4-1 まさかの前世とご対面!?
真っ白な世界。
上も、右も、左も、地面も。
その全てが白で染まっている。
だが、それが全てというわけではない。
宙には薄青い光が漂い、風も無いのにゆったりと流れている。
それらは徐々に現れ、溶けるように消えていく。
幾度となく繰り返される情景を眺めながら、俺はそこに立っていた。
無意識に、すぐ横を通り過ぎた光の玉を目で追った。それは前方に向かって行って、だんだん小さくなっていき、やがて消える。
とても幻想的で、とても寂しく、とても綺麗な空間だった。
地面は存在するようだが、壁も天井も有りはしない。
この世界が、どれだけの大きさなのかも分からない。
ただ一つ。これだけは言える――
「なんだ。夢か」
全く動じず、普段の口調で言い放つ俺。
ついでに意識もはっきりしてきた。
「あれかな……明晰夢……だっけ? 初めて見たな……」
誰に言うでもなく呟いた。
因みに服装は、寝る時と同じで白いシャツと黒いズボン。そして裸足。
寝た時と全く同じ格好だからかも。夢だとすぐに気付いたのは。
俺はきょろきょろ辺りを見回し、
「うーん……どうすれば目覚めんのかな……」
とりあえず真面目な顔で考えてみる。
景色は良いんだけどさー、やることなさそうでぶっちゃけ暇。
だってここ、なんもないんだぜ。
あるのは、触ろうとしても擦り抜けるだけの不定形な青い光だけ。
直視しても眩しくないが……見てても面白くねぇな。
こんな味気ない夢を見続けるよりは、早めでもいいからさっさと起きて、シンと話していた方がよっぽど有意義に過ごせるってもんだ。
「――よし」
目覚めるために、まずは、やれることをやってみよう。
俺は右手を天に伸ばし、
「目覚めろ! 俺!」
とか叫んでみる。
んー、何も起こらんなぁ……
いろいろポーズも変えてみたが――無駄だった。
なので次。
てきとーな方向を決めて真っ直ぐ走ってみた。全力で。
しばらく走って、息が切れてきた頃に足を止める。
――残念ながら、景色も何も変わらなかった。
というか、俺が疲れただけだった。
「……なんか……おかしくね……?」
ぜぃはぁと荒い呼吸を繰り返し、顎まで流れ落ちてきた汗を右手の甲で拭う。
大きくゆっくり息を吐き、一旦落ち着いてから、
「なんで夢なのに疲れるんだ? 汗も出るし……」
再び腕を組んで思案する。
そして唐突に――
誰かに呼ばれた気がした。
いや――
誰かが俺を呼んでいる。
呼び声が聞こえたわけでもないのに、何故か確信を持ってそう思った。
どこだ?
向かうべき場所を探して、視線を彷徨わせる。
しばらくして、ある一点が目に留まる。
「……あっちか……」
ぼそりと呟いた後、俺は迷わず左に向かって歩いて行った。
大した時間もかからずに、その場所へとたどり着く。
景色は相変わらずだが、そこだけに薄く光る白い霧が、まるで異次元への入口のように、アーチ状の塊を作っていた。
その前で立ち止まり、俺の背より頭二つ分は高い入り口を見上げる。
何故ここだと思ったのか、何故これが『入り口』だと分かったのか――それは俺には説明できない。何故か分かった。それしか言えない。
だが、確信はある。
ここに、俺を呼ぶ人がいる。
俺は足を踏み出して、迷うことなくその中に入って行った。
真っ白い霧の中をまっすぐ歩いて、しばし経ち――
突然、横から風が吹いた。
視界を埋め尽くしていた白い霧が全て晴れ、青い空と、地面を埋め尽くす色とりどりの小さな花が目に映った。空には雲も太陽すらも無いというのに、ここはまるで日中のように明るい。
そして時折弱い風が吹き、俺と、すぐそこに佇む彼女の髪を揺らした。
真っ直ぐ俺を見つめる彼女は、口元に小さく笑みを浮かべ、
「はじめまして、華月京」
俺に似た声でそう言った。
誰か、なんて聞くまでもない。
「エルナ……」
俺はただ、呆然と彼女の名を呟いた。
**
前世の名前を初めて聞いたのは、昨日の朝のことだった。
寝ぼけたフィルが何気に口にした名前に、最初は『誰だろう』なんて思ったが、不思議と慣れ親しんだ感覚がして、すぐに『俺の前世の名前かもしれない』と気付いたんだ。
それが確信に変わったのは、あの変態が俺に向かって呼んだから。
**
エルナの服装は、半袖の白いワイシャツに、同じく半袖で青紫色の羽織り。濃い藍色のズボンに、低めのヒールがある白いサンダルだった。
矢鏡が言っていた通り、外見はほとんど俺と変わらない。
髪色も瞳の色も体格も――
違うところといえば、髪が腰下まで伸びていることと、胸がDカップくらいあること。女性らしいスラッとした体型であり、ヒールの高さを入れて、俺より少し身長が高いことだけだ。おおよそだが、フィルと同じくらいかな。
俺はふと、左手を顔まで持っていき、ぐいっと左頬を引っ張る。
「いてて」
うん。痛いわ。
「――ってことはこれ……夢じゃない?」
「そう」
エルナがにっこり微笑む。
「ここはこの魂の精神世界。本来なら、浄化によって人格が封じられる場所よ」
「へー……そっかぁー」
俺もにっこり笑う。
あはは。
なるほどなー。精神世界かぁー。
だから俺の前世であるエルナがいるのかぁー。
俺はこくこく頷き、
「うんうん納得――出来るかっ!」
途中から我に返って叫んだ。
「ちょっと待って! わけわからん!
