ディオーネの王子
な、なぜこうなった……。
ヴァンとリリアの二人は今、王族専用のモーヴィルの中にいた。
モーヴィルとは、人を乗せて走る乗り物だ。移動手段としてはもっとも普及している。
ただし、ガンシップと違って使えるのは都市内だけに限られる。
なぜなら外界では悪路でまともに走ることもままならないうえ、陸と空の両方からモンスターに狙われてしまう。それはもうモンスターにとって動く的でしかなかった。
あれから、リードはアロイス王子と言葉を交わした後、俺たちを置いてそそくさと巡回に戻ってしまった。そして「泣いている民を放ってはおけません」とアロイス王子は家まで送ると言い、モーヴィルに乗るよう促されて、現在に至っている。
モーヴィルの中は三人が余裕で座れるほどのシートが二つあり、それが向かい合うように配置されている。
そして、それがモーヴィルの前と後ろで向かいあう形に配されている。
二つのシートのの間には書類などを置くためと思われる白色の長方形の形をしたシンプルなテーブルが置かれており、だが光沢のあるそれは、やはり高級感を感じさせた。
その中でヴァンとリリアは前寄りのシートに座っている。
そのクッション性はもはや高級ソファーのように座り心地が良かった。
そして、テーブルを挟んだ向かいのシートには、ディオーネの王子であられるアロイス王子が座っていた。
整った顔立ちに紺色の髪と瞳。肩より少し長めの髪は後ろで結えられ、人当たりの良さそうなふわりとした雰囲気を醸し出している。
アロイス王子の横には側近と思われる若い女性が座っており、なにやらあっちこっちに電話をしている。
話の内容から、どうやら様々なお偉い方と連絡を取って都合合わせをしているようだ。会話が終わる毎に、彼女の手元に置かれたスケジュール表の上をペンが踊っていた。
「そうですか。ヴァンのご両親の話を聞いて……。私も幼少の頃に何度も護衛していただきました。彼らがいなければ、既に私は居ないでしょう。ヴァン。あなたのことは以前からお聞きしていましたが、こうして会うのは初めてですね」
「は、はい! お会いできて、光栄です!」
ヴァンは柄にもなく固くなっていた。なにせ、目の前に居るのはこの国の王子なのだ。親父たちが竜騎士だったとはいえ、ただの一庶民でしかないヴァンが平常心で居られる訳がなかった。
そんなヴァンの反応が面白いのか、アロイス王子は笑みを浮かべる。
「私もです。ですが、堅い挨拶は無しにしましょう。あなたのご両親には沢山お世話になった身です。あなたとはもっと仲良くしたい。そして、そちらの方とも」
アロイス王子は、優しい目でリリアを見ていた。
リリアはもう泣いてはいなかったが、何故か帽子を目深に被り顔を上げようとはしない。
「どうした、マロ。緊張しているのか?」
「い、いや……そういう訳じゃないんだけど……」
「構いませんよ。マロさん……でしたね。あなたは私の知り合いによく似ている」
リリアの肩がビクリと反応した。その反応に、なぜかアロイス王子は優しい笑顔を浮かべる。
「マロさん、ちょっといくつか質問をしたいのですが……よろしいでしょうか」
「え? えっと……」
やたらと身を固くするリリア。挙動不審と言ってもいいその反応にはかなりの違和感があった。
「別に難しいことは聞きません。ちょっとした興味本位で聞く些細なことです」
「そ、そうですか、はい……なんでしょうか」
「では一つ。マロさんはディオーネのご出身ですか?」
「え……いえ、ガイアです」
「そうですか。では二つ。ガイアへは、いつお戻りになりますか?」
「えっと……今日、夕方には……」
そう、リリアとは今日の夕方までのボディーガードだと昨日の夜に話をしている。
昨日は急な展開で一日越しになったが、リリアが家出少女なのは変わらない。
既にガイアの竜騎士が捜索に動いているのだ。
これ以上引き延ばせば、ガイアからディオーネまで情報が届いて本格的に捜索が開始されるだろうことは容易に想像出来た。
だから、そうなる前にディオーネを出発してガイアに送らなくてはならない。
「では、最後の質問です。実は……昨日からガイアとの連絡が取れないのですが、何かご存じないですか?」
「え……?」
帽子を目深にかぶって下を向いていた顔をあげた。その表情は、明らかに動揺の色を露わにしている。
その反応で答えを察したのだろう。アロイス王子は笑顔で「いいです。今のは忘れて下さい」と言い、それ以上聞くのを止めた。
それから暫らくの間、沈黙が場を支配した。聞こえるのはモーヴィルのエンジン音と車輪が地面を撫でる音。
程なくしてモーヴィルがゆっくりと止まった。ヴァンの家に着いたのだ。モーヴィルのドアが側近のミリアさんによって開かれる。
