☆前夜祭アルマンド
女子高生たちが、踊り狂っていた。
突如、体育館内に流れ出した軽快な音楽。それに合わせて、彼女たちは踊っていた。
前後左右に足を蹴り出し激しく動くせいで、スカートがめくれそうなくらいひらひらと舞うが、構うことはない。
八月の真夏日に第一体育館へ集った数百人あまりの生徒たちは、さっきまで律儀に整列していた筈だった。だが音楽が流れ出すや否や、その列はあっけなく崩れ、体育館いっぱいに広がりそこここで踊り出している。館内に教師の姿はどこにもなく、居るのは生徒ばかりであった。
『レディース! エーン! ジェントルメーン! ってあっやべジェントルいなかった!
麗しいお嬢様方、このクソ暑い最中に! 御っ機嫌よーう!』
マイクを通じて快活な声が体育館内に響き渡る。威勢のいいその声は一瞬だけ音楽をかき消し、踊る生徒たちの視線を前へ向けさせた。
舞台下にある演台にてマイクを握りしめた二人の女子高生は、やや早口に先を続ける。
『はーい、なんか先に曲がかかっちゃったけど、つまりはそういうことですね!』
『先生たちはちょーっとまだ時間がかかるみたいなので! ただ待ってるだけじゃ勿体ないし? 夏休みボケをリフレッシュするにはいい機会ってことで、せっかくなので踊りましょう!』
『という訳で皆さん、いっちょ準備はいいですかー?』
踊りながらに、おー、という生徒たちの掛け声が聞こえる。皆の反応ににやりと笑い、司会席に立つ二人は同時に右手を上げた。
『それでは、レッツ・ダンス!』
二人の台詞を合図に、前奏が終わった曲はAメロへ突入する。
生徒たちは勝手知ったる具合に、嬉々として更に勢い良く踊り始めた。
その頃。
「何で踊ってるんだよ……」
「そこで曲がかかってるから、じゃね?」
「黙れよ……」
生徒たちが集まった体育館。その二階部分にあたるギャラリーにて、彼女たちの様子を秘かに窺っている二つの影があった。
彼らは共に半袖の白いシャツと黒のスラックスとを身に着けている。二人もまた、下の階で踊る彼女たちと同年代の男子高校生のようだった。
しかし、一つ大きな問題がある。
ここは男子禁制の女子高校であった。
「女子校怖ェ……超怖ェ……」
おもむろに踊り始めた女子高生たちに対し素直な感想を漏らしてから、童顔の気怠そうな少年はオペラグラスから目を離し、傍らにいるもう一人の少年に話しかける。
「アオ、何アレ。何なん、何でみんなで踊り狂ってるわけ」
「俺だって聞きてぇよ……。あとそれ今は止めろ。今は『グレン』だ」
「なあグレン、あの振付どうかと思うんだけど」
「全力で知るかよ」
げんなりしながら、グレンと呼ばれた少年は胡坐をかいた自分の膝で姿勢悪く頬杖を付いた。
「何でただの集会で踊り始めんだよ……おかしいだろ……」
だが目を離すことは出来ずに、グレンは呆然と目の前の光景を眺める。もう一人の少年もまた視線を戻し、不思議そうに首を捻った。
「あと何。何で選曲が米米クラブなわけ。何で最近の曲とかじゃないわけ」
「だから俺に聞くなっつんだよ」
肩を落として、遠い眼差しで彼は盛大に溜め息を吐く。
「つぅか何で俺たちはこんなことやってんだよ。もっとマシな方法はなかったのか」
「だよな。もうちょっと俺は女子校に夢を見ていたかった」
隣の少年の発言に、グレンは訝しげな目線を向けた。
「……お前、今回の作戦にいつもよか若干乗り気だったのはそれでか」
「でも結果的に来なければ良かったと反省している」
「てめぇ……」
「あとどうせなら前奏の時にもっとガン見しとけば良かったと反省している。今の振りだと全然スカートめくれない」
「お前マジで何しに来た」
彼は口を引くつかせるが、すぐ諦めたように息を吐き出した。
「まあいい。さっさとやることやって撤収するぞ、ワイト」
