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36.悪役令嬢、出航する

 五日後。ついに、サファイア国への出立の朝がやってきた。

 港へ向かう支度を終えたところで、いつもの情報網で旅立ちを聞きつけたカシオが、満面の笑みと共に現れた。


「差し入れだよ。長旅だろ? 腹が減っては戦はできぬって言うしな」


 そう言って渡されたバスケットの中には、彩り豊かな軽食がぎっしりと詰まっていた。

 エメラルド名物のライム風味の鶏肉パイ、小さな果実を練り込んだふわふわのミルクパン、ハーブ香るチーズのキッシュ、薄焼きのハニーサンド……どれも旅にぴったりな食べやすいサイズで、手の込んだ品ばかりだ。


「あなたのおかげで、旅の食事が楽しくなりそうね」

「へへっ、オレの飯が恋しくなる前に戻って来るんだぞ〜」


 おどけた口調に私は苦笑する。けれど、その奥にある優しさはしっかり伝わっていた。


 騎士団の本隊はエメラルド国の防衛を担うため国を離れられないが、クレオードの命令で、対魔女戦を想定した特別編成部隊が数名、私たちに同行することになった。

 国営の騎士や民間の衛兵から集められたその面々は、強力な攻撃魔法や結界魔法に長けた選りすぐりの魔導士と、迅速な連携に長けた近衛騎士たちで構成されていた。

 彼らには「魔女と遭遇した際の対策」とだけ伝えている。


 また、クレオードは最新の対魔法兵装も用意してくれた。

 魔法道具工房で造られた、国随一の槍や剣、鋼よりも硬い防具。さらには即席の魔法障壁を展開できる結界球まで。来たるサファイア国での戦いに備えて、あらゆる準備が整えられていた。

 これなら、魔女と対峙したとしても、押されることはないだろう。


 ガーネットのドレスの裾をひらりとなびかせながら、私はクレオードと共に船へと足を踏み入れる。

 その姿を、国王と王妃が港で見守っていた。王妃は少し目を潤ませており、国王も不安を隠しきれない様子だ。魔物が蔓延る危険な国へ息子を送り出すのだ。親としての心配も当然だろう。


「殿下、出航します!」

「わかった」


 汽笛が鳴り、船がゆっくりと波を割って動き始める。岸で手を振る人々の姿が遠ざかる。

 私は甲板に立ち、眺めながらふと、胸の奥が重くなるのを感じた。


 また、ユリウスから同じ目で見られるのだろうか。憎悪の目で……。

 俯きがちになっていると、翠羽の長老から貰った蔓の指輪が微かに振動する。同時に、指輪から少女の声が聞こえてきた。


『マリーゼ様、聞こえますか?』

「シス?」


 驚いて、慌てて指輪を口元に近づける。


「聞こえてるわ。どうしたの?」

『よかった。ちゃんと聞こえてるみたいです!』


 シスの安堵する声が聞こえた後、うっすらとレノらしき声も聞こえた。きっと傍にいるのだろう。


『マリーゼ様……勢いでゼフ様のことまでお願いしてしまいましたが、魔女と対峙する時は、どうかご自身の身を第一に考えてください。ポーションも必ず、お役に立てるはずです!』


 私は小さく笑って頷く。


「ありがとう。大切に使わせてもらうわ」


 細く温かい声が「どうかご無事で」と囁き、通信はそこで静かに途切れた。


「マリーゼ、何してるんだ」


 後ろからクレオードの声がして、振り返る。


「翠羽のエルフと話していたの。心配してくれてたわ。安全を第一にって」

「一回会っただけで随分仲良くなったな」


 クレオードは苦笑して言う。

 やや間を置いて、ふいに真面目な声で問いかける。


「一つ、聞いてもいいか」

「なに?」

「……もしもサファイア国で、王宮の者たちが聖女の催眠から解放されたら、君はそのままサファイア国に残るのか?」

「なんだ、寂しいの?」


 私は冗談めかして返すが、言葉の奥に少しの本音を滲ませて続けた。


「わたくしはもう、あの国から追い出された身よ。今さら戻っても、心はきっと元のわたくしには戻れない。セシルとユリウスを見返すことができたら……あの国は善良な人たちに任せて、エメラルド国に戻ってこようかしら。……ダメ?」


 クレオードは軽く肩をすくめて、いたずらっぽく言った。


「いいに決まってるだろ。君はもう俺の婚約者なんだから、逃げられたら王太子の体裁がガタ落ちだ。もしかしたら、今度は君に復讐心を抱くかもな」


 そんな彼の様子に、私は目を丸くして、「それは怖いわね」と笑ってしまう。


「殿下、ありがとう。わたくしの居場所を作ってくれて」

「こちらこそ。君と過ごすのは楽しい。気を使わなくていいから」


 その言葉に、私はドキリとする。なんだか、薔薇恋のクレオードルートと同じようなシチュエーションだ。

 そんな乙女な妄想をしていたところに、ふいに名前を呼ばれる。


「マリーゼ」


 クレオードは、船の手すりにもたれて、淡い夕陽に照らされていた。


「成り行きで婚約者になったが……俺は、本気で君と結婚したいと思っている」


 クレオードは意思の強い翠玉の眼差しを私に向け、澱みなく告げる。


「君の強かさ、優しさ、その全てに惹かれて……最近は、気がつけば君のことばかり考えてしまってる。だから、責任を取ってくれ」

「殿下……?」


 時が止まったように、私はただ彼の目を見つめ返す。

 柔らかな風が、クレオードの前髪を揺らす。普段は冷静でからかい上手なクレオードが、こんな真剣な顔を……少しだけ余裕なさげな顔をするなんて。


 どくりと、心臓が跳ねる。夢じゃないのかと、手をつねって確かめたくなる。

 けれど……風の匂いも、彼の声も、船の微かな振動も、全部が本物だった。これは、夢なんかじゃない。


 彼の言葉が、温度を持って胸に届く。じんわりと、嬉しさが広がっていく。

 クレオードがそう言ってくれるのなら。


「私も──」


 口を開きかけたそのとき。

 コンコン、と控えめなノック音が船室の扉を叩いた。続いて、焦りを隠しきれない声が響く。


「失礼します、殿下。緊急報告です……!」


 クレオードが眉を寄せ、「入れ」と返すと、フィンクスが飛び込んできた。その表情はいつもと違い、明らかに険しい。


「サファイア国の国境近くで、魔物の群れが再び現れました。先行していた偵察部隊からの報告です。……今度は、前回の倍の規模。サファイア国の騎士団も苦戦中とのことです」


 クレオードは深く息を吸い、私の方を振り返る。


「すまない、続きは後だ。配下の投影魔法で、サファイア国の状況を確認する」

「ええ、お願い」


 フィンクスと共に船の中へと入っていくクレオードを、私は名残惜しく見送る。


「いいところだったのに……」


 ふと、心の中の声が漏れてしまった。

 重大な計画を前にそんなことを考えてしまう時点で、私は完全にクレオードに惹かれている。

 海を眺めながら彼との結婚を想像してみるが、全く嫌な気がしなかった。

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