるなんて偉いわね。
七時頃に夕飯を食べはじめて、二十分で終わる。今日もなんだか寂しそうね。そんな寂しい顔をしないでほしいわ。貴方は一人じゃないのよ? 私がずっと見守ってるんだから。
洗い物を済ませると、そこからは自由な時間。パソコンとかスマホとか、色々やってのんびりしてる。ねえ? パソコンなんか見てないで、私を見てくれてもいいのよ?
就寝するのは十二時過ぎ。今日もまた随分と遊んだわね。もっと早くに寝れば朝がつらくないんじゃないかしら。私としては、貴方の楽しそうな顔が見れるからいいのだけれど。
そのあとは、翌日の朝七時十五分まで熟睡。私は貴方の寝顔を堪能してから寝るわ。今日もいいものが見れたわ。
これが、彼の毎日。
そして、それを見守り続ける私の毎日。
ストーカー? あらやだ、そんなこと言わないで頂戴。だって彼をこんなにも愛してしまったんですもの。ずっと一緒にいたくなってしまうのも、当然のことなんじゃないかしら。
それに、私は世間のバカ共とは違って、彼に危害を加えようなんてしないわ。彼の周辺の人物にもね。彼が楽しい日常を送れなくなってしまったら意味がないんだもの。私は今の彼が好きなの。
そこに私がいないことが少し残念だけど、でもいいわ。私は彼を見守ることができれば十分だもの。
……なんて、考えていた頃が懐かしいわね。
全く、私も迂闊だったわ。ストーキングに夢中になり過ぎて、雨が降りそうなことに全く気づけなかったんだもの。
お陰で私はずぶ濡れ。挙げ句の果てに彼に見つかって、家にあげられて。そこからずるずると居候をすることになってしまったわ。なんていう失態。
でも彼も彼よね。お店で顔を会わせる程度の仲だった女を、こうも簡単に家にあげてしまうんだもの。不用心なのは良くないわよ。居座った私が言うのもなんだけど。
朝七時十五分、一緒に起床。
簡単な朝食を済ませる。
今日は彼はバイトじゃないから、家で私と二人きり。まったりとした時間を過ごす。
確か、明日も休みだったわね。一緒にいられて嬉しいわ。
彼の方に近付いてみると、彼は私の方に手を伸ばしてくれた。そして隣に座ると、彼は私の頭を撫で始めてくれる。あら、よくわかったじゃない。そうよ、触れてほしくて貴方に近づいたの。
見守っていられればそれでいいと思っていたけれど、こんなに近いところにいると、どんどん彼のことが欲しくなってしまう。こんな私はワガママかしら? でも、恋ってそういうものよね。
頭を撫でていた彼の手が、段々私の背中の方へと降りてくる。あら、どこまで触るつもり? 確かに私は貴方に触れてほしかったけれど、でも今は全てを許す気分じゃないのよ。
私は彼の隣から離れた。すると彼は少しだけ寂しそうな顔をしたあと、パソコンを立ち上げて作業を始めてしまった。あらなによ、そっちの方が大事なの?
それはなんだかとても許せないから、私は彼の背中に近寄ってくっついた。なんだかムシャクシャするから、私の香りを徹底的に貴方につけてあげるわ。貴方は私の香りを纏っていればいい。
彼はそんな私に対し呆れたように少し笑うと、手を後ろに出して私の頭を撫で始めた。仕方無いわね。今日のところはこれで許してあげるわ。
夜。
彼が敷いた布団の上に、私が先に転がり込む。
今日は一緒に寝ましょう? 私の肌で貴方を暖めてあげるわ。
そんな私の誘いに素直に応じてくれる彼。可愛いものだわ。しかも私のことを撫でちゃって。そんなに撫でるのが好きなのかしら? すっかり私の身体に魅了されたわね。早いものだわ。
一緒の布団で暖まり、心地よい闇に身を委ねながら、私たちは眠りに落ちていく。お休みなさい。貴方と寝られて私は幸せだわ。
翌日。今日も彼は休み。でもいつもの休みとはどこか違った。
彼はどこかにしまっていたらしいリングにチェーンを通してネックレスにし、首につける。あら、そのリング、私が贈ってあげたものじゃない。持っていてくれたのね。嬉しいわ。
彼の顔はどこか悲しそう。どうしたのかしら。なんでそんな顔をしているの?
悲しい顔のまま、彼は家を出ようとする。一度振り替えって、私の方を見た。なによ、置いてくつもり? 私もついていくわ。
私は彼と一緒に家を出た。
こうやって彼と並んで歩くのは初めてだわ。初デートじゃない。もっと楽しそうな顔をしなさいよ。
彼はどういうわけか悲しい顔のまま歩く。そんな顔をしないでほしいのだけれど。
彼の顔はとうとう明るくならないまま、一度花屋によったあと辿り着いたのは墓地だった。そして、とある墓の前に立ち花を添える。
ああ、今日は命日だったわね。
私の。
いつのことだったかしら。私は死んだ。事故だったかしら。それとも病死だったかしら。あるいは殺人? なんかその辺はどうでもよくて忘れちゃったわ。死の記憶って曖昧になるものなのね。
死ぬ前は、彼とちゃんと付き合っていたのよ。ストーカーでもなかった。でも、彼のことを愛しているという点は今と何も変わらないわね。この愛は不滅だわ。
その愛が強すぎたのかしら。私は死んだあと、直ぐに彼のもとへ戻ってくることができた。だから、今こうして貴方のとなりにいるんじゃない。そんなに泣かないでほしいわ。
確かに、私は今、生前の面影は全くない。だって人間じゃないんだもの。だから、貴方は私のことを私だと思ってないんでしょうね。そりゃあ、一匹の黒猫のことを私だと思う方が難しいとは思うけれど。
でも、貴方は私を見つけて、私を家に入れたじゃない。そして、一緒に暮らしているじゃない。私はそれで十分だわ。
ねえ、私たち、いつまでも一緒なのよ?