6-3 - Shikyou Ⅰ-
矢鏡奏為。
それが、この世界、この時代での俺の名前。
本来の名前とは全く違う、呼ばれ慣れない名前。
気付いたらその名で呼ばれていて、俺は霊体ではなくなっていた。
**
意識が戻ったのは生後三年と四十六日後。シンから聞いた通り、物心がつく頃だった。
目線が急に低くなったから、転生したことはすぐにわかった。以前までは初めて死んだ時の年齢――つまりは十八の時の姿だったし。
ただ、いつ転生したのか、何故転生しているのかはわからなかった。
過去を思い起こしても、エルナが標的である魔族を斬り倒したところまでしか思い出せない。エルナの背中を最後に記憶が途切れていた。だから少し驚いたけど、これについては気にしていない。前にも何度か、エルナが原因で記憶が飛ぶことはあったから。
――まぁ、原因なんてどうでもいい。どうせ大した理由じゃないだろう。
それよりエルナを探さないと。
エルナはシンを敬愛しているから、シンのためになるべく早く任務を受けたいはずだ。だが俺達のような固定コンビは、一緒にいるか、互いに相手の居場所がわかっていなければ受けられないことになっている。心配性なシンが定めた安全ルールで、もし片方に何かあった場合、すぐに対応出来るようにだ。因みにこれは、二人以上で任務を行う理由でもある。
随分前にシンから聞いたが、相方同士は転生した際、同じ世界同じ時代に生まれるが、親は選べないから離れ離れになるのが普通だそうだ。なら、よほど運が良くてすぐ近くに生まれない限り、見つけるのは難しいだろう。あいつも俺も通信機は持っているが、連絡が取れても場所がわからなければ意味が無い。合流するにはかなりの時間がかかるはずだ。――普通なら。
あいつは恐ろしく勘が良いから、この世界がどれだけ広くて、どれだけ距離が離れていても、勘だけで俺を見つけるだろう。一応俺も探すけど、多分あまり効果はない。俺はあいつと違って、勘も運も悪いから。
――だから、実際は待つことになると思う。あいつが俺を見つけるまで。
きっと、時間はかからない。
せっかちなあいつのことだから、すぐに俺を探すだろう。例え今すぐ合流しても、あいつも今は子供で刀は振れないはずだから、あと数年は経たないと任務は出来ないのに。バカなあいつはそれに気付かず、探し始めることだろう。
だから、少し待てば来ると思う。
少し待てば、あいつが見つける――そう思っていた。
すぐに会えると思っていた。
いつものように、どこからかひょっこり現れると思っていた。
だけど、未だにエルナと会えていない。
十年経っても、あいつを見つけることは出来なかった。
十年経っても、あいつが現れることはなかった――
**
この世界の名は"地球"で、多々ある世界の中で七つしかない、妖魔の干渉を全く受けていない世界の一つだ。仲間の誰かの術により、妖魔には見つからないようになっているから、未だに侵入されていないらしいが……詳しい事は知らない。だから、何故七つだけなのかも俺にはわからないし、はっきり言ってどうでもいい。
ただ、この世界のことは自称死神から聞いていて、エルナが興味を持っていた世界だったから、地球だとわかった時は結構驚いた。普通主護者が転生する時は、シンが妖魔とのバランスを考え世界を選んで転生させるから、妖魔のいない平和な世界に生まれることはないはずだし。つまり、俺達が転生しているのはシンの指示ではない、ということだ。
……まぁ、それがわかったところで、どうでもいいことに変わりないが。
全く知らない世界じゃないし、両親が資産家で仕事だ旅行だと言いながらいろんな国や町に行くことが多かったから、地球の情勢にはすぐに慣れた。四歳になる頃には地球がどんな世界か大方理解した。エルナを探し始めたのはそれからだ。
まず初めに、通信機で連絡を取ろうかと考えたが、意味が無いと思って止めた。学の少ないエルナが周辺の状況を的確に言えるわけがないし、こっちの情景を伝えても、あいつには理解出来ないだろうから。
そんなわけで、地道に歩いて探すことにしたんだが……この世界には面倒な決まりがそこそこあり、子供一人で行動するには限度があった。だから、六歳頃までは親に連れて行かれた国の中で、勝手についてくる護衛達を引き連れながらの捜索になった。あまり遠くに行くことは出来ず、人が多すぎて気配を探ることも出来ず、狭い範囲しか探せなかった。
ある時、視覚に頼って探していたら、両親と九年歳の離れた姉に不審に思われた。どこに行ってもきょろきょろ辺りを見回していたからだ。何か探しているのか、と姉に聞かれたが、正直に話す意味は無いので『なんでもない』と嘘をついて誤魔化した。
六歳になって約半年経ってから、親の指示で学校に通うようになった。指定された学校は、今住んでいる家の近くに建っている"私立翠ヶ丘小学校"。日本という国の関東地方にある緑豊かな町にあり、四年前まで姉が通っていたところだ。日本人である父親が創立した学校らしい。
俺が生まれた世界では、学校はかなり大きな国にしかなかったし、王族と貴族しか通えなかったから、小さな町の平民生まれの俺は行ったことは無かったが――思ったよりつまらなくて初日で飽きた。子供が多いだけで難しい事は何も無かったし。
因みに、体育だけは全く参加していない。常人、しかも子供の力に合わせるのが面倒だから。これだけは親に無理を言って、知り合いの医者に偽の診断書を書かせて『病弱』という設定を作ってもらった。最初はただのわがままだと怒られ、拒否されたけど、地球上で有名な電機メーカーの社長である母親の仕事に助言したら、行き詰っていた事業が成功したとかで上機嫌になり、最終的には承諾された。よくわからないが、凄く儲かったらしい。その褒美として、診断書と一緒に"パソコン"とかいう機械を与えられた。
