7-6 これがほんとのお邪魔虫
午後二時過ぎに商店街から出たフィルと佐藤先生は、歩行者の少ない住宅街へと入っていった。盗聴器から聞こえる声で、この先にある矢鏡のばーちゃんが趣味で造った美術館に向かっているとわかった。矢鏡曰く、その美術館は建物も庭も綺麗で、芸術に興味が無い俺は知らなかったが、なかなか有名でデートスポットとしても人気があるんだと。
そこに誘うってことは好きだと告白してるようなもんじゃないか。奥手のくせにやるな、と俺は思ったが、どうやら佐藤先生はそれを知らないらしい。
『さすが矢鏡財閥現当主、斎賀様だと思いましたね。芸術に疎い私でも感動出来るくらい、すごく良い物が揃ってるんですよ。有名な画家の絵もありますし。だから、この町に来たら一度は行くべきだと思ってて……』
なーんて説明を普通の口調でし始めたからな。もしデートスポットだと知っているなら、今朝のように緊張全開の話し方をしていただろうよ。つーか、おすすめするならデートスポットだってことくらい知っとけ。
「お前のばーちゃん、斎賀って名前なのか。しかも当主って……すげーな」
フィル達とはそれなりに距離を開け、塀の角や電柱の裏に隠れながら追いかけつつ、真後ろにいる矢鏡に言った。
矢鏡はいつもの無表情をこっちに向け、
「そう?」
「うん。だって、普通当主って男がなるもんだろ?」
「地球の普通はよく知らないけど……矢鏡財閥は女傑一家らしいな。やり手なのは男性より女性の方が多いって聞いた」
「ふーん……」
俺は相槌を打ってから、再びフィル達の会話に耳を傾けた。
『フィル先生は絵に興味はありますか?』
『少しあるよ。知り合いに画家がいるから』
『おぉ! さすがフィル先生! 顔が広いんですね! どこで知り合ったんですか?』
『それは秘密』
『あ……そ、そうですか……
えっとその……フィル先生は、あまり個人的なことは話さないんですね……』
『軽々しく教えるものではないからね。駄目かい?』
『いえ、そんなことは……。むしろミステリアスでステキだとおも――あ、いや、なんでもないです』
あーのーさぁー、せんせーさぁー、何度でも言うけどー、それ誤魔化せてねぇからー。
十字路の角から顔を覗かせ、そう思いながら先生にジト目を向けていると、
「……あ。ちょっと華月」
矢鏡に右肩をつつかれた。
反射的に振り向いた俺は、
「なんだよ……って、ん?」
矢鏡が後ろを向いていることと、すぐそこにガラの悪そーなおっちゃんにーちゃん達が、合わせて二十人いることに気付いた。いつからいたんだ?
ガラの悪そーな男達は俺達――というより矢鏡を睨むように見て、先頭に立つ短い金髪モヒカン頭のおっさんが、
「矢鏡奏為……だな? 悪いが一緒に来てもらおうか」
なんていうありきたりすぎるセリフを吐いた。
うーむ、なんというか……他の言い方無いの? 月並みすぎてつまんないんだけど……
――って、それはともかく。
俺は矢鏡の左横に並び、
「なんだお前ら。人攫いか?」
多分人攫い連中で間違いないと思うけど、一応確認のために聞いた。
するとモヒカン男は、今気付いたとばかりに俺を見やり、
「なんだぁ? コスプレか? ――ま、てめぇに用はねえ。ガキはとっとと失せろ」
と言って鼻で笑った。つられて低く笑う後ろの連中。
うわーむかつく。殴りてぇ。でも日本でそれやるとやばいからなぁ……がまんがまん。
「金が目的なら諦めた方がいい。怪我するよ」
男達に向かって、淡々と言う矢鏡。
それを聞いた男達は、完全に俺達を舐めた様子で再び笑って、
「何を言い出すかと思えば……この状況わかってんのか?」
「秀才って聞いたが、どうやらデマだったようだな。ひゃっひゃっひゃ!」
「それとも何か? この人数相手に勝てると思ってんのか?」
と、これまたお決まりのようなセリフを後ろのにーちゃん達が順に言った。
なんなの?
悪人はそーゆー定番のセリフを言わなければならないって決まってるの?
