12-1 水の主護者、センリ・イールレイス - No side -
「センリ……」
名を呟いて、フィルは小さく深呼吸した。次いで視線を落とし、傍に落ちていたこぶし大の瓦礫に目を止めると、即座に掴んで銀髪に向かって全力で投げた。
一直線に飛んできた瓦礫を、センリは後ろを見もせず、一歩左に動いただけで避けた。瓦礫はギータの左横に立つ柱の上端を砕き、欠片と共に床に落ちた。
センリは驚愕したままピクリとも動かないギータから視線を外し、ゆっくり振り向くと、
「……助けてあげたのに、そんなことするんだ?」
にっこり笑い、優しい口調で訊いた。
フィルはセンリを睨み、低い声音で返す。
「"助けた"だって……?
――冗談じゃない。ひとをきっちりまき込んで、押し流したくせに」
「汗と埃まみれで汚いから、洗ってあげたんだよ」
「……水を吸い込むまで待ってたね」
「喉も乾いてそうだったからな」
「…………それに、現れたタイミングが良すぎる。僕が死にかけるまで、どこかからずっと見ていただろ」
「ご名答♪ おかげで良いものが見れたよ。
いつも済ました顔で、クソガキや側近達に守られている万年引きこもりのあんたが、虫みたいに地に這いつくばるみっともない様――とかね」
「……ほんと嫌な奴……」
小声で言って、フィルは長い溜め息を吐いた。
センリはふっと笑い、瞬時に視線をギータに戻した。途端。
ズバシャァッ!
センリの前に巨大な炎が生まれ、そしてほぼ同時に現れた水流に飲まれて霧散する。
「――チッ!」
炎を生み出した本人――ギータは正面に突き出した右手を下げ、盛大に舌打ちした。
センリはギータに向き直り、
「何? そんなに早く死にたいの?
仕方ないなぁ。じゃ、まずはあんたを殺すよ。ちょっと待ってろ、黒医者」
「…………今度は僕に当てるなよ」
溜め息交じりで呟き、フィルは腰を下ろして横座りになる。
ギータは無理に笑顔を作ってから、はんっ、と鼻で笑い、
「殺すですって? アンタなんかに殺されるわけないでしょ? 死ぬのはアンタの方よ」
「水系の俺に火炎系の術を使ってきた、術の相性すらわかってない奴に負ける気はしないな」
センリはにこにこ笑顔で応えた。
その勝気な発言に、ギータの顔から笑みが消える。一秒後には、苦虫を噛み潰したような表情に変わり、
「……ちょっと姉さん! なんで侵入者のこと教えてくれなかったの!?
アタシにくれたのは嬉しいけど、どうせなら虐殺部屋に送ってよ!
今凄く良いところだったのに邪魔されたじゃない! どうしてくれんのよ!?
ねぇ、聞いてるのねえさ――」
「呼んでも無駄だよ。モニタールームにいた奴なら、故障した核心部を直すのに夢中だから」
「な……っ!? 故障!?」
「確実に獲物を仕留めるための下準備ってやつさ。
冥途の土産に教えてあげるけど、俺がこの要塞に入ったのは三日前だよ。それからすぐにメインシステムを乗っ取って、監視カメラであんた達全員の動向を見てたんだ。で、あんた達のことも内部構造もある程度わかったし、邪魔になるからこの部屋に来る前に壊したってわけ。
あぁ因みに、要塞が落ちる心配はしなくていいよ。原動機には手を付けてないから」
「う……うそ……うそよそんな……
このアタシが、アタシ達が……そこまでされて気付けないわけが……」
「落ち込むことはないよ。仕掛けもシステムも上出来だった。自信持っていい。
――ただ相手が悪かっただけ。俺は超一流なんでね。
ずっと探してた獲物が一人で飛びこんで来たからって、疑いもせず喜んでいたあんた達とは格が違うんだよ」
穏やかに言って、センリは右手に大振りのナイフを現わした。その手を悠長に動かして、肩の高さで刃の先を上に向ける。
「ねぇ、ところで――
あんた『変異型』? それとも『憑依型』?」
「…………はぁ?」
唐突にされた質問の内容がよほど意外だったのか、わけがわからない、と言いたげにギータは首をひねった。
センリは変わらぬ笑顔のまま、ナイフを軽く傾け、
「あれ? もしかして、知らない?
魔族とは違って、悪魔はトランスして異形の姿になるか、契約するか強引に乗っ取るかして他人に憑依すると、少しだけパワーアップ出来るんだよ。どれくらい力が上がるかは個人差だし、どちらか片方しか出来ないけど。
――でも驚きだなぁ。何千年も生きてるくせに、そんなことも知らないとはね。外見だけ若く見せたって、醜い年増だっていう事実は変わらないんだから、美を追求して時間を無駄に使うより、もっと知識を付けた方がいいと思うな」
言葉は完全に嘲るものだが、口調はまるで子供を諭す時のように優しい。
その差異は、汚く罵倒するよりも、ひどくギータを苛立たせた。
「バカにしないでくれる!? それくらい知ってるわよ!
な、ん、で! そんなこと聞くのかってことよ!」
怒りで顔を赤く染め、ギータはドスのきいた声を張り上げた。
「あぁ、そういうこと。
だって、俺は殺すまでの過程を大事にしてるからね。嬲るのも良いけど……ターゲットが怯えて逃げて隠れて、懸命に抵抗して――それでも敵わず、死を悟った時の絶望した顔を見るのが何よりも好きなんだ。だから、全力を出してもらわないとつまらないんだよね。
――で、どっち?」
爽やかに問うセンリを睨みつけ、ギータは半歩下がった。次いで右手に、長さ三十センチほどの銀の棒を現し、
「教える必要なんてないわ!」
吠えると同時にセンリの懐に入り込み、喉に向けて棒の先を突き出す。
センリはナイフを左に振り、棒をあっさり払いのけると即座にその手を右に振り抜き、柄尻でギータのこめかみを殴った。ギータは目にもとまらぬ速さで頭から吹っ飛び、ドゴォッ、と派手な音を立てながら壁の中程に衝突した。もうもうと上がる土煙により、ギータの姿が見えなくなる。
センリはナイフを下げ、煙が晴れるのを待ってから、
「炎は効かない、技は劣る、動きは遅い……
これだけ実力に差があるのに、まだそう思う?」
大きく円形に陥没した壁の中心に大の字でめり込むギータを見上げ、静かに訊いた。
ギータは顔を強張らせ、歯噛みするだけで言葉を返してはこない。
センリはようやく表情を変え、長い溜め息を吐き、
「いつまでもあんた一人に付き合う気はないんだよね……
だから、これが最後の通告。今すぐ本気でかかってきな。
でなければ……つまらないけどすぐにあの世に行ってもらう。絞殺、斬殺、溺死――希望があれば叶えるよ。因みにおすすめは乱切り。
あと五秒だけ待つから、それまでに決めてね」
言って、一拍の間を置いてからカウントを始める。
ギータは落ちない程度に少しだけ上体を起こし、
「………………じゃないわよ…………」
微かに届いた呟きに、反射的にカウントを止めるセンリ。
ほとんど聞き取れなかったため、そのまま反応を窺っていると――
「アタシが負ける前提で話すんじゃないわよ!」
叫んだ途端、ギータの全身が溶けて黒く巨大な塊となり、地響きを立てつつ床に落ちた。