この世界にはインターネットという非常に便利な情報網があり、パソコンを使えば自由自在かつ手軽に情報が集められる。他国の情報であっても、いちいち現地に行く必要は無い。本当に便利な代物だ。七歳頃からはこれを使ってエルナを探した。
そして知った。
日本には、黒と茶と金と白以外の髪色が、かなり多く存在していることを。
今まで見た日本人のほとんどが黒髪か茶髪だったから、その中に空色の髪と蒼い目を持つエルナがいれば、どうやっても目立つし騒ぎになるはずだと思い、実際は騒ぎなんて起きてないからこの国にはいないと踏んでいたのだが……まさか、青や銀や紫や桃色、さらにはあいつと同じ空色の髪まで普通にいるとは。――とはいえ、人工的に染められたもので、さすがに天然色ではないようだが。
それがわかってからは日本を中心に探すようになった。他の国にも多数の髪色があるらしいが、個人的にはこの国が一番多いと思う。なら、エルナがいる確率が一番高いのもこの国だろう。あの髪色でも目立たなそうだし。
エルナを見つけられないまま八歳になった。この頃から、姉の勉強が忙しくなったとかで、家族ではあまり遠出をしなくなった。だから、エルナ探しはほとんどインターネットで行うことになった。一応、矢鏡財閥にも有能な情報網があるのだが、それを使うと色々厄介なことになるから使わないことにしている。余談だが、母親だけは自分の会社と実家があるアメリカに行くことが多く、家にいないことがほとんどだった。
九歳になった。まだエルナと会えていない。身勝手すぎて苦手な姉が、母親の会社を継ぐためにアメリカの大学に通うことになり、母親と一緒に家を出た。父親が寂しそうにしていたから、一緒に行けばいいだろ、と言ったら『まだ小さいお前を残していけないよ』と返された。俺からすれば、あんたらの方が年下なんだが。
十歳になった。ようやく異変に気付いた。いくらなんでもおかしい。さすがにもう、あいつが俺を見つけてもいい頃合いだ。俺があいつを見つけられないのは仕方ないとして、あいつが俺の前に現れないのは変だ。以前シンが『相方同士なら同じ世界同じ時代に転生するけど、数年ずれて生まれることはあるよ』と言っていたから、あいつが後から生まれてくることも視野に入れてある。入れてあるが……だとしても遅すぎる。
嫌な予感がして、今更すぎるが通信機で連絡を取ろうとした。しかし、結果は不通――どころか呼び出し音すら鳴らなかった。通信機を持っているなら、例え出られなくても他の世界にいても、呼び出し音だけは鳴るはずなのに。
それすら鳴らない時の理由は三つ。一つは、当人が通信機を所持していない。失くしたか、壊した場合もこれ。二つ目は、当人が実体化をしていない、もしくは転生する直前。
可能性が高いのは、この二つのどちらかだ。三つ目は有り得ない。
何故なら三つ目は――
『当人は、すでにこの世にいない』
――だから。
エルナは強い。強いなんてもんじゃない。俺の知る限り負け無しだし、あいつならリンさんとも互角に渡り合えるだろう。そんなあいつが死ぬはずない。
だからきっと、二つのうちのどちらかだ。
不器用なあいつが、何かの拍子に壊しても不思議じゃない。変わり者のあいつが、十年以上遅れて生まれる――なんて予想外なことをしても不思議じゃない。
だから…………嫌な予感は外れるだろう。
少し不安になったが、ただの気のせいで終わるだろう。
だから、俺は今まで通り探しながら待つことにする。
一度、シンに連絡しようかと考えたが、忙しいかもしれないから止めた。神に頼るのは、本当に困った時だけと決めてるし。
エルナと会えないまま、十二歳になった。四月になったら通う校舎の場所が変わった。同じ学校の人間達や、近所の人間達が様々な"あだ名"で俺を呼んでいることを知った。父親もアメリカに行き、母親と姉と住むことになった。母親べったりの父親が寂しそうにしていたので、中学生だし俺は一人で平気、と説得して送り出した。これからは他人に気を使わずに済む。因みに学校は理事長代理に任せるらしい。
十三歳。目付きが気に入らない、寡黙すぎる、生意気といった理由で、上級生や同級生、または近辺から来た"不良"という集団に絡まれることが多々あった。殺すわけにはいかないから、全て無視し続けた。
十四歳。この頃から、所謂"告白"というものをされるようになった。恋愛には興味の欠片も無いから全て断った。
十五歳。いつの間にか絡まれることが無くなった。家に仕える執事曰く、俺を相手にする無謀さを思い知ったかららしい。だが俺は知っている。この家にいる二人の執事が、俺の代わりに弾圧したことを。
高校生になった。校舎が少し離れた場所になり、入学前に受けたテストで、いつも通り満点を取ったら新入生代表にされた。目立つのは嫌だったが、父親の手前、仕方なく引き受けた。
十六歳になった。エルナとは会えていない。そのまま半年過ぎて、学年が一つ上がった。
エルナを探すことはしなくなった。何の変化も無い退屈な日々を過ごしていた。
――諦めかけていたんだ。
何年経っても、あいつが現れないから。
もしかしたら、悪い予感が当たってしまったんじゃないか。
もしかしたら、この世界のどこにもエルナはいないんじゃないか。
もしかしたら、この世にはもう、あいつはいないんじゃないか。
そんなことを考え始めていた。
そんな時――
ようやく"あいつ"は現れた。
再び記憶を失って。