17-2 残った二人 - No side -
「――さて。これで二人きりですね」
ヘルは両手を腰に当て、隣に佇むフィルに目を向けた。
他四名が塔の中に消え、すでに十分は経過している。辺りは静まり返っており、敵が来る気配はまったくない。
フィルは短く息を吐き、ジト目を返した。
「少し不自然だったけどね」
「そこは勘弁してください。チャンスだと気付くの遅かったんです。ゆっくり話が出来るとしたらこの任務が終わってからだと思ってましたし」
口を尖らせて明るく言い、それからすぐに真剣な顔を作る。
「ノエルから聞いた時は驚きましたよ。頼まれたことはほとんど終わらせましたが、人手については〈熱岩〉で我慢してください。丁度良い人が他にいなかったんです。
それと、アサギには三日前に通信機で伝えてありますが、めんどくさいことになるのでケイには何も話してません」
「助かるよ。ケイのことは気にしないで。こんな時にそんなわがまま言わないから。
――来てくれてありがとう、ヘル」
フィルは目を伏せ、柔らかく微笑んだ。
他の主護者たちとは違い、ヘルは冥府を任されている。とはいえ、冥府にいる魂は自然と浄化されて転生していくため、管理といっても異常がないか見ているだけだ。当然、シンのように浄化をする術も持たない。だが、ヘルにしか出来ないことも、確かにある。
だからこそ、ヘルは基本的に冥府から離れない。冥府の中に自宅を作り、好き勝手に物を増やして楽しんでいたりはするが、それも自分の使命を果たすため。天界との行き来はしても、長く冥府を開けることはない。つい先日グレイヴァに付いて出回っていた分、しばらくは表に出てこないはずだった。
「当分留守にさせてしまうね、冥府」
そう言って申し訳なさそうな顔をするフィルに、ヘルは笑みを浮かべて見せ、
「冥府についてはご心配なく。こういう時のためにいろいろ仕掛けてありますから。
それに、非常時に動くこともわたしの仕事です。ましてやあなたたちのピンチとあっては、断るわけがないですよ。むしろ喜んで手伝います。
ですが、知っての通りわたしは頭の良さも察しの良さも人並みなので、何かあれば遠慮なく指示してくださいね」
「……うん。ありがとう」
差し出された手をしっかり握り、フィルはもう一度礼を述べた。
名残惜しそうに手を離し、ヘルはふふっと笑って踵を返す。結界から少し離れたところで足を止め、現した長い棒を使って地面にガリガリと描き始めた。
「それで、原因はわかったんですか?」
「……いや。いろいろと試してはいるんだけど……」
「……そうですか。あなたほどの頭脳をもってしても、まだ、ですか……」
描く手は止めぬまま、うーん、と唸り、
「やっぱり、相当厳しい戦いになりそうですね」
「原因がわかれば、もう少し具体的な対策が取れるのに……」
フィルが顎に手を当て、険しい顔をする。
ヘルはその様をちらりと見やり、描いた大きな七角形の中に文字や文様を刻んでいく。
「リンさんは、どうして教えてくれなかったんでしょう……
なにもかもわかっているでしょうに。華月の――〝月の魂〟が重要なのはわかりきっているはずなのに。せめてもっとわかりやすいヒントをくれたら……」
「それじゃダメなんだろう」
ヘルの言葉を遮って、フィルは夜空を見上げた。
いくつもの分厚い雲がゆっくりと広がり、数多の星を飲み込んでいく。つい先ほどまで見えていた三日月も、今は位置すらわからない。
「これくらい解けなければ、駒としても使えない。
彼女は見定めているんだよ。僕たちが駒に値するのか、戦力になるのか、今後も役に立つのかどうかを。
――相変わらず、手厳しいひとだね」
視線をヘルに戻し、にこりと笑う。
「…………」
ヘルは一度手を止めて、静かに見返した。十秒ほど経ったところで思いっきり眉間にしわを寄せる。
「……フィル。よからぬことを企んでません?」
「まさか」
「嘘です。だってその顔は……それは、わざとらしいです。そんなの見抜けないほど短い付き合いではないです」
