恐怖の謹賀新年
永禄五年 正月 小佐々城
数え十三になった。当主をついではじめての正月だ。
小佐々城にて新年の祝の宴が開かれている。
最高級しゃぼん「沢森TSUBAKI」←多分誰も読めないから雰囲気で刻印した。
高級しゃぼん「沢森NATTA-NE」以下同じ。
普段使いしゃぼん「沢森GEIYU-NE」
超お買い得しゃぼん「沢森IWASHIN」
超高級鉛筆「沢森ENPI-TSU」(近日商品化!)
詰め合わせを祝いの品として献上した。
俺の他には父が一緒にいる。
小佐々領程度の距離なら出歩いても問題ないらしい。
激しい運動さえしなければ、酒も飲んでいいし、特に禁止されている食べ物もない。
小佐々様も去年の戦の事もふくめて、親父を労いたいらしかった。
酒を酌み交わしながら二人共笑顔だ。
親族衆としては嫡男の甚八純俊様、次男の甚五郎純吉様(34)、三男の次郎左衛門純定様(31)がいたが、四男の常陸介純久様(29)は体調を崩して席を外していた。
なんだろう、このイケメン感。これはもう、どうしようもない事なんだろうか?
自分だけは例外であって欲しくない、と切に願うのであった。
鳥越城の田川惣左衛門隆武様(42)、神浦城の大串小十郎正俊様(39)、など小佐々領南部の国人も来ていた。田川様も大串様も、どちらかと言うと水軍の頭領というよりは、地侍の様だった。
なんだか潮の匂いを感じない。そんなところ?
それぞれの家臣なども含めて20名程度の新年の宴だったが、途中で牡蠣の浦の海戦の話になった。
「しかしあれから、もう少しで一年経とうとしているのだな。」
「左様で。あれで松浦の我らに対する領土欲が明らかになった。」
「平九郎も初陣で大将首とは、わしも驚いたぞ。大したもんだ。」
「いえ、私などは。父が種子島で撃たれ、無我夢中でございました。」
なごやかな宴席が続く。
「おお、来たな舞よ。こっちへ来なさい。」
ん?誰だ?
「あいさつなさい。小佐々の譜代、沢森の若当主、平九郎殿だ。」
見ると俺と同じ位の女の子が、少し照れながら、頭を下げて挨拶してきた。
「で、どうだ舞、平九郎殿は?」
は?はい?
「はい、とてもりりしく、でも、おやさしそうなお方にございます。」
と姫。
「うむ。そうであろうそうであろう。」
「なんだ舞、何を赤くなっているのだ?」
と父親の甚八様
「お祖父様もお父様も意地悪にございます。」
顔を赤くする。単に恥ずかしがり屋なのかなんなのか。
「どうだ、平九郎。うちの舞は?」
あははははははははは・・・・・・。
「は、とても可愛らしゅうございます。」
!!!そ、う、い、う、し、か、な、い、で、しょうが!!!
なんなんこれ、まあ、ゆくゆくは、ゆくゆくは、仕方ないとしても。も、だよ。
まだ早い、絶対早い。十年早い。無理、まじ無理むーりむり。
なんだパワハラか?同調圧力か?
ふと、親父を見る。
にやにや×10している。
はめやがったなああああああ!
(年賀の挨拶は、出なきゃ、仕方ないとしても、あんまりだよ。)