俺は小さく肩をすくめ、矢鏡に聞こえるだけの声量で言う。
「おい、歩く身代金」
「……もしかしてそれ、俺のこと言ってる?」
矢鏡が当たり前の事を小声で聞いてくる。
「他に誰がいるんだよ。――で、矢鏡。お前全く驚いてないけど、こういうことしょっちゅうあんの?」
「あぁ。一人か、SPを連れずに外出すると大体こうなる」
「ふーん……。金持ちも大変だな」
「何をごちゃごちゃ言ってやがる」
俺が矢鏡に同情したところで、口を挟んでくるモヒカン男。
――途端。
「とりあえず逃げるよ、華月」
俺の右腕をぐいっと引っ張り、男達の反対方向に向かって走り出す矢鏡。仕方なく流されるまま一緒に走り出すと、すぐに腕は離された。
「おい逃がすな!」
背後で響くモヒカン男の声。慌てて追いかけてくる男達。
どーでもいいことだけど、ご近所さんはこの事態に気付かないのかな……?
俺は矢鏡の一歩後ろを走りながら、やや大きめの声で、
「なぁ矢鏡。なんで逃げんの?」
「今の時間、この辺りの人間は外出していることが多いんだ。だから今ここで戦うと、後でもみ消す時に証拠不十分で面倒なことになる」
「あー、そういうことか」
矢鏡の言葉で素直に納得した。
以前不良にからまれた時、近くの家の人のおかげでお咎め無しだったからなー。
中学の頃を思い出しつつ一度ちらっと後ろを見やると、男達は怒りの形相で『まてー』とか『逃がすかー』とか『クソガキー』とか『金づるー』とか叫びながら二十メートルくらい離れてついてきていた。つっても、見た感じあいつらに余裕は無さそうだけど。逃げることが目的じゃないから、俺も矢鏡も全力を出してないのになー。
「因みにさぁ、そう言うってことは、こういう時いつも返り討ちにしてたってことだよな?」
俺の問いに、矢鏡は前を見たまま答える。
「中学に入ってからはね。それまではずっと逃げてたよ」
「なんで?」
「小学生が大人に勝ったら不審がられるだろ」
「あー……俺はそんなの気にせず勝ってたなぁ……」
「……だろうな」
話しつつ、矢鏡に続いて六つ目の十字路を左に曲がり、しばらく行ったところで丁字路を右に曲がった。後ろから、あっちから回り込め、というだみ声がした。誰が言ったか知らんが、そういうのはこっちに聞こえないように言えよ。
俺は矢鏡の左横に並び、視線を向けて、
「で、どこに向かってんだ?」
「近くに若者とか子供を連れた親とかが集まる大きな公園があるから、そこに――」
「へっへぇ! 逃がさないぜぇ!」
矢鏡の言葉を遮り、二つ先の十字路の右から背の高い痩せた男と他多数が現れた。そのままこっちに向かって来たので、俺達は仕方なくすぐそこの左に伸びる脇道へと入った。
矢鏡はやや困ったような顔を俺に向け、
「――行くのは無理そうだ」
「……そうだな」
こいつたまに面白いな、と思いながら俺は言った。
行く手を防がれては手前で曲がる、ということを何度も繰り返し、やがて俺達はやや太い道が交差する十字路の真ん中で足を止めた。四方から人攫い集団が迫って来ているため、これ以上逃げることは出来ない。……いや、逃げようと思えば塀に飛び乗れば逃げられるんだけど、それすると今度は別の問題が起きるからやらない。
ぐるっと見回している間に、追いついた男達に取り囲まれる。なんか追手の数が三倍くらいに増えているけど、増援を呼んだのか新手が現れたのかは俺にはわからない。
俺は小さく息を吐き、矢鏡は無言のままで、荒い呼吸を繰り返す男達をぼんやり眺めた。
「も……もうにげられねぇぜ!」
西側の集団の先頭にいる、がたいのいいおっさんが言った。
「おいちょっと待て! そいつは俺達の得物だぞ!」
続いてモヒカン男が叫ぶ。つーことは、あっちのおっさん達は新手か。
「うっせぇ捕まえたもん勝ちだ! 行くぞ野郎ども!」
『おう!』
がたいのいいおっさんの号令で、スタンガンやら角棒やら鉄パイプやらバットを手に持った手下達が返事をする。
