5-2 RPGならラストフィールド
「おー! すっげー!」
星ひとつ無い真っ黒な空。そこに漂うのは雲ではなく、暗い青や紫色の、大小様々な光のベール。それらはキレイとは程遠い不気味な光を発しながら、右から左へと流れていく。辺りは夕暮れ時のように薄暗く、生暖かいような肌寒いような空気が満ちていた。
禍々しさしか感じられない鬱蒼とした森と、ただ地面がむき出しになっているだけの荒野が混ざり、地平線の彼方まで続いている。
その光景を目にして、俺のテンションはかなり上がっていた。
「これが魔界か! なんか"いかにも"って感じでいいな!」
俺たちが今いる場所は、荒野の端にある崖の上。そこには石造りの巨大な城が建っていて、入り口であるアーチ状のでかい木の扉が、なぜか崖側を向いている。観音開きのその扉は、俺たちに入って来いと言わんばかりに、手前に大きく開け放たれていた。通路の出口はその正面、少し離れたところにあった。
俺は崖の淵ぎりぎりに立ち、遠くの景色を眺めた。崖下には森が広がり、時折、木々の間でうろうろしている悪鬼たちの姿が視界に入る。面倒だから無視するけどな。こっちに気付いてるわけじゃないし。
一通り見回してからくるっと振り向くと、扉の前に佇む二人と目が合った。
矢鏡はいつも通りの無表情で、フィルは何気ない顔をしていた。
「ご機嫌だね、華月」
フィルが言った。
完全に舞い上がっている俺は、右手にガッツポーズを作り、
「だって魔界だぜ! 魔界! しかも城! いかにもラスボスって感じじゃん!」
多分ものすごく嬉しそうな顔で言った。
やっぱRPGって言ったらこうだよな! まさに王道! 基本は大事!
しかも、生まれて初めて瞬間移動を体験したからな。この状況で喜ぶなって方が無理だ。口元がにやけるのも当然と言えよう。
だが――
『…………』
矢鏡とフィルは、そんな俺に冷めた視線を返すだけ。
二人の淡泊すぎる反応に、マックスまで上がった俺のテンションが徐々に下がっていく。
十秒あまり沈黙が続き、
「冷たっ!」
テンションが通常まで戻ってから、俺はツッコミを入れた。
「なんでそんなにクールなんだよ……一人ではしゃいでる俺がバカみたいじゃん」
不満げに眉根を寄せてそうぼやくと、矢鏡が若干困った様子で、
「いや……一応、敵の本拠地だし……」
「確かにそうだけど……」
普通に正論で返された。
でも少しくらい反応してくれてもいいのにな。俺に危機感が無いだけか?
──というか、一応ってなんだ。一応って。完全に敵地じゃ──あ。リンさんがいるからか。
俺は短くため息を吐き、
「まぁいいや。行くか」
二人を促して、城へと足を踏み入れた。
**
薄灰色の石壁と、同じ色の床。
天井は二階分くらいの高さがあり、片側の壁にはいくつか燭台が張り付いているが、普通のロウソク並みの光量しかないため、城内の薄暗さは外とほとんど変わらない。
入り口正面には壁が広がっており、左右に廊下が伸びていた。
俺は右側の廊下の先を見て、大分離れた突き当たりで左に折れていることを確認した。逆も同じようになっていた。どうやら左右対称の造りになっているらしい。
「どっちに行く?」
壁に背を向け、二人に問いかけた。因みに、俺から見て右側にフィル、左側に矢鏡が立っている。
フィルは爽やかに微笑み、
「その前に一つ、提案があるんだけど」
「提案……?」
思わずオウム返しで問うと、フィルは数歩右に進み、こちらに振り向く。
「二手に別れない? 魔族を倒す方と、攫われた人間を探す方に。三人一緒に行動するよりは合理的だと思うよ」
「え? わざわざ? 一緒でも変わらないと思うんだけど……」
変態の居場所もわかってないから、どちらにしろ探すことになるし。
それに、どこかに罠が仕掛けられている可能性もある。それならバラバラに動くより、一緒にいた方が安全だろう。
フィルがそのことに気付かないわけが──
「だって、あの魔族を倒すだけなら華月がいれば十分だろ?
ただついていくだけなら、別々に動いてさっさと任務を終わらせない?」
…………
「それもそうだな!」
にこにこ笑って言うフィルに、俺は笑顔で即答した。
なるほどそういう意味だったか! それに気付かないなんて、俺もまだまだだな!