「わざわざ家まで送ってもらって、ありがとうございました」
「どういたしまして。ヴァン。マロさんもお元気で……」
先に出てリリアが出るのを待つ。しかし、
「アロイス王子、ちょっとお話したいことがあるのですが、少し時間を頂けませんか? ごめんヴァン。先に家に入っててくれるかな」
「え……?」
リリアの突然の申し出に戸惑ってしまう。何故このタイミングでそのように言うのか、まったく分からなかった。
「構いませんよ。僕も、もう少しお話したいと思っていましたので」
アロイス王子の返事を聞き、リリアはヴァンを見て、
「頼むよヴァン。すぐに済むからさ」
そう懇願してくるリリア。この場に居ることを拒否された感じで嫌だったが、しかしヴァンは渋々了承してその場を離れた。モーヴィルの中にリリアを残してドアが閉じられる。
そのまま立って待ってるのもあれなので、ヴァンは仕方なく家に入った。
さっきのリリア、様子が変だったな……いったい、なんだってんだ?。
気になり、こっそりと家の窓からモーヴィルを見る。
モーヴィルのガラス越しにリリアとアロイス王子が見えた。
ヴァンが居た時とは違い今のリリアは顔を上げ、真剣な面持ちで何かを話していた。さっきまであんなに下を向いてばかりだったのにだ。
「……。なにやってんだ俺は」
頭を掻き、窓から身を離す。踵を返し、格納庫へと歩を進めた。
ドアを潜った格納庫の中央には犬のお座り体勢で停止しているドラグノイドが鎮座していた。そのまま真っ直ぐにドラグノイドに歩み寄るとコクピットのコンソールを操作。ドラグノイドのデュアルアイが青い光が灯る。
そして外部スピーカーから『こんにちは、ヴァン』とハルが喋る。
それに俺が適当に返答を返すと、ハルは次にドラグノイドの首を周りに向け、『リリアはどうしたのですか?』と聞いてきた。
「ああ、あいつなら外で王子様と雑談中だ」
ヴァンは、自分の言葉に棘があることに驚いた。
これまで「あいつ」なんて呼んだことなんてなかったというのに……。何かが自分の中で燻ぶっているような、嫌な感じ……。
まったく、なんだってんだろうな。
正体不明のモヤモヤを感じながら、機体のチェックを進めていく。
ハルのディスプレイに様々な情報が表示されていく。アースクリスタルエネルギー転換装置の出力安定度。各部関節駆動系、冷却システムのチェックなどなど、各チェック項目の確認を済ませた。
そして、ハルに「もう少ししたらガイアに出発するからな」と告げてから格納庫を出ようとして、その際に格納庫の外に停まっているモーヴィルに目が行った。
んなっ……なにい!?
目に入ったのは、さっきまでとは打って変わってリリアが顔を蒸気させながらアロイス王子と会話を弾ませている光景だった。
その光景にヴァンの目が大きく開かれる。
王子の隣に座っているミリアという女性もリリアに何かを話しかけ、そのたびにリリアは手をぶんぶんと振りながら更に顔を赤らめている。
その光景は、まさに乙女の恥じらいのそれだった。
いいい……いったい何の話をしてるんだ!? 気になる……滅茶苦茶気になるっ!!
『あの、ヴァン……そこで一体何をしているのですか……?』
ハルは自分の主人が格納庫の柱に隠れるようにして外を見ているという摩訶不思議な光景を前に、ただ静かに呟いた。
ほどなく、再びドアが開けられてリリアが降りてきた。そしてヴァンの存在に気付いたリリアは手を振って呼ぶ。
「お待たせ、もう終わったからいいぜ。こっち来なよヴァン。一緒にアロイス王子を見送ろう?」
「お、おう……」
正直言うと、全然出たくないのだが……リリアの誘いを無視する訳にもいかないよな。
渋々と言った様子で格納庫からリリア達の元へ向かうその足取りはどことなく重たい。
すると、アロイス王子がモーヴィルから出てきて、手を差し出してきた。
「今日はお話しできて良かった。ヴァンまたいつかお話しましょう」
「はい。またいつか……」
差し出された手を握る。王子は笑顔を絶やさないままに、しかし芯の強い眼差しで、言った。
「マロさんを無事にガイアへと送り届けてください。ヴァン。頼みましたよ」
「え……? それって、どういう……?」
手を離し、モーヴィルに乗り込むのを不思議そうに見るヴァンにアロイス王子は「それでは、また会いましょう」と言い、ドアが閉められた。疑問を残したまま立ちつくすヴァンをそのままに、モーヴィルは遠ざかっていった。
バン!
「うおわっ!?」
背中をいきなり強襲され、前のめりになる。犯人は当然、リリアだった。
「なにボーっとしてんのよ?」
「な、なんでもねえよっ。さあ、さっさと出発の準備済ませようぜ」
「……? 変なヴァン」
リリアのつぶやきを聞き流して、ヴァンは再び家の中に入っていった。