小さな願い
今回ちょっと短いです(´Д`)
漆黒の髪が、彼女の白い柔肌を覆う。
急に変わった場の空気に、朔は居心地の悪さを感じた。
「りつ…?」
麻之助が、眉をひそめる。
「…」
りつの唇は固く閉じられたまま。
彼女はだんまりをきめこんでいる。
あまり我儘を言われた事がないのだろうか、麻之助は見て取れる程困惑していた。
「りつ、帰らないと」
「…」
焦りからか、何回もまばたきをする麻之助。
それをじっと見据えるりつの瞳は、怖いくらいにしっかりとした意志を灯していた。
彼女が一体なぜこんな事を言い出したのかは朔にも、他の誰にも計りかねなかった。
「…りつ」
「…嫌です」
りつは首を振り、麻之助の話を聞こうともしないで抵抗の意志を見せる。
兄妹内の事なので、なるべく口出しはしたくない。
冷え切った部屋の中で、2人を見ることしかできない朔はそう思った。
まぁ、自分がどうこう言うことでもないけどね…。
「りつ。理由を、教えて」
麻之助が、段々と重苦しくなりつつある空気を破るように、にこりと微笑んだ。
大人の対応をとった兄に、さすがのりつも、反応を示した。
色の薄い、小さな唇がもごもごと動く。
「…りつは…朔さんや結衣子さんと、もっと一緒にいたいのです…」
発せられたのは、小さな願い。
それを必死で掴み取ろうとするかのように、彼女は着物をしわにする勢いで握りしめる。
そのうち、強気だった彼女の目が、みるみるうちに潤んでいった。
見かねた結衣子が、りつの背中を優しくさする。
朔は何もできなくて、りつの今にもこぼれそうな涙をじっと見るしかなかった。
「寂しくて、ずっと親しくできる人が欲しくて…。だから、りつは…」
表面張力がはじけて、涙が落ちる。
その中の一粒が、畳へと吸い込まれていった。
途端に、胸が締め付けられるような気持ちに襲われる。
…何この感じ。
自身の瞳にも生温い液体がこみ上げて、溢れかえりそう。
もらい泣きなんて、したことないのに…。
朔は誰にも気付かれないように、乱暴に袖で拭いてから、一回だけ鼻をすすった。
「…」
静けさだけが支配する部屋の中で、りつの嗚咽がやけに鮮明に聞こえる。
「…わかった」
それを壊すように、麻之助の落ち着き払った声が通った。
彼は妹の側まで移動すると、顔にかかる髪をかき上げ、頬に流れる涙を拭った。
「城までの道のりが、りつにとって危ないものじゃないか、おじいさんに聞こう」
妹を危険な目にあわせたくない兄の思い。
ひしひしとそれが伝わってくる。
一人っ子の朔は、少しだけそれが羨ましく思った。
同時に、赤い目をしたりつを見て、朔はまた泣きそうになった。
どうしたんだ、自分。
わけがわからなくなってまたゴシゴシと拭いたら、凄い目が痛くなった。
…もうやだ。
「…話は終わったか」
「あっ」
その場にいた5人は、ぴったりと息を揃えた。
いつの間に帰ってきたのだろうか、おじいさんが扉の前で腕組みをして立っている。
それを見て、りつは涙を隠すように袖口で顔を覆った。
「すみません、お待たせして」
「いや、今来たところだ。気にするな」
おじいさんは、手に持った一枚の地図を朔と結衣子の前に差し出した。
文字が書いてあるけど、全く読めない。
かなり古い地図なのか、茶色くなって傷みも激しい。
が、これがあれば少しでも早く帰ることができる。
朔は心の底から喜んだ。
「城まではかなり遠い。1日2日では到底たどり着けないだろう。…少年、しっかりとこの2人を守れよ」
そう言ったおじいさんのお面のような顔が、笑みで柔らかくなる。
それは何ともいえない違和感をかもし出して、朔は戸惑った。
「はい」
少年、と呼ばれたまひろは気にするでもなく返事をする。
ふいにその目が、朔とぶつかった。
よろしく、とでも言い出しそうなまひろの視線。
朔はどうしてかそれに耐えきれず、即座に目をそらしてしまった。
目どころか、顔までも。
まひろはそれについては、何も言ってこなかった。
やっぱ苦手…。
まひろから目と顔をそらしたままの状態で、心の奥底で呟く。
…嫌いじゃないんだけど。
優しそうな彼は、むしろ朔にとって関わりやすい人種だ。
実際、友達として長く続くのも、こういった人。
結衣子は例外だけど。
とにかく、まひろは朔的には好印象なはずなのだが。
どこか裏のあるような気がしてならないのは、どうしてだろう。
「朔?どうしたの、具合悪い?」
「え」
結衣子に顔をのぞき込まれて、慌てて思考を打ち消す。
「あ、うん。大丈夫」
なるべくまひろを見ないようにして、朔はへらっと笑った。
「明日が出発だろう。向こうに布団を用意したから、今日はもう寝なさい」
「ありがとうございます」
地図を渡され、朔は礼を言ってそそくさと立ち上がった。
まひろとの微妙な空気も嫌だったし、何より足がパンパンだ。
早く寝たい。
その欲求だけが、朔を支配する。
「結衣子、りつちゃん、行こう」
膝立ちの結衣子と、正座のりつに声をかける。
「うん。…りつちゃん?」
りつは、声をかけても微動だにしなかった。
結衣子が、どうしたの、とりつの肩に手をやる。
「…城に、行ってもいいですか」
結衣子の手が、肩を掴めず空をさ迷った。
麻之助が、目を丸くして何度もまばたきをする。
それは、あまりにも唐突な出来事だった。
兄に頼るでもなく、自分から。
りつは、またあの強気な瞳に戻っている。
「…」
さっきとは違う沈黙。
その中でおじいさんは、またあの違和感の塊のような笑みを見せた。
朝。
こうして暗闇に包まれていると、何だか自分が凄く早起きをしたような気分になる。
空を見上げれば、ピンクの月と点々と散らばる金平糖。
それが、異世界への不安と淡い期待を思い出させる。
初めのような驚きは薄れたが、まだ慣れずにいる。
月の方は、少しだけ形が変わっているような気がしなくもない。
三日月も楕円の月も、各々が新月と満月に近づいているようだ。
どうみても金平糖にしか見えない星は、色とりどりありすぎて変化は見ただけではわからなかった。
「おはようございます」
窓を開けて外を眺めていた朔に、背後から声がかけられる。
「おはよう、りつちゃん」
こうやって丁寧に挨拶をしてくるのは、この部屋にはりつしかいない。
朔は後ろを振り向くのが億劫になって、外に目をやりながら挨拶をした。
「…朔さんは、私のことがお嫌いですか?」
「え」
誤解されてしまった。
朔は違うといいながら、振り返る。
「良かった。こっちを向いてもらえました」
ほっ、と息をつくりつを見て、最初から誤解はなかったようだ、と朔は悟った。
なんだ。
振り向かなくてもよかったんじゃん。
そう思っても朔は、りつから目を離せなかった。
「これから、よろしくお願いしますね」
小さな願いの叶った、幸せそうな彼女の笑顔を見ていると。