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第755話 『肥前銀行と大日本国銀行』

 天正十八年十月九日(1589/11/16) 


 灰色の雲に覆われた空の下、肥前国諫早において大日本国銀行監査総監の近江屋治郎右衛門は、随員20名を従えて肥前銀行本店に到着した。

 

 5層の巨大な蔵造りの建物群は、それ自体が1つの街区を形成している。


 中央の本館を囲むように配された4棟の建物には、それぞれ「為替」「貸付・融資」「海外」「会計」の表札が掲げられ、さらにその外側を取り巻くように「研修所」「倉庫」「警備所」が建ち並ぶ。


「なんと(おびただ)し(これほどの規模とは)……」


 随員の一人、堺の両替商・天王寺屋正介がつぶやいた。


 玄関前には肥前銀行頭取の鍋島采女(うねめ)が、筆頭勘定方の堀江宗右衛門以下10名の重役とともに整然と並んでいる。その背後には100名を超える行員が列をなしていて、さらにその奥には警備を担う足軽たちの姿も見えた。


 治郎右衛門は近江商人の名門の出で、大坂での金融業を経て大日本国銀行の創設に関わった人物である。しかし、この威容の前では、さすがの彼も一瞬たじろぎを覚えた。


「お越しいただき恐悦に存じます」


 采女の声は穏やかだが、その背後にある確固たる自信が感じられる。


 応接の間へと案内される途中、各部署の活気ある仕事ぶりが治郎右衛門の目に入った。


 ポルトガル語やマレー語、中国語や朝鮮語が飛び交う海外部。精緻な帳簿をめくる会計部。全国からの為替を処理する為替部。その規模は、大坂や江戸の両替商街をまるごと1つの建物に収めたようだった。


 特に目を引いたのは、若き行員たちの研修風景である。


 ポルトガル語・マレー語・朝鮮語・中国語・琉球語・ヒンディー語などの外国語の業務研修、算術の講義、帳簿の実習。すべてが組織的に行われていた。


「新たに加わりし者の育成には、特に力を尽くしておりまする」


 堀江宗右衛門が説明し、続ける。


「半年より一年に至る修行の後、各所へと任ぜられます」


 広大な応接の間に通されると、そこにはすでに数十の帳簿が積み上げられていた。『まずは帳簿の確認から』という治郎右衛門の言葉に、さらに数十人の行員が次々と帳簿を運び込んでくる。


「ご覧ください」


 宗右衛門が総勘定元帳を開く。そこに記された数字に、治郎右衛門は絶句した。資産総額は大日本国銀行の10倍以上。しかもその内容は、国内取引、海外取引、貸付、為替と、驚くほど多岐にわたっている。


「こちらは、日ノ本以外の支店に係る帳面にございまする」


 次に示された帳簿には、マニラ、カリカット、ケープタウン、小樽など、各地の取引状況が克明に記されていた。特にポルトガルとの貿易金融は膨大な規模に上る。


「御行の一度の取引が、大日本国の生業の銭の流れ(経済)をも揺るがしかねぬ事、夥しきにござりまするな」


 治郎右衛門の言葉に、采女は深くうなずく。


「その見識こそが、我らが行いの道しるべの根元にございます」


 そう言って采女は、1冊の黒革の帳簿を示した。


「当行の業の則に(業務規定)ございます」


 その内容は、驚くほど詳細かつ厳格なものだった。

 

 ・1日の取引量の制限

 ・融資における担保評価基準

 ・他行との協調融資の原則

 ・市場介入の制限

 ・為替相場への影響の考慮

 ・地方経済への配慮規定


 そしてさらに、采女は次のページを開いた。

 

「また、当行の業務の名残(影響)の多きを鑑み、以下の則(規定)も設けております」


 ・各総督府との調整規定

 

「各地の総督府の金策との整合を図り、定めし間に報せを通わす(定期連絡の)場を設けることを務めとしております」


 と宗右衛門が補足する。

 

「印度・阿弗利加に関しては四半期ごとの政策協議、台湾・ルソン・東南アジアでは月次での情報交換会を催しております」

 

 ・大日本銀行との関係規定


「これは特に重き則(規定)でございます」と采女。

 

「当行が大日本銀行の最も大き出資者でありながら、その政策決定には不当な名残(影響)を与えぬよう、厳格なる利益相反を防ぐ措置を定めております」

 

 ・危機管理規定


 宗右衛門が説明を続ける。

 

「信用不安が波及しないための対応、地域間で金の貸し出しを危ぶむ事が連なることを防ぐなど、当行の規模故に必要となる危機管理の仕組みを定めております」


 肥前国では銀行に限らず、現代に近い造語が随時生まれている。そのため治郎右衛門をはじめとした大日本国銀行の面々には聞き慣れない言葉も多い。


 熟語や造語になれた人間が説明するので、都度都度、相手の顔色を見ながら準翻訳のような形になってしまう。

 

「これほどまでに自らを制しているのですか?」


 随員の一人の問いに宗右衛門が答える。


「それは、大日本国の安寧こそが、当行繁栄の礎にございますゆえ」


 さらに采女は、地方銀行の育成支援策を説明した。

 

 ・技術指導

 ・人材派遣

 ・資金融通

 ・経営相談


 すべてが体系的に整備されている。


 昼食を挟んで監査は続いた。食事中も各部署の責任者たちから詳細な説明が続く。


 外国為替部長からは、海外支店における現地通貨の取り扱い、各国商人との取引方法、リスク管理の手法について。貸付部長からは、担保評価の方法、返済条件の設定基準、不良債権処理の手順について。


 それぞれが理路整然と説明された。


 午後からは実地監査となる。各部署を巡り、実際の業務を確認していく。どの部署でも、整然とした仕事ぶりが印象的だった。


 特に治郎右衛門が注目したのは不良債権処理の仕組みである。


「返済滞りし時も早々に取立てをいたすことなく、まずは商売の仕方や算用の相談など承ります。末永き取引こそが、双方の為となり申すゆえ」


 貸付部の主任が説明した。

 

「最大の懸念は御行の規模でしたが、それは杞憂(きゆう)でしたな」


 夕刻近く、監査の総括として治郎右衛門は切り出した。


「ご理解いただき、光栄です」


 采女の表情に、わずかな安堵(あんど)の色が浮かぶ。


「むしろ」と治郎右衛門は続けた。


「これほどの規模を持ちながら、かくも慎重な運営をされている。それこそが最大の驚きでした」





 帰路の馬車の中、随員たちは感想を述べ合う。


「すべてが夥しき量にございましたな」


「いや、それ以上に驚いたのは、その自らを律する営み方です」


「大日本国の生業における銭の流れの様々なる事を、むしろ盛り立てているとも言えるのではないでしょうか」


 治郎右衛門は黙って部下たちの会話を聞きながら、監査報告書の構想を練っていた。肥前銀行の存在は、大日本国の金融システムにとって、もはや懸念ではない。


 むしろ、その発展を支える最大の柱となっているのではないか。


 夕闇が迫る諫早の町を後にしながら、治郎右衛門は確信していた。この監査で見たものは、単なる巨大金融機関ではない。大日本国の金融秩序を守護する、新たな形の統治機構だったのだと。





 次回 第756話 (仮)『フアン・デ・サルセードとマルティン・デ・ゴイチ』

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