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プロロウグ : 第壱ノ人生終幕

 

 締め切った硝子(ガラス)窓の向こうでは、夏の盛りの雄蝉(おすぜみ)が身を震わせ雌蝉(めすぜみ)を呼んでいる。老人は病室のベッドで目を(つむ)り、それを静かに聴いている。



 ——これが聞けるのも、今年が最期だろうな。

  今年といわず、もう数日の内のことかもしれない。



 御年(おんとし)100歳。体のどこが悪いのかといえば、どこといわず全身がぼろぼろである。いつお迎えが来てもおかしくなく、来ても大往生(だいおうじょう)と言われる程に長い時間この世に滞在している。



 それでも病院にいるのは、数週間前に心臓発作を起こして運ばれてきたからで、その後も一度発作があった。次に発作がきたらもう命は無いと医師から言われている。



 今生(こんじょう)の想いを馳せていると、仕切りの桃色のカーテンがシャッと軽快な音を立てて開いた。



「おじいちゃん、来たよー。今日は前に頼まれてたアルバムを持ってきたよ」



 そう言って中に入ってきたのは、白のセーラー服を爽やかに着た少女だった。



「ああ、ありがとう。今日はもうお昼ご飯食べたかい? 学校の補習があったんだろう?」


「病院の食堂で済ませてきたから大丈夫! んで、はい、これ」



 老人は(しわ)とシミが沢山の手で、彼女が差し出した古めかしいアルバムを受け取ると膝に乗せ、少女に椅子に腰掛けるように促す。側にある床頭台(しょうとうだい)から、老眼鏡を震える手で取り出して掛ける。



 一枚一枚丁寧に(めく)る、眺める、捲る、眺めるを繰り返していくと、あるページで捲る手が動かないことに少女は気付いた。



「どうしたの?」



 少女がアルバムを覗き込むと、その白黒の紙には学ランと学帽を着用して、しゃんと背筋を伸ばして立っている少年3人がそこに(うつ)っている。



「え……なにこの人達、イケメンじゃん」


「イケメン……?」


「あぁ……かっこいい、男前ってことね」


「ははは。そうかい。それはありがとうよ」



 写真を留めてあるアルバムの余白には、右から『灰谷秋仁』『日櫻怜弌』『岩瀬普律』と達筆な文字で書かれている。

 その内ひとつの名前には見覚えがあった。



「この真ん中の日櫻怜弌(ひざくられいいち)って、おじいちゃん!?」


「そうだよ。なかなかのハンサムだろう」



 にこりと笑った皺皺(しわしわ)の顔からは、その少年の面影(おもかげ)が僅かにある気がした。



「……でも、もうこんな爺さんになってしまったからね……彼等に天国で逢えても、誰だか分かってもらえないかもな」


「この人達って、もう……?」



 老人はゆっくりと(うなず)く。


 彼、と言った指先は左に写っている『岩瀬普律(いわせふりつ)』を指す。



「フリッツは日本人と独逸(ドイツ)人の間の子でね。だからかな、ガタイが良いだろう? 目鼻立ちも整っていたから、街に出たら女の子たちの黄色い声をよく聞いたよ」



 確かに背も高く、骨格もしっかりしているのか非常にスタイルが良く見える。それに異国の血が流れていると聞かされれば、やっぱりと納得してしまう、日本人顔とは違う明らかにほりの深い顔立ち。写真が白黒なので髪や目の色の本当のところは分からないが、他の2人と比較して見る限りでは髪も目も、黒か、黒よりも多少は明るい茶色だったのではないかと推測できた。



「戦争が始まる頃に、彼の父が祖国独逸(ドイツ)の軍医になるから、彼自身も独逸に行くと言ってね。かなさんも知ってると思うが、その時日本と独逸は同盟関係にあったから、所属する国は違えど共に戦おうと言って、向こうに渡ったんだ。


 ……彼の訃報(ふほう)を受け取ったのは、終戦後だった。いつ、どこで、どのようにして亡くなったのか、詳しい事は書かれていなかった。でも……この写真の彼の年齢とさほど変わらない歳で、死んだんだよ」



 短い息を一息つき、窓の外を眺める。

 青く澄んだ空に、弾力のありそうなもっくもくの白雲がそこにある。夏の空。



「私の右に立っている男は、灰谷秋仁(はいたにあきひと)っていう男でね、彼もなかなかに色男だろう? 鼻筋が通っていて目元が(さわ)やかでさ、頭も良かったな。独逸語もフリッツに負けず劣らず流暢に話せて……2人で独逸語で会話してた時は、私は置いてけぼりを食うからつまらないだろ?


