2.悪役令嬢、心に誓う
カーンッと時刻を示す鐘の音が響き、意識が現実へと戻ってくる。断罪中なのを忘れるところだった。
仁王立ちのユリウスが、眉間のシワを深めて問う。
「マリーゼ、影で散々セシルを虐めてきたらしいな。おまえのその醜い嫉妬心で、どれだけ彼女が傷ついたと思っている」
一体いつ、私がこの子を虐めたってのよ。何も知らないユリウスに嫌気がさして、黙秘を続ける。催眠にかかっている人間に何を言っても無駄だ。
すると、今まで黙っていたセシルは大きな垂れ目をさらに垂らして、ユリウスの腕に縋り付く。
「わ、わたしはなにもしていないのに、マリーゼ様が……」
「セシル、今まで辛かっただろう……よく話してくれた」
ユリウスは、涙を浮かべるセシルの腰を優しく抱き寄せる。彼女の左手を掬い、その甲にある赤い線状の傷を私に見せつけた。
「──マリーゼ、この傷を見ろ! おまえが傷つけたんだろう。謝罪の言葉くらいないのか」
馬鹿なユリウス、まんまと騙されちゃって。
その傷はただの引っ掻き傷よ。チョロい男ねぇ。
セシルは偶然怪我をしたのをいいことに、私のせいに仕立てあげたのだ。薔薇恋では主人公補正で色々改変して上手い具合に正当化されてたけど、現実になれば悪質な冤罪でしかない、
「いいか、この傷だけではないぞ。貴様は──」
ユリウスは次々に私の列挙していくが、そう熱弁されても反応に困る。全てにおいて身に覚えがなさすぎるのだから。
冤罪よ、冤罪! 大冤罪!……などと弁解するのも馬鹿馬鹿しく、私は口を閉ざして話が終わるのを待つ。
マリーゼ自身に生まれ変わったからこそ、余計に分かる。彼女にはセシルを虐めるなんて大層なことを仕出かす勇気はない。ゲームでは、ユリウスの婚約者として舐められまいと気丈に取り繕うマリーゼだが、その実、臆病な性格の持ち主なのだ。
ユリウスは黙り込んだ私を不審に思い、苛立ちを隠さずに問いかける。
「マリーゼ、なぜ何も言わない。罰を受け入れないというのか?」
この男は、セシルを信じきっている。
ああ、可哀想なユリウス。この世界は貴方のものよ。貴方が私を最も傷つける世界線なの。だから、貴方は私の敵ね。
ユリウスは、いとも簡単に婚約を破棄して、私を信じようともしない。こちらは血の滲むような努力をしてきたというのに。貴方に相応しい婚約者でいるために……。
貴方は私にずっと冷たかった。催眠にかかってからは、セシルに同調して虐げてくるようになった。あの一瞬は、きっと幻だったのだろう……。
迫り来る様々な感情をぐっと堪え、私は平然を装って言葉を紡ぐ。
「わかりましたわ。その処罰、大人しく受け入れます」
瞬間、周囲がざわめいた。私の反応が意外だったのだろう。きっと、ごねるか、逆ギレするか、惨めに謝るか……のどれかだと思われていたのだ。
たしかに、前世の思い出す前に断罪されていれば、薔薇恋のマリーゼのように動揺してこの場で取り乱しただろう。
しかし、今の私に抵抗する気はない。むしろ、王宮から離れられるのならば願ったり叶ったりだ。
いいわ。大人しく婚約破棄を受け入れて、追放されてあげる。それで、セシルをちょ〜〜っと無視した過去の罪は償いましょう。これからは、わたくしの好きなように生きさせてもらうから。
決意を固めた私に対して、ユリウスは顎を少し持ち上げてふっと鼻で笑う。
「随分と殊勝だな。今までの傲慢な仕打ちを反省したのか? だが、もう遅い。寒い外の世界で自戒しろ」
「──殿下も後悔なさらないことね」
気丈に言い返すと、ユリウスから忌々しげな視線で返される。
遅いのはそっちよ……と思いながらセシルに視線をやると、彼女は依然として怯えた表情をしていた。喜びを抑えきれないのか、若干口角が上がっているけれど。
ユリウスは手を広げて、壁際に待機していた近衛兵たちに命令する。
「話は終わりだ。お前たち、マリーゼを王宮から追放しろ!」
近衛兵の一人が駆け寄って来て私の腕を掴み、大広間の扉の方へと引き摺っていく。
「さっさと歩け」
先程まで高貴な公爵令嬢だったというのに、随分と乱暴な扱いだ。
抗議の意を込めて無言で近衛兵を見上げると、彼は見下すような目付きを寄越した。その瞳孔には、うっすらと白薔薇の花紋が見える。
これが、催眠魔法の証……。ゲームとは違い現実で目にするそのリアルさに、私はごくりと唾を呑み込む。
「ようやく悪女が消えてくれるわ」
「セシル様の心が安らぐといいのだけれど」
近衛兵に連れられ大広間を出ていく中、周囲からくすくすと私を嘲笑う声が聞こえてくる。
言い返したい気持ちを抑えて、平静を保ったまま大広間を出る。ここで堪えたような態度を取れば、セシルの思う壷だ。
そのまま暗闇のような廊下を進み、私は王宮の外へと連れて行かれた。
巨大な正門の外で、槍を持った近衛兵が告げる。
「今後、王宮内に立ち入ること、殿下とセシル様に近づくことを禁ずる」
続けて、近衛兵は「安心して暮らしたくば、国外に逃げた方がいいかもしれないぞ」と鼻で笑い、私を置いて王宮の中へと戻って行った。
ギギギッ。
正門が重い音を立てて閉じられる。王宮と私の間に分厚い壁が生まれる。
「こんなところ、こっちから願い下げだわ」
誰もいなくなった道端で、私はひとりごちる。
マリーゼには、こんな暗くて湿っぽい場所は似合わない。冤罪で陥れられるなんて、そんな酷い幕引きがあるだろうか。
今のマリーゼはまだ十六歳、幸せなアフターストーリーの方が長く続くべきだ。
「思い出したこの記憶で、私がマリーゼの人生を幸せなものにしてみせるわ」
私は王宮を見上げ、心に誓った。