1日目:花火の夜に(2)
澪継市の花火大会は曜日に関係なく、例年お盆の15日に行われている。なので花火大会の開催が土日であるとは限らない。
今年の花火大会もまた月曜日であったが、お盆である為か平日でも人出は多かった。
彼女たちが会場に着いたのは花火大会が始まる一時間ほど前であったが、会場である刀音川の河川敷は既に人で溢れかえっている。彼女たちは人ごみの中を練り歩きながら苦戦して場所を探し、やっとのことで確保した席に座り込んだ。
露天での買い出し組だった奈由と杏季も合流し、一息ついたところで、潤は隣で楽しそうに生クリームを頬張る杏季に尋ねる。
「おいあっきー。それはなんだ」
「くれーぷ!」
にこやかに杏季は答えた。
「ゆ・う・ご・は・ん、を買えって言ったよなぁ私は!? 夕飯になんねーだろそれ!」
「後で別の食べるからいいもん!」
杏季は口を尖らせた。潤は溜め息をついて、杏季からクレープを取り上げる。
「いいからまずはお好み焼きでも食べてなさい! クレープはデザート! まったく目を離すと甘い物ばっかり食いやがって!」
「うわぁん返してよつっきー! 甘いモノに人権はないんですか!?」
「あるわけねーだろ!」
潤は高く頭上に彼女のクレープを掲げる。背の高い潤に没収されては、杏季では手が届かない。取り戻そうと試みるが、やがて杏季は諦め、大人しくお好み焼きに手を伸ばす。
傍らではやきそばを食べていた春が、はっとして顔を上げた。
「そうだ。肝心なことを忘れてた。まだ、あっきーとなっちゃんの浴衣姿を撮ってない。二人ともそこに並ぶんだ!」
「させるか変態」
彼女の発言を聞き咎め、潤は素早く奈由の前に身を乗り出しガードする。春は笑顔のまま、携帯電話を構えて潤に詰め寄った。
「何だい、つっきー、そんなにも自分が撮ってもらいたいのかい? そうかそうか仕方ないなぁ、じゃあ期待に応えてお姉さんがつっきーを被写体としてあますことなく撮ってあげるよ。大丈夫怖くないからお姉さんに身をゆだねて御覧!」
「望んでねぇ! 危機感しかねぇ!」
「安心してくれつっきー。なっちゃんやあっきーの浴衣姿もいいけれど、一番いいのはタラシのだから! タラシの身体の部位別にフォルダ分けコレクションしてあげるから!」
「そんな安心いらねぇよ! ていうか完全アウトだよその所業はよ!! 携帯折るぞ貴様!」
「二人とも、邪魔です」
たこ焼きを頬張る奈由に二人は冷たくいなされる。
そうこうしているうち。聞き流していた司会のアナウンスが不意に止み、会場には観客のざわめきだけが残った。
やがて、胸に響くドンという重低音と共に、夜空には大輪の花火が弾ける。
「たーまやーっ!!」
手を掲げ、潤は楽しそうに叫んだ。最初の一輪の花火を合図に、川の上空には次々と花火が上がり始める。
四人の位置からはまんべんなく花火が見渡せた。川からは少し離れているが、空に打ち上がる花火を見る分には支障はない。
黄色の花火が打ち上がり、奈由がそれを指差す。
「……ナトリウム」
彼女の意図を察し、続いて上がった緑の花火に、今度は春が叫ぶ。
「銅!」
「あっくそ変態に先を越された!」
同じく奈由の遊びに便乗しようとした潤が悔しげに言う。してやったりと笑みを浮かべながら、しかし春は首を傾げた。
「でも緑って確かもう一つくらいあったよね?」
「バリウムだよ」
「そうそう、それ! さすがなっちゃん! あ、カルシウム!」
奈由に話し掛けながら橙の花火を見て潤が叫んだ。
潤が夢中になっている隙に、すかさず取り戻したクレープへかぶりつきながら、杏季は小声で奈由に尋ねる。
「炎色反応?」
「そうそう。あ、カリウム」
肯定しながら、打ち上がった紫の花火へ奈由はすかさず答えた。よく分かるねぇ、と呑気な声で一人参戦せずにいる杏季は、四人の中で唯一文系だ。
消えた花火の後に残る硝煙が風に流される。少しの静寂の後に一筋の光が昇り、一つだけ、大きく白色の華が咲いた。
「「「マグネシウム!!」」」
三人で同時に叫んで、つられた杏季も交えて四人で笑った。
夢中で花火を楽しんでいるうち、やがて河川敷には静寂が訪れる。スピーカーから流れてきた放送を聞けば、プログラムの三分の一程度が終わり一段落付いたところらしい。気付けば、既に花火大会の開始から四十分近くが経過していた。
おもむろに杏季が立ち上がる。
「こうしちゃいられない! 今のうちに、買い物行ってくるね!」
「今度は何買ってくるの?」
お好み焼きと焼きそば、クレープを平らげて、あらかたお腹は満たした筈の杏季に、春が不思議そうに尋ねる。
「ところてん! 珍しいけどさっき見つけたの!
