19-3 どうせ忘れさせられるけど
あれ?
記憶消すなら、さっきさんざん叱られたのって一体……?
叱る意味なかったんじゃないの……?
俺が情けなさすぎて我慢できなかったってこと……?
――などとショックを受けているうちに。
「記憶が消えるとしても――
疑問が残ったままだと支障が出るかもしれないから、わかる範囲で答えてくれないか」
まじめな顔で矢鏡が言った。お仕事モードに戻ったらしい。
「……あぁ、そっか。そうだね。確かに、気になって集中できないって言いそうだし……いいよ」
じっと俺を見たフィルが腕組みを解き、いつもの爽やかな笑みを浮かべる。
まだ気持ちの整理がつかない俺を置き去りに、矢鏡たちは真剣に話し始めた。
「まずムトゲヂィスについてだが、どこを攻撃すれば倒せる? とりあえず幹の中央にある黒い核を攻撃していたんだが、小さいやつは核を壊さなくても倒せた」
「弱点は核で合ってるよ。核を壊すか、取り除くか、切り離せばいい。核には吸い取った血液で作られた養分が溜められていて、それが活動するためのエネルギーとして使われる。人間で例えるなら脳か心臓だね。失えば動かなくなる。
もちろんディルスがやったように、核がむき出しになるまで幹を削っても倒せるよ。ある程度は幹が残っていないと再生できないから。
まぁでも、ムトゲヂィスなら今後は僕に任せてくれていいよ。どれだけ素早くても、植物相手なら僕の独壇場だ。除草剤なら有り余ってるし」
「…………すまない。大口叩いておいて、華月に負担をかけた」
「いくらなんでも油断しすぎ、無様だねディルス」
トゲのあるセリフを吐いてから、フィルはすっと真顔になり、
「――と言いたいところだけど、相手がムトゲヂィスだからね。今回は本当に相性の問題だし、責めはしないよ。
華月の体は異常だから少しは耐性があるようだけど、普通は彼らの放つ毒に耐えられないから。霊体にも効く程だし。薬物耐性を付けてる変人のセンリと生まれつき耐性の高いノエルなら大丈夫だけど、他の主護者が来ても似たような状況になっていただろうね」
「麻痺したのは毒のせいだったのか。けど、毒を吸った覚えはないぞ」
「残念、今も吸い続けてるよ。花の香りがするだろ? 遺跡中に充満しているそれが毒だよ」
にこやかにあっさりと衝撃的なことを告げるフィル。
「はっ!?」
衝撃的すぎて思考が戻ってきた。
俺は咄嗟に息を止めようとして、すぐに意味がないと思ってやめた。
代わりにフィルに問いかける。
「じゃあ俺たちずっと毒の中にいるってこと?」
「そうだよ」
「そうだよって……そんなかるーい感じで言うことじゃなくね?」
「毒と言っても、術式を発動しない限り害は無いからね。むしろ生物にとっては得しかないよ」
「毒なのに?」
「そこの人間たちが言っていただろう? 何日も何も口にしていないって。
実はこの毒、生物の生存に必要な栄養も水分も含まれていてね。しかも、毒というより栄養剤と呼んだ方がいいほど高性能のものなんだよ。効率よく吸収され、不要物も出さないから排泄も無し。バランスの取れた食事を続けるより健康になれるよ」
え。すごい。それはすごい。
しかも食事の必要がなくなるからかお腹がすくこともないらしい。
食べる楽しみが無くなるのは嫌だけど、トイレ行かなくていいってのはちょっといいなって思う。
「取り込んだ血液を核の中で変質させて、一部を空気に混ぜて放出してるわけで――要は幻獣の細胞を吸ってるんだよね。そして秘術を使って合図を送ると、体中に行き渡ったムトゲヂィスの細胞が暴れだして神経に作用し、麻痺を起こすという仕組み。
より好みの生物を閉じ込め、己の細胞を吸った生物が良い血液を作ったところで殺し、自身の養分にする。それを繰り返して生きるのがムトゲヂィスの生態」
「つまり、この遺跡はやつらの家畜小屋ってわけか」
「同時に狩りの練習場としても使われてるね。十数人ずつ放り出しているのはそのためで、邪魔者役の低級より早く獲物を見つけ出し、捕らえられるように知恵を付けるのが目的――って感じかな」
「なるほどな」
納得したらしい矢鏡は、ふむ、とひとつ頷く。
俺も同じく頷いといた。あんまりわかってないけど。
「で、解毒薬はあるんだろうな?」
「あるけど、使う必要はないよ」
返ってきた答えに三ミリほど眉をひそめた矢鏡が、わずかに首を傾げて続きを促す。
フィルは片手を軽く振り、
「幻獣が術式を発動するより僕が薬を撒く方が早い。麻痺することがないなら解毒は脱出後でいいし、そもそもこの毒は自然と抜ける」
「どのくらいで?」
「一日半ほど。空腹を感じてきたら毒が抜け切った証拠だよ」
「そうか」
矢鏡はそう言って口を閉ざした。もう疑問はないらしい。
俺も、とりあえず毒は気にしなくていいってことと、解毒はしないってことはわかった。
まぁ確かに、遺跡中に毒が充満しているなら、今解毒したところですぐさま毒を吸い込むだけだもんな。そりゃあ解毒する意味ないわな。
分厚い壁越しにいたアサギたちまで麻痺していたわけだから、相当厄介な代物だけどそういうことなら気にせずに…………お? ちょっと待てよ?
