気分まかせ風まかせ
私は計画的に物事をするのは苦手だ。計画を立てるのは嫌いじゃないけど、計画表を作るだけ作ったら満足して、作ったことを忘れてしまう。
料理のレシピでもそうだ。買い物メモも。つまり今日もメモを見るのを忘れて買い物した結果、マッシュルームの代わりにシメジを買ってしまったり、トマトの代わりにキュウリを買ったり、牛肉の代わりに豚肉を買ったりしている。
でも、家庭料理というやつは、レストランなどと違って、なければないで良いのだ。ある物で作る。しかもなるべく安く(材料費だけでなく光熱費も含め)作るのが醍醐味だ。それを単に計画性がないだけだろうとか、うっかりしてるだけなのでは、なんてツッコミ入れてはならない。と思う。
さて。何を作ろうかな。最初はビーフストロガノフの予定だったのだけど。豚バラ肉でそれを作るのはどうだろう。間違いなく脂っこい。しかもトマトがない。トマト水煮もない。ルーもない。ケチャップはある。
いっそ回鍋肉風に、ピーマンの代わりにキュウリを炒めてみるのはどうかな。
先週、田舎から新玉ねぎとジャガイモが、段ボールいっぱいに送られてきた。来週GW明けには、タケノコが届く予定。
新しい玉ねぎは、皮が薄くて、白くて半透明で柔らかく、甘くておいしい。ただし、腐りやすい。
きっとこれで作る回鍋肉はおいしいと思う。私はご飯の上に乗せて食べるのが好きなのだけど、同居している彼は丼物全般と鍋物があまり好きじゃない。子供の頃にあまり食べなかったから、出されても感慨みたいな物がないらしい。まぁ、文句も言わないから別に良いけど。
私は私が食べたいものを作る。その方が作るのも楽しい。文句があるなら、食べなければ良いのだ。
まず長ネギの青いところの残りと生姜のスライスを入れた片手鍋に、水を入れて火にかける。
新玉ねぎはすぐ火が通るので、食べにくくならない程度に大きめにざっくり切る。
キャベツを軽く水洗いして、ざっくり一口大に切ってざるで水気を切る。
同様に豚バラ肉を一口大に。
キュウリは縞模様に皮をところどころわざと残して、ピーラーで剥いて乱切りに。
ニンニクを粗みじんにして小皿に入れる。
先の片手鍋に、豚バラ肉を入れて軽く茹でる。肉だけザルに取って、鍋の煮汁は長ネギと生姜だけすくって、そのまま置いておく。
その隣でフライパンを火に掛ける。本当は中華鍋があると便利なのかもしれないけれど、どのみち私には重くて満足に扱えないので、小型のフライパンで十分。テフロンは洗う時には楽だし焦げ付かなくて便利だけれど、私は鉄製を使用している。
玉ねぎを軽く炒めて、キュウリを加え、火が通ったところで、キャベツを加えてさっと炒める。
適当な皿にキッチンペーパーを敷いて、炒めた野菜をあける。
甜麺醤と豆板醤を用意してから、もう一度フライパンを火に掛け、油を引いて、ニンニクの粗みじんを香りが出る程度に炒めたら、甜麺醤と豆板醤を目分量で入れて炒める。
私は材料を量った事がない。仮に計ったとしても、私は計量スプーンその他の使い方が根本から間違っているらしく──液体はともかく、固形物が特にダメ──正しく計れた試しがない。だから勘と慣れで料理する。その方が正確だ。指が、私の意識しない感覚が、これくらいだと教えてくれる。それが適切でなければ、味見をすれば済むことだ。多すぎなければ、足せば良い。
私は物事を深く考えるのが苦手だ。だからいつも適当、直感。全ての物事は、身体で覚える。そうすれば必要な時に、必要なことを感覚で教えてくれる。だから悩まない。間違ってたとしても、ほとんど気に病まない。どうにも取り返しのつかないこと、というのは滅多にないから、適当でも自分が特に気にしなければ、大抵の物事はそんなに難しくない。
イイ感じだ。調味料に豚肉を加えて炒める。軽く焼き色がついたら、皿にあけた野菜を加え、豚肉のゆで汁や醤油、砂糖、オイスターソースを入れて、全体に回ったら味を見て、醤油とか微妙に足したりして、仕上げて火を止めた。