「へーい」
言われて、ワイトと呼ばれた少年は、ポケットから手の平に収まるサイズの透明な八面体を取り出す。八面体の中心部分には同じく透明の球体が組み込まれており、球体の中に入った液体がゆらゆらと波立っていた。
「今回こそは当たりますように、と」
言って、ワイトは駒のようにその八面体を回す。
しばらく息をひそめて見守っていると、やがてぼんやりと球体部分の色が変わり始めた。正しくは、変わっているのは球体内部の液体の色だった。最初は透明であった液体へ、ぽとりと絵具を落としたように黄色の筋が伸びる。細い線を幾重にも描きながら、液体は次第にはっきりとした黄色に染まっていった。
それを確認し、彼らはまたかといった風に緊張していた息を吐き出した。
「やっぱりか。ま、どうせ期待はしてなかったけ――」
言いかけた最中。彼らは、再度息を止めた。
黄色だった液体は、ゆっくりとまたその色を変化させていた。やがて黄は鮮やかな緑に代わり、その緑も色を次第に濃くしている。青へ変わろうとしているようだった。
「……なあ、これって」
「まさか……」
上ずった声を抑えながら、彼らは顔を見合わせる。もしやという期待に心躍らせて、彼らは続きを見守る。
が。
パリンという音を立て、八面体は突如、砕けて割れた。球体の中からは、どろりと液体が流れ出す。
「んなっ……!?」
「感心致しませんね。シー・レーダーでこそこそと私たちを調べあげるとは」
どこからか凛とした声が静かに響く。
グレンは弾かれたように立ち上がった。慌てて周囲を見回すが、彼ら以外に他の人影はない。
声の主は自分の姿を隠したまま淡々と続けた。
「それを差っ引いたとして、殿方の貴方たちが女子校に忍び込んで高みから観察とは、穏やかな話ではありませんよ。
加えて、貴方たちの取った行動――誰の差し金か存じませんが、どういう意味なのかは判っているのでしょう?」
「っ……!」
じりっとグレンは一歩後ずさる。足元に広がった液体が、じわりと黒く滲んだ。
遅れて立ち上がったワイトを一瞥し、彼は短く伝える。
「退くぞ、ワイト!」
「ちょ、えっ!?」
言うなり彼は空いていた窓に駆け寄る。長いロープのようなものを下まで伸ばし、彼は窓から一気に下へ滑り下りた。遅れをとったワイトも慌てて後に続き、その場を立ち去る。
彼らが去ったギャラリーでは、物陰からすっと一人の少女が姿を現していた。彼女は先ほどまで彼らのいた場所に歩み寄り、球体の欠片を拾い上げる。
「……弱りましたね」
彼女は右手でそっと破片を握りしめた。
「しかし幸いなことに……あれならまだ誤魔化せる。
これは、……少々、彼女たちに協力してもらわないといけないかもしれません」
悲痛な面持ちで、彼女は唇を噛み締めた。
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体育館が見えなくなるところまで逃げてから、ようやく彼らは立ち止まった。
息を落ち着かせながらワイトが尋ねる。
「最後まで確認しなくて良かったのかよ」
「レーダー壊された上に見つかったんだぞ。あれが何だか知ってた奴だ。長居したってリスキーなだけだろ」
同じく息を切らしながら、グレンはブロック塀に寄り掛かった。
「それに。ああいう奴が出てきたってことは、俺たちの探してる奴がいる可能性は高いってことなんじゃねぇのか」
「それが、探してる属性の奴かは分からないけどな」
「それでも、だ」
グレンは静かに告げる。
「澪女生の中に、適合者がいる」
彼は唇を引き結び、目を細めてじっと高校の方角を見つめた。
――これはまだ大人になりきれない高校生たちの、甘っちょろくて少しだけ苦い、愉快で悲壮な人知れぬ戦いの記録である。