16-4 変身(物理)
とてつもなく複雑な気分だ。
普通に考えると不可能でしかないことなのに、超が何個もつく天才にとっては容易いことだという。
本当に嫌で嫌で、心底嫌で、断れるものなら断りたかったが、貰ってから一度も外していない大切な青い腕輪を見やり、シンのためだと自分に言い聞かせて大人しく従った。
フィルが出した丈の短い着物に着替え、自分の部屋のベッドに座り、睡眠薬だという透明な液体の入った小瓶を受け取って。
寝ている間に終わらせるから、と言われ、小瓶の中身を飲んで横になり。
目が覚めた時には――
俺の体には、あるはずのものが無くて、無いはずのものがあった。
ベッドの足元の方にはフィルが用意した立ち鏡があるが――そこには俺ではなくエルナの姿が映っている。髪型も体付きもまんまエルナ。むろんそれは、まぎれもない俺自身。違和感が半端なさすぎて、まるで自分の体じゃないかのようだ。いや実際ぜんぜん違うんだけど。
これが肉体の構成を作り変える薬の効果。理屈も簡単(フィル基準)に説明されたのだが、女性として生まれていた場合の見た目になる、ということ以外わからなかった。
まだ実感が湧かなくて、ベッドの上で茫然と座り込んでいる俺を、すぐ横でイスに腰かけたフィルがじっと見てくる。手にはカルテらしきボードと紙、そしてペン。
「痛みはあるかい? しびれとか、だるさとかは? 体はちゃんと動かせる?」
カリカリと書き込む手を止めて、次々と質問を投げてきた。フィルの背後には、理科の実験で使うような器具とか、いろんな色の液体が入った瓶とかがいくつも乗った長テーブルが置かれている。寝る前にフィルが出したやつだ。
俺は半ば反射的に口を開け、
「痛み……はない。動きも問題ない…………問題……」
俺の声より少し高い声が発せられる。完全にエルナの声だ。
それから、無意識に視界に入れないようにしていた場所――胸へと視線を落とす。
そこにはでっかい塊が二つくっついている。変わる前はぴっちり閉じていた着物が、それらのせいで大きく開いている。さすがにアレまでは見えたりしてないが。
俺は恐る恐る両手を上げ、その二つの塊にそーっと触れた。
「…………。そんなに嫌そうな顔をしなくても……」
俺の顔を見て、フィルが苦笑いを浮かべた。
ぎぎぎ、とゆっくり首を回して彼女を見やり、
「なぁ、これ……邪魔……あと重い……」
「……ごめん、それは諦めて。性別が違うから仕方ないんだよ。
出来るだけ戦闘には支障の出ないようにするから」
「戦闘……これで……? はは……」
「……華月、もしかして頭回ってない?」
心配そうに言いながら、俺の額に片手を当てる。
しばらくして手を引っ込め、
「脳は正常……ということは、単に気が動転しているだけかな。よかった」
ほっと胸を撫で下ろし、再び紙にペンを走らせる。
「華月の体は特殊すぎて、調整するのに手間取ったんだ。研究も実験もしたことがないし。だから、副作用は無い、とは言い切れなくて……
何か異変があったらすぐに言ってね?」
「あー……うん……」
俺がこっくり頷くと、爽やかにふふっと笑った。
次いで、こんこんこん、と部屋のドアがノックされる。
「華月はどうですか? 終わりました?」
にこやかに言いながらドアを開けて中に入ってきたヘルが、俺を見るなり勢いよくドアを閉めた。いつもの口だけの笑みを引きつらせ、視線を横にずらす。
「すみません。外にディルスたちがいるのに、デリカシーが欠けてました」
「……? なんで……? いるとダメなの……?」
「…………なんか華月、ぼーっとしてません? 大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない……ショックがでかい……あと胸がマジで邪魔……」
しかも多分……多分、エルナより大きい気がする……
……なんで?