ん。我ながら良い出来。そこへ、鍵を開ける音が聞こえてきた。タイミング良いじゃない。鼻歌交じりに、皿を出して回鍋肉を盛りつける。箸と茶碗と出して並べたところで、彼が部屋に入って来た。
「……ただいま。ビーフストロガノフじゃなかったのか?」
開口一番ソレなわけ? 思わずじろりと睨むと、彼は上着をハンガーにかけながら、
「メールで『今夜はビーフストロガノフだから、冷めない内に早く帰ってきて』って言ってただろう? また、買い物し間違えたのか?」
図星なだけに、言われると腹が立つ。
「何よ。食べたくなければ、外行きなさいよ」
「そうは言ってない」
彼は僅かに眉をひそめた。
「おいしそうな匂いだ」
「回鍋肉よ」
「見れば判る」
……なんでこの人、こういう言い方するんだろう。判ってるつもりだけど、時折ムカつく。
「理子」
名前を呼んで、近寄って来た。
「何よ?」
「眉間に皺を寄せるな」
「誰のせいだと思ってるのよ」
そう言うと、不意打ちで額にキスされた。
「っ!」
慌てて飛び退くと、彼は肩をすくめて言った。
「食べても良いか?」
なんとなく、その余裕そうな顔が、ムカついたけど。
「……食べたければ、食べても良いわよ」
と答えた。
「じゃ、遠慮無く」
そう言って、彼は椅子を引いて座った。私は、彼の茶碗に白米をよそって差し出し、彼は無言でそれを受け取り、食べ始めた。なんだか負けたような気分になりながら、私は冷蔵庫からお茶を取り出し、グラスに注ぐ。
「ビールは?」
「あるけどダメ」
そう言ったら、なんとなく悲しげな目の色になったので、私は満足する。自分の分のご飯をよそって、席につく。
「……豚バラ肉が特売だったのか?」
「そうよ。悪い?」
「いや」
「じゃあ、何よ」
「……今日、玄関のドアを開けるまでは、ビーフストロガノフだと思っていたから」
「回鍋肉じゃ嫌なわけ!?」
「そうじゃなくて。……予定と違っていたから、驚いた」
「良いじゃないの。予定通りの人生なんてつまんないじゃない」
私がそう言うと、彼は無言で私をじっと見つめて、
「……まあな」
とだけ言った。
その目つきと口調が、なにやら言いたげで、私はますます腹が立った。
「言いたい事があるなら言えば?」
「ない」
彼は言った。
「嘘つき」
そう言うと、ため息をつかれた。
私はなんだか悔しくて悲しくなって、立ち上がった。
部屋を出て寝室へ向かおうとすると、腕を掴まれた。
「理子」
耳元で、不意に名前を呼ばれて、どきりとして立ち止まった。
「……な、何よ?」
「有り難う」
「何がよ!?」
声が裏返ってしまう。
「色々と」
彼は、わざとなのかどうなのか、息が吹きかかるように、意味深な口調で、耳元で低く囁く。
「しょ、食事中でしょ!?」
「理子は?」
「ト、トイレよ!!」
苦しい言い訳。だけど、それでやっと解放された。
「待ってる」
そう言われて、私は嬉しいと思うより、泣きそうになった。
「さ、先に食べててよっ!」
「そうする」
そう言ってから、彼は穏やかに笑う。
「食べて、待ってる」
ああ、もう、ムカつく! 本気でムカつく!! 本気で悔しい!!
私はトイレに駆け込んだ。
「覚のバカっ!! 大嫌いっ!!」
とりあえず絶叫した。
The End.
「こんな五月の朝」「足の向くまま、気の向くまま」登場の同棲カップル話。
順不同で読める筈で、未読でも話が通じる筈です。
一応コンセプトは「料理の過程を旨そうに表現する」事にしています。
今回ようやく名前を付けました。
理子と覚。
募集かけようかとも思いましたが、誰も応募してくれなかったら悲しい&空しいので、やめました。
理子の性格は私の地に近いかも。
計量スプーンで固形物を計る時は、必ずすり切りしましょう。なお、容器などに押しつけたりすると、実際より多めに計ってしまいます(←何回もやった上に、人様に指摘されてようやく気付いた)。
思うに、時にレシピはg数表記の方がより正確だと思います。少ない量だと計れませんが。