――つーことは何か!? もしかしなくても俺、浄化されたってことか!?」
違うよな? そんなわけないよな?
だって、夜になったから寝ただけだぜ?
浄化されるようなことはしてないはずだろ?
それで浄化されてたらおかしいよな? おかしいはずだよな?
頼むから違うと言ってくれ。俺はまだ死にたくない……
予想外すぎる展開に、完全に混乱して声を荒げる俺に、しかしエルナは思ったよりも軽快に笑い飛ばし、
「あっはははは! そんなわけないでしょ! バッカねぇー!」
どこか楽しそうに言う。
否定されたのは良かったけど……
エルナに『バカ』って言われると、鏡見て自分で言ってるような気分になるな……
でも、そのおかげで少し落ち着いてきた。
「……なら、なんで俺、精神世界にいるんだよ?」
そう尋ねると、エルナはフッと笑い、右手を腰に当てる。
「分かっているでしょう? 同じ魂なんだから」
堂々と告げられた言葉に、俺は目を見開いた。
そしてすぐに思い知る。
今のが愚問だったことを。
なぜなら、その答えはすでに知っていたからだ。
俺がここにいる理由も。
何故、エルナと会えたのかも。
理屈はさっぱりわからない。ここに来た当初と同じで。
――だが、何故かはわかる。
エルナが呼んだから。
俺が、エルナに会ってみたいと思ったから。
俺は無意識にエルナの呼び声に答え、自分でここに来たんだ。
――それを突然理解した。
同時に一つ、思い出す。
説明の出来ない不可思議なことなど、この世界に来てから起こりまくっているんだから、驚くなんて今更だった。
術とか妖魔とかが現実に存在するわけだし……そう考えると、自分の前世と対面してるってのは、なかなか面白い状況かもしれない。
完全に冷静さを取り戻した俺は、ふぅっと小さく息を吐き、
「しっかし……まさか前世に会えるとは思わなかった」
「いやー、全くね♪ 試しに呼んでみて良かったわ♪」
無意味に手をパタパタ振りながら、すっげぇ明るく言うエルナ。
矢鏡が『かなり快活で大胆』と言っていたが――
うーん……想像以上だな。
前世というだけあって、てっきり性格も俺と同じか似ているものと思っていたが……結構違うなぁ。だって俺、ここまで楽天的じゃねぇもん。……多分。
「さて華月。早速だけど、本題に入りましょうか。あんまり時間も無いことだし」
エルナが言った。
切り替えが早いところは同じだな。
「時間が無い?」
俺は思わずオウム返しに聞いた。
エルナは小さく頷き、
「精神世界って言っても、夢と同じようなものだからね。
寝ている間じゃないと、貴方をここには呼べないの」
「つーことは、あと少しで俺は起きるってことか」
「そう。でもその前に、華月に教えておこうと思ってね」
「何を?」
先を促すように聞いた途端、エルナの目がすぃっと細められる。
躊躇うような間を開けて、どこか悲しげに微笑んで。
「……ほんとはね、私の記憶を"継がせた"方が早いんだけど……
でも、それだけはしたくない。だからここで――」
そして彼女は静かに言った。
「戦い方を教えてあげる」
と。