こういう時じゃないとなかなか買わないし、行ってくるー!」
浮き足立ちながら、杏季は颯爽と屋台の立ち並ぶ方へ駆け出して行った。
「大丈夫かなあっきー。迷子にならんかな」
焼きイカを齧りながら潤が杏季を見送る。そのイカを一口横取りしながら、春は気楽な口調で言う。
「意外と方向感覚はしっかりしてるから大丈夫でしょ。それより心配なのは」
「転ばないかな」
「……そう、そこだよね」
心配そうに春は杏季の消えて行った方角を眺めた。
十分後。
意気揚々とところてんを購入した杏季は、段差に躓いて見事に転んでいた。
体には転んだ時の痛みが走ったが、しかし地面に顔を伏したまま、彼女はそれ以上に絶望に打ちひしがれていた。
彼女の前方には、買ったばかりのところてんが地面にぶちまけられている。
一口も口を付けていない、ところてんが。
自然と涙目になり、杏季は小さく呻き声を上げる。
この場に偶然居合わせた浴衣姿の少年が、驚いて一部始終を眺めていた。彼の手にはたこ焼きにじゃがバターの入った袋とかき氷が握られている。
そして足元には、杏季の落とした無残な姿のところてんと、一緒に落とした巾着が転がっていた。
状況を把握した少年は、かき氷のストローを咥えたまま、足元に転がっていた杏季の巾着を拾って彼女の頭の近くに置いた。
「……どうぞ」
そのまま立ち去ってしまっても良かったのだろうが、余程も杏季が不憫だったのか、彼はそのまま座り込んで彼女が顔を上げるのを待つ。
やがて杏季は涙目のままゆっくりと顔を上げた。一メートル先に転がるところてんの成れの果てに顔を歪めてから、すぐ近くで自分を見つめる人の存在に気付き。
そうして彼と目が合う。
「……!?」
思わず杏季は顔を引きつらせ、素早く跳ね起き後ずさった。何かを言おうとして口を開くが、声にならない。
「だ……大丈夫デスカ」
心なしか片言だったのは、彼なりの困惑故であろう。杏季は口をぱくぱくさせ、何とか言葉を絞り出す。
「だ、……です!」
しかし、「大丈夫です」という返答は最初と最後しか言葉にならなかった。
「あーあー、買ったばっかなのに可哀相に」
心底同情したような声色で少年はところてんを眺める。すると彼はおもむろに自分の持っていたかき氷を杏季に手渡した。
「どーせもう一個買ってあるから、これやるよ。俺、レモン味のが好きだし」
目を瞬かせ、杏季は自分の手に収まったいちご味のかき氷を眺める。ワンテンポ遅れて状況に気付き、杏季は彼にお礼を言おうと顔を上げた。
「……あ、あの」
「それは落とすなよー」
だが彼女の言葉を聞く前に、少年はさっさと立ち上がりあっという間に立ち去ってしまった。後には、きょとんとしたままの杏季が残される。
しばらく杏季は彼が去った方角を呆然として見つめていたが、再開された花火の音にようやく我に返った。
「……ストローない、けど」
そして何故かスプーンもストローも何もないかき氷を見つめ、首を傾げた。
彼は彼で歩きながら、何かが引っかかったような表情で、かき氷のストローを咥えたまま首を傾げる。
「……どっかで、見たことあるような」
深緑の浴衣を着た少年、ワイトは、考え込みながら人混みの中を歩き、連れのいる場所へ向かった。