06話
振り返るとそこには、古ぼけた黒い手帳のような物を持ち、地面まで届くほどの裾の長い黒のローブを羽織った大柄な男がいた。
ゆるくうねる濃いブラウンヘアーを肩まで伸ばし、揉み上げと繋がったミディアムフルベアードの髭ひげを綺麗に整えている。鼻が高く、ほりの深い顔に力強い光を宿す薄い青の瞳。その薄青が目の前の少女を真っ直ぐに捉えている。
「そなた、レイんとこのクラウディア嬢だな? こんな所で何してる?」
その、フランクでありながらも低く威厳のある声で、クラウディアは確信した。
(——————王、だ。)
オストランド第18代国王、ゴードン・オストランド。数代にわたる国の低迷期にようやく差し込んだ光。栄光と繁栄を確固たるものに築き上げてきた国に影がかかり始めたのは、彼の数代先からだった。一時は国の滅亡までいきかけたのを当時16歳、戴冠したばかりの彼が建て直したという。
(レイ……確か、クラウディアの父の名前はレイモンドといった)
「先日まで体調を崩し、お休みを頂いておりました。本日から復帰しますが、体調面で些か心配なことがあり、兄のアーサー・フィンレーに相談しに行くところでした」
「そうか……そなたが倒れた事は聞き及んでいて、とても心配していた。まだ体調が本調子じゃないなら、休職期間を延ばせばいいのに」
態度や言葉の端々から相手を気遣う様子が窺える。
「あ、いえ……その…………実は、記憶喪失でして、いつ記憶が戻るのか分からないのに、ずっと休みを頂くわけにもいかず」
「うん!? 記憶喪失だって? じゃあ、わしが誰だか分からない状態で話してた?」
(正直、自信はあるけど確証がない————)
「確証はありませんが、恐らくゴードン王かと……合ってますでしょうか…………?」
恐る恐る尋ねる。目と目が見合って見つめ合う形になってしまい、男の綺麗なブルーアイに圧倒される。髭で覆われていて分かりにくいが、端正な顔立ちだ。
結局、圧に耐えられずに目を背けてしまうのだが、その後も沈黙がいくばくか流れる。この沈黙が辛い。
「そうだよ」
にっこりと微笑むゴードン王。
(ヨカッタ——————!!!!)
クラウディアは心から安心し、喜んだ。
どうやらその喜びがつい顔にも出ていたらしく、ゴードン王はその気の抜けた顔を見て豪快に笑い出す。そうして一頻り笑ったあと、自然と手元の手帳に目がいった。そうすると何かを思い出した顔をして、神妙な面持ちで少女に一言告げる。
「すまんな。ちと用事を思い出したから、わしもう行くわ」
「左様ですか。承知いたしました」
うむ、と言う王。その場を立ち去ろうとした足が止まり、クラウディアを背後に王は声を掛ける。
「……そなたは、自分の生きたいように生きればよいぞ」
それだけを言い残して、俊敏に歩き去ってしまった。
ひとりその場に残された少女は、しばらくその後ろ姿を眺めていたが、自分の用事を思い出して歩みを進める。
そのまま綺麗に敷き詰められた石畳を歩いていって、建物の角を曲がろうと左折した。