8-5 事件解決
――結論、謝る必要はなさそう。
「あ」
戸を開けるなり、部屋の主と目が合った。
部屋の主は、驚いたような声を漏らして動きを止める。
同様に、俺もドアに手をかけたまま固まった。
保健室内の現状が、すぐには理解出来なかったからだ。
カーテンを閉め切った薄暗い保健室の中には、五人いた。
一人はもちろんフィルで、残りは生徒。目立たなそーな地味メガネ男子が一人と、見分けがつかないどこにでもいそうな女子が三人。ここに来るまでの予想とは違い、矢鏡の姿は無い。
ただ生徒がいるだけなら不思議でもなんでもないが、等間隔を開けて横一列に並んだ四つの椅子に、校庭側を向いて一人ずつ座らされ、麻縄でぐるぐる巻きにされていれば誰だって驚くだろう。加えて、彼らの目の前に立つフィルは、超怪しげなレインボー色の液体が入った注射器を、生徒達に見せつけるように肩の位置で構えている。
生徒達は俺がドアを開けるなり、びくっと大きく体を震わせ、がたがたぶるぶるしながら首だけを動かし、怯えた目で俺を見やる。
フィルは真顔で、すいっと視線を逸らし残念そうに言う。
「見つかってしまったか……内緒にしておくつもりだったんだけどなぁ」
「なにしてんのぉぉぉ!?」
目の前の光景を理解した途端、俺は頭を抱えて叫んだ。
対してフィルは平然と、
「まだ何もしてないよ」
「いやいやいやいや! 拘束してる時点でアウトだから! ダメだから!
つーか何この状況!? こいつらフィルの気に障ることでもしたの!?」
俺がそう聞くと、フィルは注射器を持つ手を下ろし、淡々とした口振りで、
「……最近華月が、ある組織にいじめられてるって聞いたから首謀者を割り出したんだよ。それがこの四人。君に悪意を持つ人を集めて、悪い事を書いた紙を入れたり、物を投げたり、怪しい儀式をしたりしていた人達さ。――で、こういう組織は、大抵は頭を潰せば大人しくなるから、少し痛い目見てもらおうかと」
「最後の儀式は知らないけど……こいつらの仕業だったんだ、あれ。つーか組織って……んな大げさな……」
呟きながら保健室内に入ると、四人はまたまたビクッと震えた。次いでじわりと涙を浮かべ、
「ずみまぜぇぇぇん!」
「ごめんなざぃぃぃ!」
のどちらかを口にしつつ、ぼろぼろと泣き出してしまった。なにゆえ。
フィルに怯えているのはわかるけど、俺にまで怯えている理由は全くわからない。単純に、恐怖心で頭がいっぱいってだけなら納得。
俺はしばし呆然と彼らを眺め、短い溜め息を吐く。
確かに俺は、ファン達をどうにかしてくれ、と思っていたが――
違うんだフィル。それじゃないんだ、止めてほしかったのは。
「言いたいことはいくつかある。けどその前に……」
言いつつ怯える四人に近付き、右から順に縄を解く――のはがんじがらめで無理だったから、力に任せて引き千切った。解放された四人がぽかんと驚き顔を作る。
俺はそいつらに微笑んで、
「大丈夫か? ごめんな、フィルまだ日本の法律とかよく知らなくて……限度がわからなかったんだよ。軽く脅したかっただけで、本気で危害を加えようとしたわけじゃないんだ。だから許してやってくれ」
とりあえずフォローを入れておく。でなければ、いくらファンでも、どんなに惚れ込んでても、フィルに失望して異常者扱いするようになるだろう。そんなの俺も嫌だからな。とりあえずこれで、キチガイ認定されることはないと思う。見た目外国人ってのも手伝って、多少大目に見てもらえるはずだ。
次に、不思議そうな顔をするフィルを見据え、困ったように眉をひそめた。
「で、まず一つ目だけど――
こらしめるにしても、これはやりすぎだから。拘束とか犯罪だから。
