27.騎士団長、帰還する(side:アレクシス)
翌朝、アレクシスはサファイア国の王宮内にあるセシルの部屋へと向かっていた。
昨夜、宰相と共にエメラルド国を出立し、先程帰国したばかりである。空が淡く染まり始め、朝を告げるように小さな鳥のさえずりが静かに響いていた。
国の救世主たる聖女に与えられたのは、王太子に勝るとも劣らない豪華な部屋だった。
この聖女は少し前に王太子の婚約者となった。そのとき、彼女のことを好きだった自分は少なからず落胆し、長い間恋の痛みを味わっていた。
──しかし、昨夜、それらは全て強いられた偽りの感情だと気付かされたのだ。
アレクシスは複雑な心境のまま、扉をノックする。
すると、中からはいつも通り、「どうぞ」と明るい声が返ってきた。
扉を開けて部屋に入ると、ネグリジェ姿のセシルが待ちかねていたというように手招きする。
「セシル様、ただいま戻りました」
マリーゼとの約束のため、アレクシスは平静を装い、彼女のもとに膝をつく。これが、臣下の聖女に対するお決まりの礼だった。
「私の感知魔法でマリーゼを見つけ出し……始末しました」
「本当!?」
アレクシスが感情を押し殺して淡々と告げると、セシルは両手を合わせて目を輝かせた。望みが叶ったことがよほど嬉しいのだろう。
「ああ、良かった。これでわたしの気も落ち着くわ……ありがとう、アイク」
セシルはしゃがみこんでアレクシスの手を握り、可憐に微笑む。
命を奪ったという事実に、ひとかけらの罪悪感も見せない。あまりに無垢なその笑顔に、戦慄が走った。
アレクシスは瞳を隠すように、ただ深く頭を下げる。
騎士として非道の娘にかしづくのは意に反することだが、これは必要なことだ。
今は従順な振りをして、この娘の企みを暴かなければ。そして、サファイア国を守りきらなければならない。
つい昨日まで、自分はこの娘を好きだった。好きで好きで堪らなかった。立派な騎士になる……という、兄との約束を忘れてしまうくらいに。
目を覚まさせてくれたのは、驚くべきことに、憎悪のの対象であった公爵令嬢だった。
親交パーティーで彼女が追放されたとき、聖女を虐げた相応の罰だと思ったくらいに、彼女を軽蔑していた。
しかし、それらは全て冤罪によってもたらされたものだという……。
たしかに、催眠にかかっていた自分は、セシルを盲目的に信じきっていた。いつも彼女が涙を零すから、その原因だと思われるマリーゼを憎んでいた。弱者存護の意志を掲げて。
だが、この好意も憎悪も全て、聖女の思うままだったというわけだ。
その証拠に、今は微笑まれ、手を取られてもなんの感情も湧いてこない。むしろ、ある種の不快感と疑念だけが積もっていく。
セシルがアレクシスに向かって微笑む。
「今日はご令嬢方とお茶会なのよねえ……アイクも来る?」
「いえ、私は公務がありますので」
「そう?」
アレクシスが誘いを断っても、セシルはたいして興味がなさそうな反応を返す。もとより、来ないのを分かっていて聞いたのだろう。
この女は、アレクシスの本名を知らない。兄のこともきっと知らないだろう。
かつての自分は、彼女への想いが遂げられたら、過去も本性も全て話そうと考えていた。だが、セシルはユリウスに好意を抱いていたため、それが叶うことはなかった。今になっては、それで良かったと思う。
(マリーゼはなぜ、誰にも話していない私の過去を知っているのだろうか)
エメラルド国を立ってから、彼女のことが頭から離れない。
あのときは、彼女も自分を騙しているのかもしれないと疑っていたが、その意思のある眼差しは本物に見えた。嘘などついていないように感じられた。
……見極めなければ。セシルとマリーゼを。
催眠が本当だったとしても、マリーゼが冤罪だという証拠はまだない。真実を知るために、今は催眠にかかった振りをして、二人の身辺調査をしよう。
「それでは、私はここで」
アレクシスはセシルに別れを告げ、静かに部屋から退出する。
廊下に出ると、中からは浮かれた鼻歌が聞こえてきた。星空が瞬く夜空に調和した清らかな音色だ。
その無邪気な歌声が、耳に絡みつく毒のように思えて、アレクシスは足早にその場を離れた。




