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それでも現実は変わらない。
集合場所は、洸とカンナの居た場所の近くにあった廃ビル。そこはゲーム時代、戦闘に出掛けていく際のギルドの集合場所として使っていた場所だった。
取れかけた看板から察するに、恐らくもとは多くのテナントの入っていたビル。中に入ればどれ程の時をこの自然の中で過ごしてきたのか、壁や床に苔や蔦が多い茂っている。
‘いつも’の部屋を自分の視覚で感じ取れば、なるほど意外に広い部屋である。隣にいるカンナも部屋を見渡している。
こうしてみると、エルダー・テイルの世界を五感で感じ取ることができるというのも悪くはないものかもしれない。
―――――ッ
「誰…?」
後ろからの気配に視線を向ければ、そこに現れた姿はある意味では初めて見るものでありながらも画面の中では見慣れた姿だった。
「…洸、だよな?」
「兄貴…ですよね、もしかしなくても」
問いかける言葉はどちらもどこか他人行儀で、普段ボイスチャットで会話していたときのような親しさは感じ取れない。当然と言えば当然なのだが、やはりこの世界の姿を己の視覚で確認することは初めてであるが故のぎこちなさである。それがわかっているからこそ自分の口調がなんだかおかしく、思わず笑ってしまったのは洸だけではなかった。
三人の笑いが収まれば、改めて向き合う。洸が兄貴と呼んだのは〈追憶の彼方〉が誇る狼牙族の鉄壁の守護戦士、大神。兄貴というのは渾名であり血縁関係にはない。とは言っても、比較的頻繁に連絡を取り合いお互いの都合が合えば食事に行ったりしていたので洸からすれば兄貴分として大いに慕っていた。
狼牙族であるため獣耳など通常は見ることのない部位はあるものの、体格は元々良いため大きな変化はなかった。この気の良い兄貴は本格的な大工というものを生業としており、体力はある方だった。面倒見の良い性格から、後輩たちからは慕われていた。
「いやー、しっかし大変なことになっちまったな。まさかエルダー・テイルに入り込んじまうなんて思ってもみなかったぜ、まったく」
「私一度は来てみたいと思ってましたよ、この世界に。だって憧れるでしょう?剣と魔法のファンタジーの世界。もっともこんな形で来たくはなかったけど」
「だよね、姐さんもやっぱり来たいと思ってたよね!俺もさ、やっぱりゴブリンとか見てみたかったし!あれってペットにできたりしないかな?意外とかわいい気がするんだよね、ゴブリン。尊をそう思わない?」
「私、動物あんまり得意じゃない…。ゴブリンって動物なのかしら、御神」
「「「……いつ来た、暗殺者コンビ」」」
「「あ、お待たせ」」
音もなく気配もなく、暗殺者としては申し分ない行動でいつの間にか会話に混ざっていた尊と御神。侮れない二人だと思いつつ、御神は基本的に頭が弱い為その凄さが際立たない。何とも残念なことではあるが、それが御神なのだ。尊はと言えば生真面目であるが故に、御神の馬鹿発言にもきちんと付き合ってしまう。いいコンビではあるのだ。
「とりあえず、半分は集まりましたからこれからについて話し合いましょうかギルマス」
普段はほぼ仕事の無いギルマスだが、今回ばかりはそうもいかない。
半分は、ということだがもう半分はすぐには合流できないとの報告を受けている。
「現状いつ帰れるかわかりません、やはり何処か拠点に移動するべきかと。野宿するのもいいけど、それにしては何が起きるかわからない。宿屋に泊るのもありかもしれないけど、街には僕らと同じような冒険者が大勢いますから部屋があるかどうか」
最初に目を覚ました時、洸の周りにはそれ程多くはないが冒険者がいた。多くの者は混乱し、NPC相手に掴み掛る者や悲観して途方に暮れる者ばかりだった。仮にノウアスのフィアの開墾の導入時にログインしていたプレイヤー全員がこの世界にいるのだとしたら、何万人という規模のプレイヤーがいるということになる。
アキバの街を拠点にしているプレイヤーは多いため、この街に現在いる数もそう少なくはないだろう。そうなればやはり拠点にすべき場所はあそこしかない。
「ギルドホール、だよなやっぱり」
「それが妥当な判断でしょうね。〈追憶の彼方〉としてギルド会館に部屋は借りていますからね」
僕らも零細ギルドとはいうものの、メンバーそれぞれの能力は高い為ギルドとしての資金は十分持っていた。そのおかげで人数の割には広いホールを所有していたのだ。
ギルド会館には足を運んでいないため現状機能しているかは定かではないが恐らく使用可能であるはずだ。
行動の指針が決まればその場に留まる理由はない。移動中後ろからは御神の能天気発言が続いているものの、その発言が洸たちを和ませるものになったのだから多少は役に立っている。もっとも尊に関しては彼の能天気発言に対して真剣に向き合っっていた為に、ギルドホールに着く頃には心配のし過ぎで胃が痛くなってしまっていたが。
「あり得ん、こんなことがあって…」
ギルドホールに着き、食事でもと思い各々バックから食料アイテムを取り出し口にしてみればこの状況だ。
味がしないのだ。例えるならばそれは味のない煎餅をふやかしたようなもの。美味しさの欠片もないものである。
食事に対しての思いが人一倍強い大神にしてみれば食事とは認めたくないものだった。戦闘において健康な身体が資本となる、そしてその身体作りには美味しい食事が欠かせないというのが大神の自論だった。
「うわ、こんなまずいものあるんだね!ある意味斬新!食べ続ければ病み付きになったりするかもね!」
「それだけはないと思うよ、御神」
相変わらずの能天気発言に思わず突っ込んでしまう尊。
