永禄遣欧使節団、渡海する。
同年 五月
ついに!ついに決まった!横瀬浦開港!史実より三ヶ月早い開港である。
豊後から布教長トーレスが大友宗麟の書簡をもって横瀬浦へ到着。トーレス自身が書簡を持ってきた事が大きい。
やった!薩摩に勝った!!
俺は不死身でもなければ無敵でもない。もちろん、神様に与えられたチートな能力もない。だからこそ、どんな事をしても生き延びないといけないんだ。
開港の条件であった村民の改宗だが、移住(次男三男~他女性、子供)で解決した。老人がいないのを不思議に思われると考えたので、その理由として一昨年、針尾伊賀守の襲撃にて、家族を失った者を保護したのだ、とした。
ここにいるのは生き残った人々で、我々が保護し、この港の整備、発展の為に尽くす様に、と定めた人達だ。
それから開港につき、大村様には言っていないが、条件を認めるかわりに、小規模な使節団とでも言うべきか?技術者数人をポルトガルに派遣する事を認めさせた。まあ、キリストの事を知るためには、その世界を知らなければ、とかなんとかね。
造船、武器、産業、医学等々の各業種。頭の回転が早く、飲み込みの早い者たちを選んだ。
それから語学、ラテン語・ポルトガル・スペイン・英語・オランダ語・フランス語、学ばせるために5名選んだ。当面必要なのはポルトガル語、それからちょっと後にスペイン語だ。
イギリスにオランダ、フランスにいたってはかなーり後になるが、政治事情も関わってくるんで、リスク管理の面で。イギリスには当時他国になかった、画期的な技術があるので、危険を犯してでも渡英して盗む必要があった。
史実日本には幕末だったか、明治になって入ってくる技術だから。実現可能なオーバーテクノロジーになるか?
それから豊後の大友宗麟の下に、正式に同盟の使者を送るとともに、フランキ砲製造のための技術者を送った。確か注文するのと同時期に生産も始めていたと思う。
大砲の鋳造には成功していないが、鉄砲の量産は目処がついてきた。全員とまではいかないが、それでも買うより安く、大量の鉄砲がつくれる様になった。忠右衛門おじさんには無理をさせてる。
ごめん。白髪が増えてきた気がする。長期休暇でもあげて慰労しよう。