「うーわー、ぜいたくな悩みですねーそれ。心配して損しました」
ヘルは棒読みでそう言うとフィルに近付き、声を潜めて。
「随分時間がかかりましたね。もう夕方ですよ」
後ろの窓を見てみれば、濃いオレンジの光が差し込んでいる。寝る前は朝だったのに。
「あのガーゼは使わなかったんですか?」
「使ってなければもっと時間がかかってるよ。
頭に血がのぼってついやってしまったことだけど……噛んで正解だったね」
「結果オーライってやつですねー」
「なんの話……?」
「あぁ、華月は気にしないで。大したことじゃないから」
話に混ざろうとしたら、やんわりと仲間外れにされた。
ちょっと気になるけど、大したことじゃないなら別にいいか。
俺は視線を下に戻し、着物の胸元を掴んで、なんとか閉まらないものかと引っ張ってみる――が、結果は胸がちょっと苦しくなっただけ。溜め息が自然と漏れる。
「それにしても……華月、すごーく渋い顔してますね。まっずい薬を飲んだみたいに。
普通、女性の体になったら喜ぶものでしょう?」
不思議そうに首を傾げるヘルに、俺は眉間に寄ったしわをさらに深くして、
「喜ぶわけないだろ。俺にも男としてのプライドってのがあるんだぞ」
と返すと、ヘルは五秒ほど呆け、
「……華月、今いくつですか? 年齢。十代半ば、くらいに見えますが」
「え? 十七だけど……なんで?」
「いえ……思春期っぽくないなぁ、と思いまして」
「そうか? そんなの初めて言われたよ」
その言葉に首を傾げると、顎に手を当て考え始める。
フィルが長テーブルの上を片付けだしたところでにやりと笑うと、俺の背中側に移動してベッドの縁に腰かける。
そして、
「えいっ」
「ぅをっ⁉」
がっしぃ、と後ろから両手で俺の胸を鷲掴み――即座にフィルが分厚い本をヘルの頭に振り下ろした。
「あだー!」
痛そうな声を上げ、バコォッと殴られた頭頂部を手で押さえるヘル。
そんな彼女を呆れた眼で見下ろして、
「純真無垢な華月になにしてるんだい? 変なことを覚えたらどうしてくれるの?」
「いやぁ……エルナには絶対に出来なかったことなので、つい。
あとほら、こういう人にはいたずらしたくなるじゃないですか」
「僕は同意しないからね。そういう事するなら出ていって」
「わかりましたから本を構えるのやめてください。結構痛いんですよ、それ。
というか、今朝あんなことをした人がそれ言うんですかー?」
「ちゃんと責任取ったから」
「あーずるい。ずるですよフィル。それ、あなたしか出来ないことじゃないですか」
言って頬を膨らませる。文句を言いつつも立ち上がろうとはしないところを見ると、どうやらいたずらを止める方を選んだらしい。
またやられたら嫌なので、念のため少し離れてから俺はフィルに笑みを向けた。ぎこちなくなってしまったが。
「と、とめてくれてさんきゅーフィル。
因みに純真無垢ってどーゆー意味? あと、あんなことって何?」
「華月、世の中には知らない方がいいことがたくさんあるんだよ。覚えておいてね」
笑顔は爽やかで、口調は優しいが――質問には答えてくれないし、なんかこわい。従った方が良いと俺の勘が告げている。なので即座に、はい、と返して聞くのを諦めた。
「さ、無駄話はこれでおしまい。あまり時間に余裕がないからね。
華月はもう大丈夫そうだから、次に移ろうか」
「はい、わたしの出番ですね」
ささっと空気を替えて、真面目なモードに入る二人。
フィルが数歩下がり、ヘルが立ち上がってこっちを向いて両手を少し上げた。その上にばさっと白や紺や青紫の布が現れる。
「わたしの能力をひとつ、お教えしましょう。シンから特別に与えてもらった力ですが、思い浮かべられる物なら創り出せるんです。シンと違って、いくつも制限があるんですけどね。
というわけで、女性になったあなたのために着替えを創りました。本音を言えばいろんな服を着てもらいたいのですが、今日は諦めます」
そう言って布たちを俺に差し出す。
「なので、華月も文句は言わないでくださいね。ちゃんと華月のことを考えて、動きやすい服にしましたから」
受け取って、広げて見れば――
それはもう、見慣れたエルナの服だった。