011 one week later
βテストのスタートから一週間が経過した。
颯は、寝ても覚めても浸かり込んでいた『THE FIFTH WORLD』から、ひさしぶりに現実へ目を向ける機会を得ていた。昨日、システム音声が突如としてメンテナンスを通知したからだ。
運営側の説明によれば、トッププレイヤーの活躍は凄まじく、各種調整に必要なデータが想定以上の早さで集まっているらしい。そのため、丸一日をかけて大幅なバランス調整が行われることになった。このメンテナンスの間、プレイヤーはログイン不可能となる。
VRMMOは『第二の現実』としてリアルのインフラを兼ねているため、メンテナンスでログイン不可能というのは大変珍しいことである。少なくとも、『Power Four』ならば絶対にありえない。βテスト段階の『THE FIFTH WORLD』だからこそのレアケースと云えた。
なお、プレイヤーからはブーイングの嵐だった。
バトル中心に活動する交戦者はまだしも、生産や研究を担っているプレイヤーたちはスケジュールを厳密に管理し、専門職同士で連携を取り合っている。いきなり一日中ログイン不可能となれば被害は甚大なのだ。
製作者プレイヤーのSORAから、そんな愚痴を延々と聞かされたため、特に知りたいわけでもない生産職事情に通じてしまった。
βテストの初日に顔を合わせてしまった以上、SORAとは『THE FIFTH WORLD』でも付き合いが続くことになると覚悟していたが、早々にフレンドコールで呼び出しがあり、颯はげんなりしたものだ。
絡み酒で聞かされたが、はじまりの街が廃墟であることの何が一番大変かと云えば、『NPCがまったくいない』という点であるらしい。プレイヤーがログアウトしている間も、仮想世界の時間は進んでいく。単純な作業、例えば、畑の水やりすら任せられるNPCがいないため、生産職のプレイヤーは効率が上がらなくて悩んでいるそうだ。
SORAは云っていた。
「今回みたいに、プレイヤー全員がログインできない状態だと、作業が滞るどころか、完全にダメになってやり直しになる作業も出てくるからね。βテストだからこそのドタバタだと思って、こんな苦労や失敗も笑えば良いんだけど……。やっぱり、リカバリーを効かせられるNPCは欲しいかな」
プレイヤーの大半はそんな風に、『THE FIFTH WORLD』を一日も欠かさず遊び続けたいと思っていたが、運営による決定事項が覆るはずもなく、本日のβテストは休みである。
「うーん」
朝、目覚めたばかりで、颯は途方に暮れる。
「どうしよう、学校でも行くかな?」
高校の制服に着替えて、颯は居間に向かう。
あくび混じりにトーストを食べていると、「うわ! お兄ちゃんが学校に行くつもりだ。雨が降りそう。傘だ、傘を持っていこう」などと、騒がしい妹が背後を駆け抜けていく。
「ハヤテ君、調子はどうですか?」
朝食を食べている最中、母親に話しかけられる。
「βテストに守秘義務があるのは仕方ないと思うのだけど、何をやっているのか、全然把握できないのが、お母さんとしてはすごく心配です。去年も、確定申告の時になって、とんでもない金額ということがわかって大慌てだったから……。あれは、二度とごめんですよ?」
金銭のことを突っ込まれると、頭が痛い。
顔を逸らしたものの、逃がしてもらえなかった。
「ねえ、ハヤテ君、聞いていますか?」
母親は、物憂げにため息を吐く。
髪の毛を指先でくるくると巻きながら、「困りましたね」とつぶやく。年齢不詳であり、自称は「永遠の十八歳」というキャラクターを貫いているが、見た目は本当に若々しいのであまり冗談になっていない。
「カエデちゃんは彼氏がいるし、家の手伝いも積極的で、しっかり者だけど……。ハヤテ君は、いつまでも子どものままなんだから」
「え、ちょっと待って」
聞き捨てならない言葉に、颯は慌てて尋ねる。
「あいつ、彼氏いるの?」
中学三年生の妹に彼氏がいるという事実に、眠気も吹き飛ぶ。
「あらあら、うふふ」
母親は、楽しそうに笑う。
「ハヤテ君もいい加減、恋愛したら?」
「う、うるさいな」
反射的に叫んだものの、「親に向かって口のきき方がなってないわ」と、フライパンでカウンターを喰らった。ゲームならば、クリティカルヒットだっただろう。母親はプレイヤーではないが、なかなか見事な腕前である。
「……いや、なんて親だよ。真面目にやって欲しい」
痛みはないが、なんとなく額を押さえつつ、颯は洗面所で顔を洗っていた。
すると、フレンドコールの着信音。
顔を拭きながら、エアディスプレイを起動させる。
「もしもし」
相手は、アリスだ。
着信の時点でそれはわかっていたが、応答してからも返事はなく、延々と続く沈黙を不思議に思いながら、「もしもし」と繰り返した。しばらく待つと、ようやく一言だけ返事があった。
「たすけてください」
弱々しい声で、フレンドコールは途切れる。
何があったのか。考えるよりも先に、颯は玄関を飛び出していた。「ハヤテ君、鞄は?」という母親の声も無視して、エアディスプレイを高速で展開しながら走り出す。
VRMMOが隆盛する前まで社会の基盤であった通信網は、過去の遺物であり、ほとんど途絶えている。電話やPCを若い世代が使用することは滅多になかった。
エアディスプレイにより、颯の視界にはVRMMOさながらのインターフェイス・グラフィックが浮かんでいる。当然ながら、現代社会の根幹とも云うべき通信インフラには常時接続されている。
アリスの居場所をフレンド権限で検索すれば、自宅マンションにいることがわかった。念のため、颯の方からフレンドコールをかけてみるが応答はない。「なんだよ、いったい」と、文句を云いながら家の裏手に進んだ。
高級マンションの重々しいゲート。
トッププレイヤーはそれだけで成功者だが、VRMMO『ゲルタニア』の広告塔になるほどの人気者であるALICEは、トッププレイヤーの中でも飛び抜けている。十七歳にして、人生を何周もできるぐらいの資産は持っているだろう。豪華な住まいは、むしろ当然である。颯は、圧倒的な格差による虚しさを感じたけれど、すぐに気を取り直してエレベーターに乗り込んだ。
幸いにして、セキュリティは事前に解放されていた。
アリスの住居は最上階、ワンフロアすべてだ。
「どうした、大丈夫か?」
女子の独り暮らしの部屋に一瞬の躊躇は感じたものの、そんなことを云っている場合ではないと、部屋の中まで踏み込んだ。
空に浮かんでいるかのように、ガラス張りで見晴らしの良いリビングルーム。
黒革のソファーの近くで、まるで映画の殺人現場のように倒れ伏しているアリス。
「し、死んでる!」
「……違います、生きています」
悲鳴を上げた颯に対して、蚊の鳴くような声が返ってきた。
死んではいなかったものの、どう見てもただ事ではない様子に、颯は動揺していた。駆け寄って助け起こそうとするが、もしも怪我でもしているならば、無闇に動かさない方がいいかも知れない。
うつ伏せで表情の見えないアリスの耳元で、「大丈夫か」と声かける。
彼女は、今にも消え入りそうな声で、ぽつりと零した。
「空腹で、動けません」




