10話
眼前の男の見た目は、一言でいえば美丈夫。眉目秀麗ともいっていい。全体的に整った顔立ちに、バランスの良い体躯。吊り上がり気味の二重瞼の下にあるのは、紫混じる紅の瞳。勝ち気な吊り上がり眉は、頭髪と同じで銀色に光る。筋の通った鼻に、大きめな口。元来、肌は白くて薄いのだろう、額を通る血管が透けて見える。先ほどまで動いていたからか体調が悪いからか、今は頬のみならず、全体的に紅潮していて、大粒の汗が噴き出ている。
この男のことを、
(私は何と言ったーーーー)
「なぁ、今なんて言った……?」
自問と同じ事を男は訊く。冷静を装っているが、目には動揺と疑念の色が浮かんでいる。
「え? 何も言ってないですよ」
「ーーーー言っただろ、フリッツって!!」
大声を出したつもりの声は掠れが入って、それだけ疲労があることを証明した。男は続けて、重くコントロールの効きにくくなった身体を左右に揺らしながら、数歩先の少女の方へ歩いて行く。
「なんで、その名前を知ってんだ?」
咄嗟に出てしまった名前だった。初めて隊長の顔を見た時に、はるか昔の親友の名前がつい口から飛び出してしまった。
ーーよくよく見れば、似てなどいないのに。
(しかし、この隊長の言い草……フリッツという名前を知ってないと、こうは言わないだろう。彼の言うフリッツとは何だろうか)
「……フリッツは、私の昔の友人の名前です」
「友人の名前だと……? それは本名か? どこの国のヤツだ?」
「本名は、岩瀬普律。日本国での親友でした」
クラウディアの言葉を聞いた男は、目をこれでもかという程大きく開け、少女をギロギロと観察する。そして、そうかと思えば次は溜め息をついてその場に雑に座り込んだ。その拍子に顔から大粒の汗が垂れ地面にシミをつくる。
「そういうことか…………お前、さっき会った時から様子がおかしかったんだよな……いつものフォンらしくないっていうか」
(フォン……クラウディアのミドルネームだ。こちらでは親しい間柄のみミドルネームで呼ぶらしいんだが……)
「……お前も、過去の記憶を思い出したのか?」
「お前も……ということは、隊長……えっ、誰? フリッツ??」
「はぁあ!? なんだよ、俺のこと思い出したから名前呼んだんじゃねぇのかよ」
「前世の記憶はあるけど、君、そんな顔じゃなかっただろう? クラウディアの記憶はないから、さっきと今見た君の顔しか知らないし……」
「そんなんでよく分かったな」
「うーん……なんだろうね? 顔の造形は違うんだけど……雰囲気? 表情とか……がフリッツなんだよね」
気安くジロジロと男の顔を見るクラウディア。
「それで……君、本当にフリッツなんだね?」
「……あぁ、そうだよ。……んで? お前は……秋仁じゃないな…………怜弌か」
「うん。……久しぶり」
「ああ」
互いに微かに笑い合う。
ーーーーやっと、逢えた。80余年かかった。彼と別れてから、怜弌には本当に色々なことがあった。彼にその話を聞かせてやりたいし、彼のそれからのことも出来れば知りたい。積もる話は沢山ある。しかし、何から話し出せばいいのだろう。
(いや……慌てる事はない。今はまだ再開できたことを、ただ喜ぼう)
「身体、大丈夫か?」
「あーー……まぁ、ここに居ればそのうち治まるだろ」
少女が眉をひそめた様子を見て、男は軽く説明をする。
この庭園に植えられている樹木には不思議な力があって、有り余った余分な魔力を吸い取ってくれること。最近になって魔力が溢れてくるようになり、自分の力量では制御が難しくなりつつあること。
(ーー確かに、初めと比べると落ち着いてきたな)
しばらく静かな時間が流れていた。その静寂は心地良かったが、ふっと怜弌は普律に訊いてみたいことが1つ頭に浮かんだ。
「そういえば君、クラウディアのことをフォンって呼んでるんだね。そんなに親しい間柄だったのかい?」
ギックーー!! という擬態語がそのまま聞こえてきそうな程、彼の態度は明らかだった。普律は顔を背けたまま動かない。
「え…………? なんだ、その反応……もしかすると…………恋人とかそういう男女のアレか……?」
男はだんまりを続ける。
「ーーーー黙秘は肯定と捉えるよ」
はぁ、と大きな溜め息ひとつ。そのあと男はぽそりと呟く。
「…………そうだ。俺とクラウディアは付き合ってんだよ」