18-1 二度目の……
人がいないか。
敵がいないか。
音と気配に集中しながら黙々と通路を歩くことしばし。
「申し訳ございません……しっかりと覚えていれば……」
ふと、アドラさんが言った。六十代後半くらいの女性で、この中では一番年上だからと彼女たちのまとめ役をしている人である。
「気にする必要はありませんよ。恐怖でそれどころではなかったでしょうし、仕方のないことです」
最後尾にいるアサギが優しくそう応えた。
目的の大部屋は彼女たちが放り出された場所のすぐ近くではないか、というのが矢鏡とアサギの予想。
なので、彼女たちに通ってきた道を戻ってもらえばいい、という案が出たのだが……残念ながらうまくいかず。彼女たちはあの部屋に繋がっている二本の通路の内、俺たちが通ってきた方ではない通路から来た、ということしか覚えていなかった。
まぁしょーがない。彼女たちは普通の人たちだからな。化け物に『お前らはエサだ』とか『死にたくなければ』とか言われて冷静でいられるはずがない。
つまりは結局、俺の勘で進むしかないってことだが――
ヒントが何も無かった、というわけでもない。
遺跡の奥の方から来たっぽいってのはわかったし、彼女たちはあの部屋以外の部屋には入らなかったらしいし、一回だけ階段を上っているそうだ。
…………
…………うん、まぁ……
参考には……なるんじゃないかな、多分。
因みに彼女たちがあの部屋にだけ入った理由は、長い通路の先に繋がっており、引き返すよりは入ってみよう、ということで意見が一致したかららしい。その時は部屋の中には何も無くて、妖魔は全員が部屋に入った後に地面から現れたという。
通路は大人二人が並んでも余裕があるほどで、高さもそこそこ。一定間隔をあけ、壁か天井にまぶしくない程度に光るブロックが張り付いているおかげで結構明るい。
たびたび左右に部屋があるのを見かけるが、なぜかドアはあったりなかったり。ドアがある場合は一瞬開けて中を見て、無い場合は通りがけにチラ見する。しかし今のところどれも中は空であり、枯れた草木が少しあるだけ。
確かに一本道ではあるが、途中で右に折れ曲がり、その後少し進むとゆるく左にカーブしている。まだ大丈夫だけど、こんな感じが続いたらどっちが奥かわからなくなる。つっても、ここも異空間の中だから物理的におかしい構造になってると思うがな。
やがて丁字路にたどり着いたが、やはり彼女たちはどちらから来たかわからない、とのこと。
なので、なんとなくそっちな気がする、という俺の勘で左に行った。
次の丁字路は右に。
その次の十字路はまっすぐに。
そうやって何度も分かれ道を曲がり――
「今、変な音しなかったか?」
通路の途中にあった部屋の前で足を止めた俺は、ぴったりと閉じている古びた木の扉を指差して矢鏡に小声で尋ねた。
矢鏡はすぐさま片手を後ろに向け、全員に『止まれ』と合図。
アドラさんたちは揃ってその場にしゃがみ込み、ケイとアサギは表情を硬くする。
「なにか落ちたような……そんな感じの音」
俺がそう言う間に矢鏡は扉の横に立ち、すん、と鼻を鳴らすと四ミリほど眉根を寄せた。
「……音は気付かなかった。でも、嫌な臭いはするな」
アドラさんたちに聞こえないよう、同じく小声で呟く矢鏡。
「臭い……あー、花の匂いでわかりにくいけど、確かに変な臭いが混ざってるな。
敵の臭いとか? 近くにいるような感じはしないけど」
「敵はいないだろうが……」
「じゃあ開けてみようぜ。見た方が早いだろ」
俺は迷わず扉の取っ手に手を伸ばし――
なぜか矢鏡に掴まれ止められた。
「え、なんで止めんの?」
「華月は待ってた方が……」
言いかけて、矢鏡は視線を逸らして三秒悩み、それからゆっくりと俺の手を離す。
「……いや、すまない。華月の判断でいい。
ただ……見ない方がいい、と思う」
どうやら、この中に何があるのか、矢鏡には大体の予想がついているらしい。
そしてこう言うってことは……
「――開けるぞ」
俺の掛け声に矢鏡が頷いたのを確認し、そーっとドアを押し開ける。
途端に溢れてきた異臭に一瞬眉をしかめ――思わず目を見開いた。
最初は、〝それ〟が何かわからなかった。