「なぁ、ヘルもさっき麻痺してたんだよな?」
「はい。といっても、わたしは霊体なので、麻痺というほどではなくて、ただひたすらだるかっただけで……例えるなら高熱が出た時みたいな感じですかね」
俺がフィルのお叱りを受けている間に上から降りてきたヘルが矢鏡に言っていたが、この部屋の真上に太い通路があり、フィルが空けた穴からだいぶ離れたところでヘルは突っ伏していたらしい。ドアなどで遮られていなかったアサギたちとは違い、この部屋とはまったく繋がってなかった場所にいたというのに、だ。
「じゃあ、フィルは? 麻痺してなかったよな?」
ヘルまで麻痺してたなら、当然フィルも同じはず。
しかしあの時、どう見ても麻痺していたようには見えなかった。
なのでそう聞けば、フィルはにっこり笑い、
「……僕は医者だよ? なんとでもなるさ」
「おー……そっか。そうだよな。めっちゃすごいもんな、フィル」
俺はうんうんと頷いて、今のは愚問だったと悟った。
きっと麻痺した瞬間に薬かなんか使ってすぐに治したのだろう。
それから、フィルをじっと見つめていた矢鏡が、
「…………」
口を開きかけたが、何も言わずにすぐ閉じる。
ちょっと気にはなるが、フィルと話していると矢鏡がたまにやる行動なので今回も特に触れない。
そういうわけで、この先ムトゲヂィスはフィルが倒すということになった。
素早いし地面に隠れていたりもするので少し心配だが、自信満々にフィルが言うなら、信じて任せるのが友達だろう。
そしたら俺は…………あれ? 敵をフィルが倒すなら、俺は何すればいいんだ?
「はっ! そうだ!」
急に叫んだ俺を矢鏡とフィルが訝しげに見てくる。
俺は無意味にこくこく頷き、
「じゃあ、俺は大部屋を探すのがんばるよ」
「ごめん。僕、その場所わかる」
ちょっとだけ言いにくそうにフィルが言った。
俺は目が点になった。
矢鏡もアサギも唖然とした。
俺は両目を閉じ、上を向き、再び目を開けてフィルを見て。
「……え? わかるの?」
「うん。あと幻獣の位置と、遺跡内に散ってる生者の場所も。
華月が覚えているかわからないけど……僕の特性は花で、風系の他に水系と地系も一応使えるんだよね。そして、水系が使える者は水の流れや波動を感じ取ることが出来るんだよ。大雑把か精密かは人によるけどね。
僕は精密にわかる方で、人間ほど水分をもった生物なら、かなり離れていても大まかな位置なら割り出せる。実はね、近ければ近いほど詳しく感じ取れるから医術にも使ってるんだよ。肌に直接触れば血の流れも細胞の動きもわかるから。
森の中とか海の傍とか、水分が多い場所だとわかりにくいけど……幸いにもここにはあまり無いから感知しやすいんだ。
あぁでも、低級と使い魔はわからないよ。生き物じゃないからね」
……うん。フィルがすごい人だってこと、再認識した。
つまり俺の役割は消えたってことだ。
さっきまであんなに真剣にがんばっていたのに……俺は無力だ……かなしい……
「落ち込まないで華月。君の仕事は別にある。
確かに幻獣相手なら僕は有利を取れるけれど、低級はともかく使い魔を倒すのは僕には厳しいし、魔族はどう頑張っても僕じゃ無理だからね。
出来るだけ力を温存して、使い魔や魔族を倒してほしい。頼りにしてるからね♪」
…………
「あぁわかった!」
復活した俺がガッツポーズで応えると、フィルはふふっと小さく笑った。次いで、何かを思い出したらしく『あ』と呟き、
「一応言っておくね。華月は怪我をしないように気を付けて」
「お、おう。そりゃ怪我したくないからいつも気を付けてるよ。痛いの嫌いだし」
