9.悪役令嬢、謁見する
しばらく経って、馬車は王宮の前に到着した。
その間、フィンクスはずっとクレオードに小言を垂れていた。主従の仲が良いのはいいことだ。
王宮は翡翠色の屋根と、陽の光で輝く純白の壁に包まれていた。高い尖塔がいくつも連なり、金色の装飾が施されている。正門から見える広々とした中庭には花壇が並び、中央の噴水からは水が涼やかに流れ落ちていた。
サファイア国とはまた違った造りで新鮮だ。
「クレオード、わたくしはどうしたら……」
馬車を降り、手持ち無沙汰になった私はクレオードに問いかける。
「俺に着いてきな。国王陛下に紹介しよう」
「えっ!」
平然と言ってのけるクレオードにぎょっとする。
まさかの、いきなりエメラルド国の国王と対面……!?
なんの準備もなく迫る謁見に、どうすれば……と頭を悩ませる。
しかし、これはチャンスかもしれない。ここで、正式にエメラルド国の賓客として認められれば、この国で生活に困り果てることは回避できる。
クレオードの証言もあるし、サファイア国の悪行なんかも暴露しちゃえば味方につけることだってできるのではないか。
そう考え、私はクレオードに付き従う。
もう公爵令嬢ではなくなってしまったけれど、名前は残っている。私は誇りを持って"マリーゼ"と名乗るわ。
私たちはフィンクスの案内のままに、王宮の中を進んでいく。
その道中、貴族たちや使用人らしき人々とすれ違った。彼らは皆クレオードを認めると恭しく礼をし、その後ろを歩く私に気がつくと、ひとたび怪訝な顔を見せる。
「誰だ、この怪しい女は」とでも言いたげな表情の彼らに、私は平然と微笑み返した。
謁見の間に着くと、クレオードはこちらが心の準備をする間もなくすぐに中へと入った。
「国王陛下。ただいま戻りました」
彼は玉座の前で膝を着く。私もそれに倣い、斜め後ろで腰を折った。
「よくぞ帰ってきた。楽にせい」
国王から許しが出て、クレオードと私は立ち上がり、姿勢を正す。
国王は大振りな冠を頭に戴き、赤いマントを身に付けている。歳の割に若く見えるその容貌はどことなくクレオードに似ており、前世でいうイケおじに該当するのではないだろうか。
彼は私を一瞥したが、指摘をすることはなく、そのままクレオードに語り掛ける。
「クレオードよ。聞くところによると、そなたはサファイア国の聖女を婚約者とし、エメラルド国に連れて帰ると言い張っていたようだが、それはどうなったのだ。そのために、七日も帰国を遅らせたのだろう?」
「それは、その……」
催眠が解けた今は黒歴史とも呼べる行いに、クレオードは苦々しい表情で口を濁す。
偽りの恋に溺れて自国を蔑ろにしてしまったことは、彼の自尊心に深い傷を与えた。
「我がエメラルド国としては、既に婚約者を迎え入れる準備ができている。盛大な宴を催すつもりだ」
国王が厳かに告げると、クレオードはびくりと肩を揺らし、顔を引き攣らせる。
無意識なのか、故意なのか分からないが、国王の言葉と視線の圧が凄まじい。
意訳すれば、「おまえが身勝手に婚約者を連れて帰ると言ったから、こっちとしては充分な準備をしてやった。まさか、それを蔑ろにするなんてことはないよな?」となるだろう。
国王は黙り込むクレオードに訝しげな眼差しを向けた後、今度はその後ろの私を見つめる。
「その者が聖女か?」
「へ?」
そして、突然投げかけられた言葉に私は目を丸くする。
私が聖女。なんという勘違いだろうか。
唖然とする私をおいて、国王は「先程から気になっていたのだが、」と付け加える。
「美しい娘ではないか。おまえが惚れるだけのことはあるな」
国王は目を細めて言った。完全に私を聖女だと思い込んでいる。状況からすれば仕方のないことだが、こちらとしてはセシルと間違われるのは不名誉すぎる。
ちょっと、クレオード! いったいどうする気!?
焦るが口を挟むわけにもいかず、念を送るようにクレオードの背中を睨みつける。
彼はその鋭い視線を感じ取ったのか、俺に言われても……とでも言いたげに、肩を竦めた。
「……陛下、申し訳ありません。この御方は、聖女ではなく──サファイア国の公爵令嬢です。そして、過去の発言を撤回します。私は聖女とは婚約をしておりません」
クレオードがぎこちなく私を紹介すると、国王は「ほう」と眉をひそめる。
「公爵令嬢とな。聞いていた話とは違うが……そなたが気に入ったのならば聖女でなくてもよい。いやはや、仮に婚約者自体が偽りであったなら、わしはどうケジメをつけようかと考えていたところだ」
その言葉に、場の空気が一瞬凍りついた。
クレオードの背筋がぴんと張るのが、私にも伝わってくる。
これは──冗談では済まされない空気だ。聖女と間違われるよりもとんでもないことになっているのではないか。
「へ? いや、その、婚約者というわけでは──」
「……ん?」
国王の勘違いに気がついたクレオードは、手を振って慌てて否定しようとするが、国王の圧の手前、口ごもってしまう。
そしてとうとう、クレオードは姿勢を正し、硬い声色で言い放つ。
「いえ、この者が俺の婚約者です!」
「は?」
高らかに宣言したクレオードに、私は思わず間抜けな声を出してしまう。
幸い、その声は誰にも聞かれていなかったが、困惑が顔には出てしまっているだろう。
「そうかそうか。名はなんという」
「マリーゼ・ジルベールです。聖女ではありませんが、公爵家の一人娘と身分も申し分ない上に強かな性格の持ち主です。エメラルド国に相応しいかと」
「ほっほっほっ。よほど気に入ったようだな。今宵は宴だ」
ぽかんと口を開けたまま固まる私をよそに、国王とクレオードは勝手に話を進めていく。
「さて、そうなれば準備をしなければ。また今夜、話でもしよう」
結局、私は唖然としたまま、一言も口を開くことなく謁見は終わってしまった。