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謙信の深謀遠慮と織田家の動向

 天正元年(1572) 三月二十九日 越中国新川郡 宮崎城


「申し上げます! 飛騨との国境に、怪しき勢(軍勢)ありとの報せがございました!」


 春日山を出発した謙信のもとに、報告が入った。


「なに? 怪しきとはなんじゃ? 武田の勢(軍勢)か?」


 須田満親が確認する。


「いえ、武田菱は見当たりませんでした」


「武田、ではない? 御実城様、これは……」


「ふふふ、武田ではあるまいよ。公方様の扱い(調停)にて和睦がなっておるし、駿河を得ておるのだ。今さら北に向かう故(理由)もなし。となれば織田ではあるまいし、工夫に()つ(考えつく)と言えば、一つしかあるまい」


「まさか……権中納言様、にござるか」


「その、まさかよの。(そもそも)われらは盟を結んではおらぬし、(かたみ)(たが)う大義を持ちたるのだ。過日の、越中の守護の儀よの」


「では、能登畠山に口入れ(介入)して、兵を出したという事にございますか」


「そうであろうの。如何様(いかよう)に(どのように)して権を見せるのか、と我が問うたからの。それに応うるべく(いくさ)の支度をしたのであろう」


 謙信は口元に笑みを浮かべながらそう言った。


「けだし(おそらく)我らの側方(そばざま)(側面)、あるは(あるいは)後ろより掛からん(攻撃しよう)としておるのだろう。ふふふ、浅し(浅慮)よのう。稚児でも工夫に()つ(考えつく)事よ」


「然れば、如何なさいますか?」


「案ずるでない。城生城(じょうのうじょう)の次郎右衛門尉に(つか)いをだせ。筋(内容)は記して渡す。加えて信濃も計らわねば(考慮しなければ)なるまい」


「信濃にござるか」


「左様。わが越後は北に南に長い。それにこたびの勢の(つら)(軍列)は十三里(約51km)にはなろう。我らの糧道を絶たんとするであろうからな。ゆえに信濃じゃ。飛騨に怪しき勢あれば信濃にありても怪異(けい)(不思議)ではなかろう?」


「は、ではその荷駄に押し掛く(襲いかかる)と?」


「ふむ。()れど(いま)だ荷駄は不動山城を越えたあたりであろう。ここで荷駄に押し掛くのであれば、敵はすでに越後に入っておらねばならぬが、その報せはない」


「では、如何なる仕儀(事)にございましょうや」


「敵の当て所(目的)が荷駄ではなく、我らと春日山を絶たんとするならば、城を抜き(落とし)、かすめて(奪い取って)は足溜まり(根拠地)とするであろう」


「うべなるかな(なるほど)」


「とてもかくても(いずれにせよ)、策は与えておるゆえ案ずる事はない」


「はは、この満親、感服の至りにございます」


 謙信は笑みをたたえたまま、つぶやいた。


「さて、いささか(少し)は我を肥やす(楽しませる)であろうか……」





 ■美濃 岐阜城


「いやはや、げに(実に)長き(つら)にございますなあ。八里半(32km)はございましたでしょうか」


「猿! 何を言うか。あれしきの(つら)、長島に朝倉、いずれに討ち入る(みぎり)(時)もあったであろうが」


 秀吉の発言に柴田勝家が腹立ちまぎれに声を荒らげる。


 天正になって木下(藤吉郎)秀吉は羽柴藤吉郎秀吉と名乗り始めるが、織田家中ではいまだに蔑んで猿と呼ばれる事も多かった。


 もっとも信長が呼ぶ猿は、愛称の猿である。


「そうでございました! いや、それにしても軍兵の怪し(奇妙・奇天烈)こと甚だしきにございまする。鎧も(ちゃく)せずただ黒の衣を(まと)いておりました。くわえて常体(つねてい)尋常(じんじょう))ならざる鉄砲と大筒の数にございます」


 満座がざわつく。


「ふふ、小佐々の軍兵は京にて何度も見ておるが、掛かる(攻撃)を捨て動き易しに徹しておるとみえる。そをなす(それを成立させているの)は常体(つねてい)尋常(じんじょう))ならざる鉄砲の数に扱う兵法であろう。……然れど、(また)し(完全な)ものなど、ない」


 ニヤリと笑う信長の言葉に、静まりかえる。


「われらは小佐々の良し所は学び、改めるべき所は改めねばならぬ。正に(確かに)鉄砲と大筒は(いくさ)の首尾を決める重し道具ではあるが、そればかりで軍は決まらぬ」


 明智光秀、滝川一益、羽柴秀吉の三人が頷きながら信長の言葉を聞いている。


 光秀は京にあって朝廷や幕府と織田家との連絡役をしていたが、義昭逃亡後は細川藤孝がその任を負っていた。


「殿、六角承禎様がお見えです」


「おお来たか。通すが良い」


「はは」





「よう参ったの。して、如何であった?」


「は、(のぞ)むはあの謙信という事もあり、皆で集まり頭を割りて、(おもんみ)て(試行錯誤して色々と考えて)おるようにございます。はじめは荷留と津留にて銭と物の流れを止め、信濃と飛騨より、謙信の側方(そばざま)(側面)、あるは(あるいは)後ろより掛からん(攻撃しよう)としている様にございました」


 加えて、と承禎は続ける。


「能登より船手(海軍)を出しては越後の荷船を封じ、五万の兵にて越中に入らんとしております。然りながら万難を排すため、助言を請われましてございます」


「ふむ、如何に問われ、如何に答えたのだ?」


「は、謙信とは如何様な人間であろうか、と問われましたので、天骨にて天賦の才の持ち主と答え申した」


「それで?」


「は、如何に戦うか? と問われましたので、天骨とは常人に非ず、と応えました。行いも意趣(行動も考え)も違うため、臨むには常人が能わぬ事、やらぬ事案じぬ事を為すと思えばよい、と答えましてございます」


「ふふふ、左様か。言い得て妙であるな。して、此度(こたび)(いくさ)如何(いかが)考える?」


「は、はじめのうちは謙信が勝りましょう。然れど盛り返し、長引くのではないかと考えまする」


「何故そう思う?」


「は、報せがないゆえ実正(確かな事)は申せませぬが、あの信玄と渡り合うたのです。初見で見切るのは難しかと存じます。然れど中納言様の郎等(家来)も、曲者(海千山千・したたか者)も多うございますれば。あとは謙信が軍の済済(すみすまし)(決着)を極むる(決定づける)勝ちでもせぬ限りは、長引くかと存じます」


「左様か。頃合いを、見なければならぬな」


 信長はこの戦いの終わらせ方を考えなければならなかった。


 少なくとも、加賀を手に入れるまでは、越中が小佐々のものであってはならないからだ。





 ※あた・あだ・かたきてき・かたきですが、敵という字も同じ意味で使われていたようなので、今後は敵に統一します。

 ■第三師団、陸路にて北信濃の平倉城へ 4/5着予定。

 ■土佐軍、近江国高島郡海津発 陸路にて敦賀へ向う。

 ■加賀一揆軍、金沢御坊発。

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