「いつも以上に、だよ。
さっきも説明したけれど、君の血は彼らにとって万能薬に等しい。ほんの少し吸収するだけで完全回復出来るほどだ。僕の薬は瞬時に作用するように作ってあるけど、体積が大きければその分枯れるのが遅くなるからね」
「つまり、完全に枯れる前なら回復出来るってことか」
理解したらしい矢鏡が納得した様子で頷いた。
ふむ。なるほど、そういうことか。回復されたらまた薬を撒かなきゃいけないだろうし、薬はいっぱいあるって言ってたけど、無限ってわけじゃないだろうし。気を付けよう。
まじめな顔で頷く俺たちを眺め見て、それからフィルは難しい顔をしてどこぞを見やり。
「細胞も構造も成分も通常の人間とは異なるからだろうな。まぁそんなことは解析するまでもなく明らかだけど。ただ、どれほどの違いがあるかはわからない……
昨日少しだけ調べられたけど、やっぱり情報が足りないなぁ……
エルナは霊体だったし、そもそも協力してくれなかったし……
もっとしっかり研究してみたいんだけどねぇ。
血の一滴でも髪の一本でも、敵にあげるくらいなら僕が欲しいよ。
――その顔やめてくれる?」
ジト目を向けてくるフィルから離れ、自身を抱きしめてヤベェ奴を見る目で返す俺。
フィルはまたピーンと何かをひらめいたようで、
「そうだ。ねぇ華月。元の姿に戻る時、伸びた髪はそのままなんだけど……もちろん切るでしょ? その髪くれない?
――だからその顔やめてくれる?」
矢鏡が俺を庇うように前に立ち、俺と同じような目を向ける。
フィルはとても不服そうにそっぽを向き、
「いいじゃない、髪くらい。華月が損するわけじゃないし。痛みを伴うわけでもないし。手足とか内臓くれって言ってるわけじゃないんだから」
「言った通りだろ華月。普段は好青年の皮を被ってるが、こいつは研究第一のやばい奴なんだよ」
くるっと振り返り言う矢鏡。
俺もしっかり頷いて、
「おう、そうだな。研究第一とか聞いたことないけど」
「夏休みに入る前に言ったよ」
「ごめん」
まったく覚えてなかったので素直に謝った。
夏休み前って……いつだろ。追試のための勉強見てもらってた時? それともテスト終わりに矢鏡んちで人生ゲームした時か?
……まぁいいか、いつだったかなんて。きっと何か別のことを考えてた時に言われたんだろう。その時ずーっとはしゃいでたし、俺。
そう結論を出して、間もなく。
「みんな! 彼女たちが目を覚ました。すまないが、手を貸してくれ」
アサギの呼びかけに目を向ければ、船の中から複数のうめき声が聞こえてくる。
雑談タイム終了である。
すぐさまアサギとケイが船の中に入り、彼女たちが起き上がるのを手伝い始めた。続いて矢鏡とヘルもそれに加わる。
目が覚めてよかった、とほっと胸をなでおろし、俺も船に向かおうと一歩踏み出して。
「ごめん、そっちは任せていいかな。
僕は幻獣を調べてくる。欲しい素材があってね」
枯れた巨木を指さしたフィルがそう言うので、あぁわかった、と返してから船に駆け寄った。
その時――
「…………適した任務を探してもらったけど、こうも僕向きのものを持ってくるなんて。やるなぁグレイヴァ」
幹を目指して進むフィルからそんな小さな呟きが聞こえたが――聞こえなかったことにした。
探してもらったって何、とか。今回の任務はアサギが救援出したんじゃないの、とか。なんでグレイヴァが出てくるのか、とか。いろいろ気にはなったけど、たぶん聞いても答えてくれないだろうし……
それと、なんとなく。
聞いてはいけない気がしたので。