3.悪役令嬢、思案する(上)
とはいえ、これから先の人生、なんの見通しも立っていない。しかも、今の私は一文無しだ。着の身着のまま追い出されたため、金になる物といえば身に纏う真紅のドレスと首に提げたガーネットのネックレスのみである。
親兄弟さえもセシルの催眠にかかってしまったために、頼れる存在も皆無。正真正銘、孤立無援だ。なんてこった。
「とりあえず王宮から離れましょう。こんなところにいたら腐ってしまうわ。どうせ、中でわたくしの悪口大会でも開いてるんでしょうよ」
ひとまず、道なりに西の方へと歩いていくことにする。
今世の私はほとんど王宮の外に出たことはないが、前世の記憶──薔薇恋の地図の記憶があるから配置は大体把握してある。
このまま歩いていけば、小さな港に辿り着くはず。近衛兵の言う通り、別の国に行くのもいいかもしれない。
十数分歩いて開けた場所に着くと、視界に海が広がった。
船着き場にちらほらと船が停まっているが、人影は見えない。
「潮の香り……! 海を見たのはもう十年ぶりくらい……まるで牢獄から解放された気分ね」
小走りで海岸まで駆けていき、岸の端に腰を下ろす。足元には水面が揺れていて、ぴょんと飛び降りればすぐに海だ。
「ちょっと寒いけれど、今はこれくらいがちょうどいいわね」
夜風に当たりながら、今の状況を整理することにする。初冬だが、まだ冷たさを感じるほど寒くはない。
そういえば、私の能力は魔力連携魔法……よね。
空に腕を伸ばして、手を握ったり開いたりしてみる。
薔薇恋の世界では、誰しもが生まれながらにして魔法能力を所持している。通常は一つだけだが、セシルの治癒魔法と催眠魔法のように二つ持つ者もおり、そういった人間は双魔法所持者と呼ばれている。
私の生得魔法は、魔力連携魔法。世界中の地脈に流れる魔力を自由に操ることができ、自身の中に多大な魔力を蓄えることができる。滅多に現れないレアな能力だ。この能力があったからこそ、私はユリウスの婚約者に選ばれたのだ。
──私公爵家の一人娘として生まれ、七歳の頃、魔法協会により魔力連携魔法を生得していることが発覚する。
それを聞きつけた皇族は王太子ユリウスとの婚約者を結び付けた。
四六時中厳しい妃教育を受け続け、ユリウスに相応しい女になるようにと努力してきた。
なのに、ユリウスは私に対して常に冷たい態度でいる。笑いかけてくれたのはほんの一度だけ。
そんなある日、ユリウスの召喚魔法によって、セシルが王宮に召喚される。
ユリウスはセシルに惹かれ、セシルもまたユリウスに惚れて、催眠をかける。
次々とかけられる催眠により周囲は私を疎んでいき、誰もがセシルの周りに群がるようになる。悪女となった私への虐めも加速していき……そして今日、断罪が行われた──。
「所詮、わたくしは敵役。どれだけ強い魔法を持っていようが、どれだけ努力しようが、主人公様には敵わないわ」
魔力連携魔法は、重要性でいえば治癒魔法と同等レベルなのに。
今のサファイア国は全てを魔法に頼りきっており、物理的な武力強化・武器整備や、魔力を必要としない機械の開発など怠っているのだ。
皮肉なことに、そんな国の魔力供給源のほとんどは、私によるものだった。今日までの約十年間、私の魔法で王宮地下の装置に地脈の魔力を連携・蓄積し、その魔力でサファイア国全体を動かしていた。
加えて、魔力連携魔法の付加効果として、私には魔力増強魔法の能力も備わっている。私も双魔法所持者なのだ。サファイア国の民が強力な魔法を使えるのは、その付加効果のおかげでもある。
「わたくしを追放するなんて、バカじゃないの」
口から乾いた笑いが漏れる。私を追放するということは、国内魔力の供給源を自ら手放すのと同じだ。
魔力保管装置に蓄積した魔力が切れるまでは、サファイア国が滅びることはない。敵国に攻められようが、魔物に襲われようが、その魔力を用いて持ちこたえることができる。
だが、その魔力が切れると、国内の魔力供給率が格段に下がり、増強魔法の効果も切れてしまう。
私の魔法に依存していた国民は平常通りに魔法を用いることができなくなり、サファイア国は大危機を迎えるに違いない。敵国や魔物たちに侵攻されたら一巻の終わりだ。
保管装置の魔力残存量は残り二ヶ月程度。増強魔法の効果も同じく。
二ヶ月後、この国はどうなってしまうのだろう。この世界線には、魔女の伏線が残ってるってのに。軍事力を考えると、この程度の残存魔力では、とてもじゃないけれど魔女には勝てないわ。
「あの人たち、またセシルが何とかしてくれるって思ってるのね」
実際に主人公ミラクルが起きて、なんとかなってしまいそう。結局、この世界はセシルを軸に全てが回っているのだから。悪役令嬢なんて当て馬の役目を終えたら、もう眼中にないんだわ。
この先もずっとセシルが持ち上げられて、彼女だけが幸福なストーリーが続くなんて許せない。冤罪によって散々傷つけられてきた私の気持ちの行く宛ては、どこにもないの?
ゲームならばそれでいいのだろうけれど、生きている以上これはもはやゲームではない。現実だ。悲しみも憎しみも、悔しさもちゃんと胸に刻まれている。
「……わたくしがこの国の救世主の座を奪って、セシルとユリウスを追放してあげる。薔薇恋のストーリーを、セシルじゃなくて私のハッピーエンドに書き換えてやるわ」
私はその場で立ち上がり、拳をぐっと握りしめる。
「今ここで"悪役令嬢救世主計画"を立てるわ。白薔薇の聖女よ、見てなさい! おーほっほっほっ!」
高らかな笑い声が港に響き渡る。傍から見たら完全に悪役だ。……まあ、悪役なのだが。
負けっぱなしは嫌よ。絶対にセシルたちをギャフンと言わせてやるんだから。