 だから変な顔をするんだけど、そうするとあいつら2人してケラケラ笑って冗談めかしくこう言うんだ。『イッヒリーベンリッヒ! そんなに拗ねんなって!』ってね」



 老人は、声を出して笑う。しかし、その声はすでに掠れて音という音があまり出ていなかった。



「それって、どういう意味なの?」


「イッヒリーベンリッヒ……愛しているよ。特に男女間において使われる言葉だね。やつらは1人にされてむくれる私を、嫉妬した女性のようだと思ったんだろうな。一度そんなことがあってから、何回か続いたよ」

 


 言ってから老人はゆっくりと口を閉じ、黙った。にこやかだった顔は次第にしぼみ、何か暗い出来事に想いを馳せているようで、かなは高祖父から口を開くまで待つことした。



 それから少しして、ふぅと小さく息を吐いて老人が口を開く。



「……私と彼は、海軍に入隊したんだ。私は駆逐艦(くちくかん)雪風に。灰谷は戦艦大和(やまと)にそれぞれ配属になった」


「戦艦大和!? 聞いたことあるよ! 有名だよね。……おじいちゃんの、その……雪風(ゆきかぜ)? は聞いたことなかったけど」


「まぁ、知らない人も多いだろうな。でもな、雪風は不沈艦(ふちんかん)、幸運艦とも呼ばれてたんだ。戦後まで唯一生き残った駆逐艦だったんだよ」


「唯一って……じゃあ、大和は?」



「大和は沈んだよ。昭和20年4月に大和を中心にして、雪風含む10(せき)で沖縄に向かったんだけどね、その途中で米軍の空襲にやられたんだ。たくさんの艦が沈んで、雪風からも死傷者が出てた。

生きるか死ぬかの瀬戸際でね……みんな必死だったよ。


 そもそも駆逐艦というのは、使い捨て同然……つまり、装甲(そうこう)が弱かったから、周りの駆逐艦が沈んでも、大和は無事だろうと思ってた。実際、とても立派な艦隊だったしな。だから、大和がやられ、大和乗員の救助に向かった時は現実味が無かった……」



 老人は、写真の中で真面目な面持ちをしている戦友をじいっと見つめる。



「……雪風の甲板から海を見下ろすと、多数の顔が見えたんだ。みんなこっちに泳いでくる。大破(たいは)した大和から流れ出た油で認識しにくかったが……その中に、灰谷は見当たらなかった」



 古いアルバムを閉じて、かなと呼ぶ玄孫(やしゃご)ににこりと微笑む。



「最期に彼等の顔を思い出せてよかった。向こうで逢った時にお互い顔がわからないんじゃ、どうしようもないからね」


「縁起でもないこと言わないでよ。 ……でも天国に行ったら自分の好きな姿になれるって聞いたことあるよ」


「それほんとかい? 好きな姿に?」


「若いときの姿とかね」


「なるほど。それだったら、あいつらも()ぐに私を見つけられるだろうね。良いこと聞いたよ」



 くっくっと笑う高祖父の姿は心の底から楽しんでいるように思えて、かなは寂しくも、嬉しく感じた。



「……雪風かぁ〜いい名前だよね」


「突拍子もないね」


「うん……実はさ、友だちの家で飼ってる犬が仔犬産んで、うちにくれるってハナシがあるんだけど……」


「大和もいい名前だと思うよ?」


「まぁね。でも、さっきの話を聴くと雪風かなって。やっぱ不沈艦とか幸運艦とかって縁起が良さそうだし」


「そうかい。大切にするんだよ」


「うん、ありがと。————あ、そうだ! 今日このあと本屋に寄るからもう帰るね。また近いうちに来れたら来るから!」


「ああ。気を付けて帰るんだよ」




 はーいと言って少女は、元気に病室を出ていった。

 その姿を微笑ましくも寂しげに見つめる老人は、なんとはなしに己の死期を感じ取る。





 ——そろそろお迎えがくるかな…………誰が来てくれるんだろうね? 



 ひとりでくすりと笑う。




 ………やっと、お前たちに逢えるな…………


 …………約束したこと、忘れてないから…………








 日櫻怜弌は長い長い溜息を吐くと、そのまま静かに動かなくなった。








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