部屋は広く、中は薄暗い。天井にいくつかある光るブロックは、どれもツタや枝に絡みつかれて微かな光しか発していない。だが、砂地に広がっている〝それ〟を見るには十分だ。
矢鏡は静かにドアを閉め、
「華月。無理する必要はないからな。辛ければアサギたちと待っていろ。
――俺は状況と、生者がいないか確認してくる」
言いながら、茫然と立ち尽くす俺の横を抜け、部屋の中央で足を止める。
そこには大きく穴の空いた、枯れかけの植物の塊がいくつもあった。見た感じの質感は木の皮のようで、形はイソギンチャクが一番近いと思う。
そしてその下に、埋もれるように、十人以上の人が倒れている。
――いや、正確には倒れた人間から植物が生えている。まるで土の代わりを人間がやっているかのように。
見える限りでは、どの人も限界以上に痩せこけて、もはや皮しかないんじゃないかと思うほど。それから、多分、腐りかけている。この変な臭いも、頭の近くにしわくちゃの目玉が落ちていたりするのも、肌の色がおかしいのも、多分、そのせい。
矢鏡がその場にしゃがみ、肩越しにこっちを向いた。
俺に出ていく気はない、というのを察してくれたらしい。
「先に教えておくが……
敵がこういった残虐な行動をする可能性がある場合、もしくは実際に目にした場合。教育に良くないし、倫理的にも規制した方が良いという理由で、シンをはじめ精神的にこどもに近い者には知られないようにする、という主護者だけのルールがある。
だから、シンが『詳細を報告されなかった』と言った場合は、こういう惨状を覚悟しておいた方が良い。
ここに来る前にフィルたちが君の心配をしていたのは、それがわかっていたからだよ。
――そういうわけだから、ここで見たことはシンに報告しないようにしてくれ」
あぁ……そういや、エルナが同じようなことを言ってたな。
覚悟した方が良い、とも。
こういうことだったんだな……
俺は無意識に握っていた拳を開き、
「……わかった。なら、報告とかは矢鏡に任せていいか?」
「あぁ」
応えた後、矢鏡は倒れている人たちを順に見ていく。
俺もその傍まで歩み寄り、生きている人がいないか探した。
結果から言えば、全滅だった。全部死体だった。
通路で待っている人たちとは服装が違うので、恐らく別の国の人たちなのだろう。
「上の抜け殻は妖魔のものじゃないから……どうやら相手は植物タイプの幻獣のようだな」
確認を終えた矢鏡が言った。
俺は、ふーん、と返し、
「よくわかるな、妖魔のじゃないって」
「邪気も魔力も感じないし、フィルが作った〝保存薬〟みたいな物を使わない限り、妖魔の死体や切り離された体の一部なんかは時間が経つと消えるからな。人間たちの死体の状態を考えると数日は経っているだろうから、妖魔のものなら未だに残っているはずがない」
そう応えた矢鏡は、腕を組んで俺を見やり。
「それと、連中が言っていた〝エサ〟ってのは――人間の血、のことだろうな」
「血……マジで?」
「恐らくな。根の部分がこれだけ突き刺さっているのに死体にも床にも血の跡がないし、ただ腐敗してるというよりはミイラ化に近いし。もし肉が目当てなら、手足が無くなってたり、内臓が食われていたりするはずだ」
「お、おぅ…………そっか」
すげぇな矢鏡。俺にはそんなの全然わからなかった。言われた今でも、なんで血だとわかったのかわからない。
「俺はこれくらしか読み取れなかったが……フィルだったらもっと詳しくわかるはずだよ。いつ死んだとか、わざわざ遺跡内に放り出して、彷徨っているところを再び捕まえてる理由とかもな。
――とにかく、わずかだが敵の情報は得られた。
華月が聞いた音は、多分死体のどれかの目玉が落ちる音だと思うが……気付いてくれてよかったよ」
いつものように淡々と言って、くるりと踵を返し、入り口に戻っていく矢鏡。そしてドアの二歩手前で足を止めると、手に現した親指サイズの小瓶を一回振って、透明な液体を一滴だけ床に落とした。
「何してんの? それ何?」
さすがに気になって尋ねると、矢鏡は顔をこっちに向けて瓶を消した。
「これは発信機。受信機はヘルが持ってる。
華月は気付かなかったようだけど、ヘルたちのために度々撒いてるんだよ」
「たびたび……? ……あ、わかった。それを辿って来るわけだな?