それに対し、モヒカン男達も負けじとスタンガンやスプレー(多分睡眠ガス)やナイフなどを取り出し――
「あ、あの……! 危ないですよ!」
突然聞こえた慌てた様子の佐藤先生の声に、ぴたりと止まる周囲の男達。
俺は呑気にこう思った。そういえば尾行中だったな、と。
声がした方――東側を見ると、ガラの悪い男達の向こう側に、
「おやおや。大変そうだね、二人とも」
爽やかに笑うフィルがいた。その後ろにいる佐藤先生は青ざめていた。
どうやら俺達は、いつの間にか追い越して、フィル達の進行方向にいたらしい。
フィルを見た男達が、なんだきさま、邪魔するな、くそイケメンむかつく、などといった声を上げる。
「――って、あれ!? 矢鏡君じゃないか!?」
今になって、輪の中心に矢鏡がいることに気付いた先生が驚いた。次いで、矢鏡の隣にいる俺に視線を移し、
「それにあれは……もしかして華月? どうしたんだその格好!」
俺は一瞬考えて、
「一日SP体験です!」
それっぽい嘘をついて誤魔化した。
先生は何か言い返そうとしていたが、男達をちらっと見るなり慌てて口を閉ざした。
代わりにフィルはくすっと笑い、
「手を貸そうか?」
こっちを見ながら聞いてくる。
俺達の登場に全く驚いてないってことは、矢鏡が最初に言った通り、尾行していたことに気付いていたようだな。俺としてはちょっとつまんないけど……まぁ、仕方ないか。
周りの男達の罵倒やら脅し文句やらがうるさいため、俺はフィルに見えるように両手を使って、大丈夫だ気にすんな。デートを続けてくれ、という意味のジェスチャーを送った。
この後の展開は決まっている。乱闘が始まり、俺達が負けることは無いから相手は全滅し、その後警察に通報して事情聴取。明らかに尾行やデートどころではなくなるだろう。なら、それにフィル達を撒き込むわけにはいかない。フィルはともかく、勇気を出して誘った佐藤先生が可哀想だからな。尾行を続けられないのは少し残念だけど。
んじゃ始めるか、と思ったその時――
「イケメン! イケメンが憎い! イケメンは死ねぇぇぇっ!」
南側の人混みからやや太ったブサメンが狂ったように叫びながら出てきて、南側の人混みを擦り抜け、大振りのナイフを両手で突き出しながらフィルに向かって行く。なかなか速い。
「待つんだサブリーダー! イケメン好きの女に振られたからって殺しはまずい!」
お仲間らしい誰かが早口で叫んだ。解説せんきゅー。
「フィル先生あぶな――」
佐藤先生が注意の言葉を言いきる前に、ブサメンがフィルの目の前に到達した。そして――
スパァンッ
――飛んだ。
すっげー良い音がして、やや太ったブサメンが空高く飛んだ。
フィルは目前に迫ったナイフを体を横に向けながら右に半歩ずれて避けた後、ブサメンの両腕を左腕で打ち落とし、勢いでブサメンが前のめりになったところで、そのまま左腕を下から上に振り上げただけでこうなった。一瞬の早業だった。
くるくる回転しながら宙を舞うブサメンは、フィル達の後方に弧を描いて飛んでいき、
「ぐほぇっ!」
変な声と共に、どすっという重い音を立てて背中から落ちて倒れた。そのまま動かなくなる。
「あぁ! サブリーダー!」
「きさまよくもサブリーダーを!」
ブサメンのお仲間たちが口々に恨みの声を上げる。別のグループと佐藤先生は茫然としていた。
「なぁ、あれ生きてるかな?」
「あぁ。高く飛んだが、打ちどころは悪くない。気絶しただけだよ」
俺は矢鏡に小声で問いかけ、矢鏡は小さく頷いて応えた。
それなら良かった、とほっとしているうちに、周りの集団が完全にフィルを敵だと認識したらしく、やっちまえ、だの、調子のってんじゃねぇ、だのと叫びながら次々とフィルに襲い掛かる。もちろん俺達にも向かって来て、結局フィルを巻き込んでの乱闘になった。ものの数分で片が付いたのは言うまでもない。
因みに、佐藤先生だけは隅の方で固まっていた。