大神のように放心状態に陥る者はいなかったが、皆口にするのを躊躇った。味がすることがここまでありがたいことだとは、そしてまさかそのありがたみをこの世界で感じることになるとは誰も予想していなかっただろう。
「俺、しばらく厨房にこもるわ…」
力なくフラフラと動く大神の姿はギルドホールの厨房へと消えていった。
今日は、とひとまずそれぞれの部屋へと解散していくことにした。それはもしかしたら寝て起きればいつもの生活に戻っているかもしれないという淡い期待を抱いての行動だったのかもしれない。
「光、ちょっとだけいい身体つきになってたかも…」
部屋のベッドで横になっていたカンナは呟く。ずっと一緒に過ごしてきた洸とカンナ、もとい光と弥胡はお互いがお互いのことを理解しているものと思っている。
どちらかと言えば華奢な光は、身体を動かすことを苦手としていた。もっとも苦手とは言っても並の程度ではあるのだが。運動を好まないのだから筋肉が付くはずもなく華奢なのも当然である。
この世界ではキャラクターの身体であるため現実とは若干の差異も生じる。光の場合は現実よりも身体つきが良くなっていたのだ。長いこと光の横に立っていた弥胡からすると、なんだか新鮮なのである。人間ではなくハーフアルヴであるから顔つきも変わるはずなのだが、そこはどことなく現実のそれに近い。
光の、いや洸の瞳にはカンナである自分はどのように映っているのだろうか。現実と変わらずに自分のことを想ってくれているのだろうか。
変わらずに恋人として見ていてくれてるのだろうか。
いつもならば考えもしないようなことが漆黒の闇となり渦巻いているのは、きっと今までにない経験をしているからだ。自分も、ちゃんと人間だったのだ。
いつになく感傷に浸る自分に笑いながら眠りにつくのだった。
「果たして何を準備すべきか…」
真面目に今後の生活で必要となるものをリストアップしているのは尊だった。部屋のデスクでペンを握り紙に書きだす姿はいつも通りの彼女である。
元々生真面目な性格である彼女は、ギルド内では備品の管理を任されていた。彼女のおかげでポーションなどのアイテムが足りなくなることは〈追憶の彼方〉においてはあるはずのないことと認識されていた。どのタイミングであってもギルドの備品の数を正確に把握している彼女の評価は高いものだった。もっとも心配性であるが故に必要数の1.5倍は仕入れようとするため、ギルドの財布を握っているカンナから怒られることも少なくはないのだが。
どんな時でも仲間が少しでも快適に過ごせるように自分のできることを。その思いが今こうして彼女を行動させているのだ。
考えれば考えるほど心配は尽きない。経験したことのない世界にいるのだから当然なのだが、そのことは彼女にとっては言い訳にしかならないのだ。
「料理は…買うのは控えましょう」
何を食べても味のない煎餅をふやかしたようなもので、何を飲んでも水の味しかしない今NPCの商店で料理を買う利点は存在しない。今ある物を食べれば十分だ。
早くも次の紙に書きだしているこのリストを、明日の朝には完成させカンナに予算請求をしなくては。
考えれば考えるほど思考回路が複雑化し、思考の迷宮に陥るような感覚に囚われる。情報が圧倒的に少ない今、迷宮を進もうとすればするほど謎という茨に行く手を阻まれる。
洸の頭をもってしてもこれ以上進むことは困難だった。情報量の足りなさは明白で、ゲーム時代のエルダー・テイルの情報はある程度は頭に入っているもののノウアスフィアの開墾の導入によって新たに追加された情報についての確認が取れないのである。今までならば攻略サイトで情報を確認することで行く手を阻む茨を断ち切ることもできたが、今となっては不可能でありそのことがまた洸を悩ませる。
戦闘時の行動不能、つまり死を迎えた場合に果たしてゲーム時代同様大神殿で復活するのだろうか。
情報として確認するにはリスクが高い。高すぎるリスクに試してみようなどと安易には考えられない。
この世界では無知であることほど自分を弱くするものはない。情報戦になることは間違いないだろう。日本サーバーにおいて策士と名高い洸にとっては願ってもない土俵上での勝負ではあるが、厄介ごとには巻き込まれず過ごしたいと思うのも本音である。明日から情報を仕入れていくことを考えていかなければと思いつつ眠気には勝てないと部屋の明かりを消した。
「ご飯美味しくないのがなー…」
自分の好きなエルダー・テイルの世界に来れたことは嬉しいとしか思えないのが御神だ。魔法もあればゴブリンもいる。やっぱり一番気になるのはゴブリンをペットにできるかどうかだよなー、なんて暢気すぎるかなとも思いつつも難しいこと考えてもなー、と思うと難しいこと考える気は失せてしまう。
いわゆる勉強はできる馬鹿である御神は、その馬鹿さ加減が何とも言えず愛されキャラだった。楽しければいいという精神に則りエルダー・テイルにのめり込んだ。職業もなんかかっこいいという理由から暗殺者を選んだ彼は、当初のサブ職はちんどん屋。ちんどん屋なんて職業を自ら選ぶ者がいるとは、と周りに囁かれたものの当の本人は全く気にしていなかった。ちなみに、御神はちんどん屋が何かわからないもののなんとなく楽しそうというだけの理由から選んだのだという発言を聞いて、あいつらしいと妙に周りは納得していた。
御神の由来は太陽神アマテラスからであり、似たような理由でスサノオから名前を取っている尊とはなんだか気の合う間柄だった。暗殺者コンビとして通称・双子神と呼ばれている。
そんな彼の頭の中にはどうしたらゴブリンをペットにできるのかということと、美味しいご飯が食べたいということでいっぱいであり非常に楽観的だ。今のギルド内である意味一番の強者は御神なのかもしれない。