こういう時はなぁ、口で警告するなり脅すなりすればいいんだよ」
「それだけでいいのかい?」
「うん。つーか、それ以上やるとめんどくさいことになる。その辺はまた後で教えるよ。
――で、次。フィルは誤解しているみたいだが……」
言いつつ腕組み、びみょーに間を開けてから事実を告げた。
「俺は別に、いじめられてねぇよ」
『……え?』
フィル他四名が呆然とした声を漏らす。
「いや、だって僕ら……君にひどいことを……」
地味メガネ君が言った。
俺は一瞬きょとんとして、すぐにあっはっは、と明るく笑った。
「ひどい? どれが? あれが? あんなの嫌がらせにも入らねぇよ。
そもそもいじめってのはな、教室から自分の机だけが無くなってたり、教科書全部燃やされたり、校舎裏に呼び出されて不良に絡まれたり、カバンの中に他人の財布とか入れられて泥棒の犯人に仕立て上げられたり、やってもないのにテスト中カンニングしたことにされたりすることだぞ。……まぁ、俺が実際にやられたのはこれだけだから、他にどんなのがあるかは知らないけどな♪」
にこにこ笑顔で過去の事を語ると、生徒四人はしばし硬直し、
「うわぁぁぁ! すまないてんこうせぇぇぇ!」
「ごめんね、ごめんねぇぇぇ!」
「そんな悲しい過去があったなんて知らなかったのぉぉ!」
「嫉妬なんかしてごめんねぇぇ!」
やがてだばだば泣きながら駆け寄って来て、俺の肩やら腹やらにがしっとしがみ付く。
「うわなんだ!? やめろ離れろ暑苦しい!」
慌てて言ったが、皆さん聞く耳持たずで謝り続けた。えぇいうっとうしい。
やや強引に引き剥がしてみたが、それでも彼らはくっついてこようとする。謝ることに必死なようだ。仕方ないので、手で押し止めたり剥がしたりを繰り返しながら話を続ける。
「まぁとにかく、こいつらがやってたようなことはどーでもいいから。こういうのは自分でなんとかするからほっといていいよ」
「……そう」
応えてフィルはやんわり微笑む。
俺は困ったように眉をひそめ、
「そんなことよりさ、追いかけてくる奴らをなんとかしてくれ。陰険ないじめとか嫌がらせは慣れてるから平気だけど、追いかけられるのは慣れてないんだよ」
「あぁ……そっちの方が嫌だったんだね。逆だと思って、彼らの方を優先してしまったよ。でも、そういうことなら――」
フィルは納得したようにそう言って、俺達の元まで歩み来る。
生徒四人はぴたっと動きを止め、フィルを見上げた。
フィルはにこっと笑って生徒達を見返し、
「華月は大切な友人なんだ。彼が嫌がることをしたら許さない。
――それを、他の人達にも伝えてくれるかな?」
『はい! もちろんです!』
瞬時に俺から離れて姿勢を整え、まるで訓練された軍人のようにビシッと敬礼する四人。息もぴったり。さっきまでのやり取りが嘘のように、その表情は生き生きとしている。そして、では早速伝え広めます、と元気良く言い残し、俊敏な動きで部屋から出て行った。
俺はそれを呆然と見送った。
「多分これで、追いかけていた人も嫌がらせをしていた人も、君にちょっかいを出さなくなるんじゃないかな」
フィルが言った。
俺はぎぎぎ、とゆっくり首を回してフィルの整った顔を見た。
怯えてたはずなのにあの反応って……
どうやら、超絶美形様の人気ってのは、あれくらいじゃ落ちないようだ。
俺は長い溜め息を吐き、
「あ、そうだ。フィル、矢鏡知らない?」
「ここにいるよ」
答えたのは矢鏡だった。
いつもカーテンで隠されている二つのベッド。その左の方から声は聞こえた。
迷わず歩み寄り、カーテンに手をかけ、
「なんだ、やっぱここにいたのか。つーか、いるなら最初から言えよな。なんで隠れ……て……」
