好きかわからないまま、結婚した
初投稿です。わざと漢字変換にしなかった部分があるので、その点のご指摘はご容赦ください。
結婚して八年で離婚した。
「やっと」という言葉が、いちばん近い。
好きで結婚したのかどうか、今でもわからない。
恋人がいないまま年齢を重ね、周囲の友人や同僚、後輩たちが次々と結婚していく。その流れに取り残されるような感覚だけが、じわじわと私を追い詰めていった。
「子どもが生まれた」「二人目ができた」
その報告を聞くたび、胸の奥で形のない焦りが膨らんだ。
私はもともと、人と深く関わらない生き方を選んできた。
学校や職場が変われば関係も終わる。
浅く広く、去る者は追わない。
人間関係に線を引くのは、傷つかないためだった。
だから、結婚できなくてもいいように、安定した仕事を選んだはずだった。
それでも、子どもを産んでみたいと思った。
その願いを叶えるには、結婚が必要だと考えた。
今で言うマッチングアプリのような場所で、何人かと会って、何度か嫌な思いをして、元夫と出会った。
付き合って、妊娠して、結婚した。
家族になって、楽しい時間は確かにあった。
男の子二人に恵まれ、賑やかな毎日は、幸せと呼んでもよかったのだと思う。
ただ、その裏で、少しずつ感じていた違和感から、私は目を逸らしていた。
元夫は、配慮ができない人だった。
暴力はない。
けれど、納得するまで子どもを責め、自分の理屈を押し付け、幼い子どもにさえ優位に立とうとした。
自分が病気のときは心配されることを当然とし、私や子どもが体調を崩すと、自己管理ができていないと嗤った。
そこに悪意はなかった。
だから、余計に苦しかった。
悪意があれば、怒る理由になる。
でも、悪意がない人は、傷つけた自覚すら持たない。
私は何度も話した。
お願いもしたし、気持ちも伝えた。
それでも変わらなかった。
気づけば、嫌いになり、最後には諦めていた。
私にとって彼は「いらない人」になった。
育児と家事を抱えながら働くのは簡単ではなかったが、仕事を辞めなかった自分を、今は少し誇らしく思っている。
子ども二人は、私が引き取った。
元夫は
「母親と離れるのはかわいそうだ」
と言った。
けれど、それはきっと、彼自身が父親になる覚悟を持てなかっただけなのだろう。
私は、心の中で静かにため息をついた。
正直に言えば、私も無責任だった。
「子どもを産んでみたい」という願いを、深く考えきれなかった。
それでも、今さら過去をなかったことにはできない。
夜、子どもたちが眠る静かな部屋で、私はふと思う。この選択が正しかったのかどうかは、まだわからない。
でも、これからもどう生きるかは、自分で決めなければいけない。
朝になれば、また忙しい一日が始まる。
子どもたちは笑い、泣き、成長していく。
その側に、私はいる。
私は、これからも生きていく。
子どもが成長し、独り立ちしても一人で生きていく。
でもそれは、孤独とは違う。
誰かに合わせて自分を削る人生ではなく、
自分の足で立ち、前を向いて歩いていく人生だ。
窓の外が、少しずつ明るくなっていた。
新しい朝は、もう始まっている。