フィルは矢鏡を一瞥し、無言を肯定と受け取ったらしく、そのまま話を続けた。
「じゃ、別れ方だけど──魔族討伐に二人、人間救出に一人にしよう。
魔族は華月を狙っているから、自動的に華月は決まり。あと一人は、力量から考えてディルスだね。あの魔族のことも知ってるみたいだし。
で、余った僕が人間を探す──これでどうかな?」
「え、フィル一人で大丈夫か? 武器ないんだろ?」
フィルが戦ったのは、初めて悪鬼と会ったあの時だけ。
それ以降は、メイン武器である薬がないから、と戦闘は一切していない。
城内に変態以外の敵がいるのかどうかは知らないが、悪鬼くらいはいると思う。つか、いないとおかしい。ダンジョンの中が雑魚だらけなのはRPGの基本だからな。戦闘を避けるのは難しいはずだ。
それで心配して言ったんだが……どうやら、その必要はなかったようだ。
フィルはふふっと爽やかに笑い、
「それは大丈夫。シンがいてくれたおかげで薬が作れたから、ストックは十分にあるんだ。だから普通に戦えるよ」
と応えた。
聞けば、妖魔用の薬を作るには特殊な素材が必要で、それは地上では手に入らないらしい。シンが創ってくれたから、材料が揃って迅速に薬ができたんだと。あの家と研究室を繋げたことも大きいらしい。
「なんで今まで黙ってた? 昨日今日で作ったわけじゃないだろ?」
抑揚の無い声で矢鏡が尋ねた。
「草原を抜ける前には完成したからね。言わなかったのは、今日まで僕の出る幕はなかったからだよ」
「あー……」
フィルが答えて、俺は素直に納得した。
ここ数日、矢鏡しか戦ってなかったもんなぁー……
「そういうわけで、僕の心配はしなくていいよ。
僕たちの侵入はばれているだろうから、魔族は華月の方に行くと思うし」
「……そうか」
そのストーカーっぽい表現はかーなーり嫌な気分になるが、まぁ、仕方ない。
さっさと倒して、あんな変態のことなど忘れよう。それに限る。
俺は後ろの廊下を親指でさし、
「じゃ、俺たちはあっちから行くよ」
「気をつけてね、二人とも。終わったら通路のところで落ち合おう」
言ってフィルは片手を上げ、きびすを返して歩き去る。
その背が廊下の先で右に曲がるまで見送って、それから俺たちも歩き出した。
俺が先頭。数歩遅れて矢鏡が続く。
突き当たりを左に曲がると、かなり奥までまっすぐ伸びて、その先で二つに別れているのが見えた。入り口正面とは違い、燭台が左右の壁にかかっているため、先ほどよりは明るくなっている。
敵の姿はまだ見えず、罠らしきものもなさそうだ。
しばらく暇そうだから、今のうちに聞いてなかったことでも聞くか。
「そういやお前、なんで学校じゃ話かけてこなかったんだ?
俺がエルナの生まれ変わりだって知ってたんだろ?」
歩きつつ、前を向いたまま尋ねた。
落とし穴とかあったら嫌だからな。ちゃんと警戒はしておかないと。
故に、矢鏡の表情は見えないが……どうせいつもの無表情だろう。
矢鏡はびみょーに間をあけた後、
「いや……エルナが死んだことも知らなかったよ」
意外な答えが返ってきた。
転校初日に会った時も、この世界で会った時も平然としていたから、てっきり知っているものと思っていたが……
「だから驚いて……戸惑っていたから、話しかけられなかったんだ」
「ふーん……
──てーことは、俺がエルナだってのは、すぐにわかったのか」
「あぁ。長い間一緒だったからな」
「どれくらい?」
「一万年くらい」
「はぁっ!?」
これにはさすがに驚いて、思わず足を止めて振り返った。
つられて止まる矢鏡。やっぱり無表情だった。
「一万年って……お前、そんなに昔の人だったの!?」
あれ、でも一万年前って……そもそも人類誕生してたか……?
うーん…………わからん。歴史は一番苦手だからなぁー……
腕を組み、難しい顔で悩む俺に、矢鏡は淡々と言う。
「いや……割と近代だよ。約二千年前だから」
「は? それだと計算合わないじゃん」
わけがわからなすぎて、ちょっと強めの口調で返した。
すると矢鏡は困ったようにわずかに眉をひそめ、
「……順に話すよ」
と言って、説明を始めた。
曰く、以前聞いたように時間の流れに逆らうことは、神であるシンにも出来ないが、一つだけ例外があるらしい。
それは、セロが死んだ時だけは時間軸を無視できる、というもの。
その理由はシンもわからないそうだが、普通の人も、通力持ちも、魔界に飛ばされ妖魔となる者も──セロである魂だけは、死後、過去と現在と未来にランダムに飛ばされるという。但し、通力持ちと妖魔になる魂は大体過去に行くらしいが。
例えばシンは、今よりもずっと未来で生きていたらしい。そして死後、シンの魂は今から約二万三千年前に飛ばされ、そこで初めて天界を創り、徐々に仲間が集まって今に至る。
もちろん、双子であるリンさんも同じ。近くで生きていた者同士は、同じ時間軸に飛ぶのが普通らしい。
つまり──
「シンって……二万三千歳だったんだ……」
あまりにも、あまりにも予想外すぎる事実に──俺は呆然とすることしかできなかった。
だって二万三千って…………すっげー年の差やん…………リンさんもだし……
「約、ね。正確には知らない」
「で、お前は一万年は生きている……と」
「一万と千年くらいかな。エルナの方が先に天界にいて、しばらく経ってから組んだから、付き合いの長さは一万くらいだけど」
………………うん。少し落ち着いてきた……
俺は額に軽く手を当て、長く息を吐いたあと、
「オーケー……とりあえず理解した。……この世の壮大さをな……」
後半だけぼそっと呟いた。多分聞かれてはいない。
因みに、どの魂もシンたちより過去には行っていないらしい。だから妖魔が現れたのはシンより数千年経ってからだし、主護者一人目なんて五千年後に来たという。
マジすげーな。規模が。
「……一応聞くけど、矢鏡も主護者たちも年齢とか気にする? 年上には敬語使え、とか」
「そんな奴いないよ。シンは他人行儀とか、堅苦しいの嫌いだから」
「あぁ、だから呼び捨てでいいって言ったのか。タメ口でも怒らなかったし」
出会った頃を思い出して、やっぱりシンは優しいな、と思った。