勢いよく開けると同時に唖然とする。言葉が自然と消えていく。
ベッドの足元に立つ俺の方を向く形で、横向きに矢鏡が寝転んでいた。そしてその首には、細くて長い針が墓標のように突き刺さっていた。なにこれめっちゃ痛そう。
矢鏡は視線で針を指し、
「これを人間達に見られたらまずいだろ」
「そ、そうだな……うん……」
どう反応していいかわからず、曖昧な返事をする俺。
「とりあえず助けてくれ。首から下は動かせないんだ」
いつもの淡々とした口調で矢鏡は言った。
あー……だからぐったり寝たままなのか。どうりで。
俺はじーっと針を眺め、恐る恐る手を伸ばし、
「えーっと……これ抜けばいい?」
「抜いても良いけど、ほんの僅かでも針が傾いたら死ぬよ」
後ろからかかったフィルの声に、慌てて手を引っ込める。
フィルは俺の横を通り、矢鏡の頭の上に立ち、ゆっくり針を引き抜いた。途端、ぴくりと矢鏡の指が動き、
「ひどい目にあった……」
矢鏡はゆっくり上体を起こした。
「お前、また寝てなかったのか?」
「違う。フィルの暴走を止めようとしたら、返り討ちにあったんだ」
…………
「あのさぁ……矢鏡ってほんとに強いの? ナンバースリーって割には、フィルにあっさり負けてんじゃん」
正直に思ったことを口にすると、矢鏡は無表情を俺に向け、
「……それは総合戦闘力の話。体術だけなら、フィルもトップクラスに入るよ。それに、いくら男っぽいとはいえフィルも女性だからな。殴るわけにはいかないだろ」
「……意外と紳士的だな、お前」
「紳士というより、真面目なんだよディルスは」
俺に続いてフィルが言う。
矢鏡はベッドから降りて、若干乱れた制服を軽くはたいて整えてからこっちを向いた。
「……とにかく、君が止めてくれて良かった。クラウスに会ったんだろ?」
「会ったけど……なんでわかった? なんか関係あんの?」
「こうなることを予測して呼んだからな」
曰く、俺にちょっかいを出していた生徒達を、フィルはこれまで何度もこらしめようとしていたらしい。その度に矢鏡が止めていたからなんとか未遂で終わっていたが、昨日の放課後辺りからフィルに抵抗(具体的には教えてくれなかった)されるようになり、そろそろ拘束されそうだ、と感じて念のためクラウスさんを呼んでおいたら、予想通り今日の昼休みに拘束されたという。クラウスさんを呼んだ理由は、さっさと帰る俺を引き止め、放課後に実行するであろうフィルの暴走に気付いてもらうためだとさ。
この思惑が頭の良いフィルにばれないか、また、上手くいくかどうかは賭けだったらしい。勝てて良かった、と安堵した様子で矢鏡は言った。
フィルはふぅっと息を吐き、
「勘の鋭い華月に気付かれる可能性も、ディルスが執事君を使う可能性も、ちゃんと考えていたよ。でも、華月が彼らを許すとは思わなかったな。てっきり怒っていると思ったのに」
「あれくらいじゃ怒らねぇよ。俺短気じゃないし。気にするほどのことでもないしな♪」
俺はにこやかにそう言って、
「普通は気にすると思うけど……」
ぼそっと矢鏡が呟いた。
**
次の日から、フィルのファン達から絡まれることはなくなり、俺の日常に平穏が戻った。
余談だが、宮間から聞いた今回の騒動での変動は――
・校内で怒らせてはいけない人ランキング二位にフィルが浮上。
因みに一位は矢鏡。
・いくつもあるらしい俺のあだ名に、『超鈍感男』と『不幸少年』が追加。
・フィル様ファンクラブの仲間割れが解消。
ついでに、ファンクラブの行動理念が『フィル様を暖かく見守ること』に決定。
――のみ。
色々ツッコミたいことはあるが、とりあえず――
美形の威力半端ないな。マジで。