一本道じゃないから、フィルたちが追い付くの難しいんじゃないかと心配してたけど、そういうことだったのか」
なるほど納得。
でもよく考えたら、頭の良い矢鏡とフィルが、合流するための方法を考えてないわけないよなぁ。
なんで気付かなかったんだろ俺バカだな、と思いながら、水滴が落ちた地面を見やる。
「ところで、ただの水にしか見えないんだけど……マジでそれ発信機なの?
普通発信機って、小さな機械の塊とか、シールっぽくなってるやつとかじゃね?」
「仲間の中には優れた発明家もいるんだよ。
昔はそういう物体だったんだが、敵に見つかって壊されたり、衝撃で潰れたり風圧で吹っ飛んだり、エルナの斬撃に巻き込まれたり、エルナがうっかり壊したりして、あまり役に立つことがなくてな」
二回も言った……エルナが壊したって二回も言った……
「それで腹を立てたそいつが三十年くらいかけて発明したのがさっきの液体。と、それを感知できる受信機だ。仕組みまでは知らないが、乾いても、術かなにかが直撃しても、もちろん斬られても問題なく使用できる。
因みに、華月も持ってる通信機も、スグレカやリコゼもそいつの発明だよ」
「マジか! すげー人じゃん!」
なんでも、機械や装置の発明に関してはこの世で一番と言っていいレベルらしい。むろん、六賢者の内の一人である。
やっぱ天界にはすげぇ人が多いんだな、と思ったところで、ハッと気付いた。
「あ、悪い。こういう話は後にするべきだよな。戻るか、矢鏡」
慌てて言うと、小さく頷いた矢鏡が部屋を出ていく。
俺もその後に続いて通路に戻り、
「どうでした?」
少し離れた位置で待っていた女性たちのさらに奥からアサギが声をかけてくる。
不安そうにしている彼女たちの前で、バカ正直に『死体があった』と言うのはまずいだろう。
俺はちゃんと受け止めたい、と覚悟が出来ているから真実を知りたいと思うが、普通の人たちはそうとは限らない。きっとショックを受けてしまう方が多いと思う。
しかし俺にはうまく説明出来る自信が無い。というより無理だわからん。
だが、こういう時は矢鏡がなんとかするはず。任せて良いはず。
ゆえに、俺は矢鏡の背中を見つめて待つことにした。
矢鏡はその二秒後に口を開いた。
「死体があった。数は十一人。服装からして、君たちとは違う国の者だろう」
えーっ⁉ 正直に話すの⁉
アドラさんたち怯えちゃうだろ⁉ こどももいるんだぞ⁉
あまりの思いやりのなさに、思わずツッコミそうになるが――
もしかしたら何か作戦があるのかもしれない、と慌てて抑える。
彼女たちの様子を見れば、案の定『ひっ』と怯えた声を出し、十歳くらいの女の子なんて実の姉である女性に耳を塞がれている。
けれども矢鏡はまったく気にせず、相手は植物タイプの幻獣だとか、エサが血だったとか、さすがに死体の状態までは喋らなかったが、見たことをそのまんま報告した。
青ざめてドン引く一同。
気にして無さそうなのは矢鏡とケイのみ。……って、ケイ。おまえもか。
対してアサギは悔しげな顔をして、心配そうにアドラさんたちを見回している。
でも矢鏡に『仲間だけで話そう』とか言い出さないってことは、矢鏡に配慮がないわけではなく、ショックを受けたとしても知っておいてもらった方がいい、ってことか。
つまり、矢鏡を止めなくて正解だったというわけだ。
やっぱりこういう報告だとかやり取りだとかは、今後も矢鏡とかフィルに任せた方がよさそうだな。
「因みに、敵の幻獣に心当たりはあるか?」
アサギに向けて矢鏡が聞いた。
アサギは少し考え、それから首を横に振る。
「いや、残念ながら」
「アサギも知らないか。どんな奴かわかれば、多少は対処しやすくなるんだが……」
「とにかく、土や砂の場所では特に警戒しよう。植物というだけあって、地面に潜って移動しているようだからな」
地面か……
ある程度気配を捉えられるようにはなったが、地面の中までは自信がない。
もっと気を張った方が良さそうだな……