「本当に企んでなんてないんだけど……
そんなに変な顔をしていたかな?」
弱ったように微笑んで小首を傾げると、ヘルが長く溜め息を吐いた。
「さすがにわたしの気のせいではないと思いますけど。でも、フィルがそう言うなら……いいです、信じます」
そう返しながら、再び手を動かした。
それからしばらく、棒の先が地面を削る音だけが続き――
最後の一角を描いたところでぽつりと呟く。
「…………勝てます、よね?」
縋るような眼差しを真剣に受け止めて、フィルは下ろした左手を軽く握る。
「勝つよ」
毅然と、はっきりと、言い切った。
そこに自信の表れはない。
あるのはただ、負けは許されない、という事実。
勝てる勝てないではなく、勝つしかない。
「心配しないで。この件においては勝率の方が高いから」
安心させるべく、フィルは優しく微笑んだ。
「なにせ、魔王さんがやる気だからね」
「え、リンさんが……? エルナがあんなに慕っていたのに、一向になびかなかったあのリンさんがですか?」
予想外だったのか目を丸くするヘルに、小さく頷いて返し、
「そうでなければ、僕にヒントを与えるなんてしないよ。
だからヘルが気負う必要はない。いつも通りでいいからね」
「そう言われても……さすがに少しは気を張りますよ。ここが最初の正念場なんですから。お気遣いは感謝します」
軽く会釈して、持っていた棒を消す。
「ところで」
爽やかに笑って、フィルが地面を指差した。たった今ヘルが描き終えた魔法陣を。
「それ、何の術?」
術の発動には決まった文言も文様もないことは、天界でも魔界でも常識とされている。同じ内容の術でも術者によって名が違ったり、詠唱が違ったり、描く魔法陣に違いが出るのが普通である。故に、その文言や文様がどのような術を表しているのかは当人にしかわからない。他人の仕方までいちいち覚えていられるとしたら、神か魔王くらいのものだ。
「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれました」
ヘルがドヤ顔を浮かべて胸を反らす。
「これは製造魔法でして、大きいものは無理ですが、小屋を作るためのものです。大分前に完成させた術なんですけど、今まで使う機会なかったんですよね」
「そう。それで、こんなところに小屋を建ててどうするんだい?」
「ほら、転移だと消費通力が半端なくて、あんまりぽんぽん使えないじゃないですか。
その点これならそこまで通力は使いません」
「うん、確かに転移は蘇生と同じくらいの通力を使うらしいね。
…………で?」
「にこやかフェイスで威圧してきても無駄ですよ。どうせ感づいているんでしょう?」
くすくす笑って、ヘルは両手を魔法陣にかざした。
「〝作製! メイド・イン・ヘル!〟」
唱えた瞬間、陣の上に光が現れ、木造の小屋へと変化する。窓はなく、ドア一つしかないその小屋は、大人十人が入るかどうかというほど小さいものだった。華月が見たら物置かトイレだと言うだろう。
「日本に行くまでは気にならなかったけど……
それ文法的に合ってるの?」
「こーゆーのはノリでてきとーに名付けるもんだからいいんです。気にしたら負けです」
応えてヘルはドアを開け、
「そんなことより。やっぱり服装は大事ですよ」
「……その程度で変わるとは思えないけど」
嫌そうな顔をするフィルの後ろに回り、小屋の中に向けて背中を押した。
「やってみないとわからないでしょう?
それに、前回もついていけなかったのなら、今回こそはなにがなんでもついていかないと、リンさんに斬られちゃうかもしれませんよ」
「うん、まぁ…………そうだろうね……」
フィルが長い溜め息を吐く。
フローリングの床と天井の電灯以外、何もない室内をちらりと見やり、フィルは入るのを渋ったが、やがては諦めて奥まで進む。
その後に続いて入ったヘルがドアを閉め、
「わっふーう! いろいろ着てみましょうねーフィル!」
テンションの上がった彼女に半眼を向け、再び溜め息を吐いた。