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尚元王の死と万暦帝の即位

 天正元年(1572)七月十九日


 三ヶ月前に、純正の同盟国(通商和親・準安保)である、琉球王国第二尚氏王統の第五代国王である尚元王が崩御した。


 特に名君というわけでもなく、普通の王であったが、古来より王朝の代替わりの際には政情が不安定になりがちである。崩御の報せを受けた純正はすぐに使節を派遣した。


 体調が思わしくないとの報せで準備はしていたものの、喪に服すとともに親小佐々派の伊地親雲上と長嶺親雲上の身辺警護、それから反小佐々・親明の閣僚の排除に動いたのだ。


 結果、おおきな騒乱もなく葬儀から即位の大典まで行われ、第六代王である尚永王が即位した。純正にとって他国の王が誰になろうが、政治闘争で誰が勝ち、誰が負けようが関係ない。


 しかし琉球は南方進出のための重要な拠点なのだ。親小佐々でなければならなかった。





 一方、海を隔てた中華大陸でも、大きな政治の動きがあった。





「伟大帝王的美德 泽被万民 皇帝万岁 皇帝万岁 皇帝万岁」


(大いなる皇帝陛下の徳 あまねく万民に行き渡る 万歳万歳万々歳)


 先月の隆慶六年六月十日、天正元年(元亀三年・1572)の同日に、明国第十三代皇帝の隆慶帝が崩御し、第十四代皇帝として万暦帝が即位したのだ。


 明と直接の国交はないとはいえ、退去させられるまでは小佐々家はマカオに商館を置いていたのだ。


 外交関係が緊張化している時でも、礼儀は忘れてはならないと考え、葬儀と即位の際には使者を派遣した。


 けんもほろろの状態になるのではないか? そんな事は百も承知である。


 こういう状況の中でも、純正が礼をつくし、中国の慣例に則ってお悔やみとお祝いの使者を派遣した、という事実が重要なのだ。


 琉球の使者はもとより、東南アジア各国の使節が見守る中、純正の使節がどのような対応を受けるか、それを示したのだ。


 それ自体が明に対する外交カードにはならないが、必要な事である。


 結果的に冷遇はされなかったものの、厚遇もされなかった。


 中華の皇帝にとって冊封国は中華圏であり文明圏である。冊封をしない国はいわゆる化外の民であり、蛮夷の国なのだ。


 好むと好まざるに関わらず、周辺国もその認識を()()()()()おり、冊封国でもない国からの使節は好奇の目でみられた。


 冊封国は冊封国で、その中華意識のもと、明の力を背景として自らの統治に利用していたのである。


 しかし、永楽帝の時代には三十余国あった朝貢国も、北虜南倭の影響もあり、明の求心力の低下とともに減っていたのは事実であった。


 ここで言う好奇の目で見られた、というのは卑下した見方ではなく、大丈夫なのか? という意味である。


 純正は澄酒や椎茸、石けんや鉛筆といった様々な特産品の他、ガラス細工や時計、望遠鏡などの加工品も贈ったのだ。


 当然生糸や絹織物、茶、陶磁器などの朝貢貿易で下賜されるような品も、国産でしかも高品質のものを贈った。


 要するに、別にあんたらに貰わなくても、よりいい品があるから! という事を暗に示したのだ。


 受け取らないなら受け取らないで、それでよかった。何の問題もない。





「十年だ」


 会議室で閣僚との会議中に、純正は告げた。


「十年は明の動向を、しかと見ておかねばならぬな」


「十年とは、なにゆえにございますか?」


 直茂の発言に全員が純正の顔を見る。


「今上皇帝の万暦帝は幼く、いまだ十歳だ。ゆえに補佐が要るが、おそらくは内閣次輔の張居正が実権を握るだろう。首輔の高拱は有能だが事なかれ主義であり、次輔の張居正とはそりが合っていないようだからな」


 純正は情報省の職員の中から外国語に堪能なものを選ばせて、各国に忍ばせている。


 現在のように通信環境が整っていないのでリアルタイムとはいかないが、明の場合は琉球を通じて、一ヶ月から三ヶ月で情報が伝わるようになっていた。


「張居正とは、いかなる男でしょうか?」


 今度は直家が聞いた。


「有能だ。それに加えて政治力もある。豪腕といったところだろう」


「それはちと、やっかいですな」


 官兵衛が感想を述べる。


「古今東西の国を見るに、長きにわたって栄華を極めても、やがては内より腐り崩れるものです。幕府しかり、明国もしかりにございます。永楽帝の御代の繁栄も今は昔、堕落して国庫は厳しいはずです」


「ふむ」


「そのまま滅んでくれれば楽なのですが、その張居正が力を持ったならば、改革を行い財政も立て直すでしょう。さすれば琉球や南蛮の国々への口入れ(介入)も増す恐れがございます」


 台湾しかり琉球しかり、である。


 張居正の改革と腐敗撲滅、そして富国強兵がなされて、再び永楽帝の時代が戻ってきては困るのだ。


「そこよ、()りとてすぐに(いくさ)にはならぬであろうが、そのために沿海州の女真に遣いをやっておるのだ。奴らに早々と女真を統べてもらい、明を北から圧してもらわねば。今ごろは源三郎(松浦鎮信・外務省東アジア担当)がすでに会っているだろう」


「「「うべなうべな(なるほどなるほど)」」」


 佐志方庄兵衛と尾和谷弥三郎、そして土居清良が口をそろえてうなずく。


「銀は出さない。貿易による銀の流出をおさえ、ガレオン貿易によるメキシコ銀の流入も阻止する」


 最後の純正のつぶやきが聞こえたかどうかは、わからない。





 ■下越


 本庄繁長と新発田長敦、中条景資の3人は、それぞれの居城を謙信本隊と力を合わせて奪還する事に成功した。


 新発田長敦の居城である新発田城と、中条景資の居城である鳥坂城は、攻城戦の末の被害はあったものの、修復すれば使用可能であった。


 しかし、本庄城は別である。


 第四艦隊の艦砲射撃を受けた大川城などの沿岸部の城と同じく、屋根や城壁、土塁や櫓など広範囲に渡って損傷があったのだ。


 さらに城下町も同じである。


「……」


 語らずとも繁長の心情は推して知るべしであろう。


 他の2人も大同小異である。


 謙信の越中遠征で多大な損害を被った。さらに、城は奪い返しても、内陸部に防衛線を後退させた蘆名や伊達が残っているのだ。


 軍神謙信に従った結果がこれであるから、謙信の求心力が地に堕ちた事は言うまでもない。


 被害のなかった他の揚北衆にしても、今後謙信が軍事行動を起こしたとして、はたしてどれほど協力するであろうか。


 越中の領土を失ったのだ。この上揚北衆の協力もなくなれば、もはや関東管領どころではない。越後守護としての力も保持することが難しくなる。


 越中戦役の敗戦は謙信にとって、あまりにも大きい痛手であった。





 次回 第578話 松前異変

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