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尼子家の苦悩と復興

 元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城 酉三つ刻(1800)


 ■別所家中


「叔父上、やはり中将様はひとかどの人物ですね。くぐってきた修羅場もそうであるし、話も飽きぬ。なにより、戦を好まぬ姿は好きです」


 別所長治は叔父で一門、家老の別所重宗に対して本音を吐露する。


「仰せの通りですな。われらは織田と親しいゆえ、中将様の覚えもよろしかろうと存じます」


 播州美作と備前の三国騒乱では、親織田だった別所家は気楽に構えている。


「われら別所は蔵入地は少ない。配下の国人を無視して事を起こすことは出来ぬゆえ、助かったかもしれませぬ。加西、加東、美嚢郡の三郡でも十万と少しにござるからな」


「では、書状の通り、服属で異論はありませぬか?」


 長治は確認するように、聞いた。まだ若い、それゆえ自分の決断に不安が残るのだ。


「ございませぬ。家臣一同、殿のご判断に従うでしょう」


「わかりました」


 2人はにこやかに談笑を続ける。


 ■尼子家中


「鹿之助、中将様はそれがしと二つしか歳が変わらぬのに、なぜこのように違うのだろうか」


「殿、ご自身の器量を、いまある状況でのみ測ってはなりませぬ。今というのは過去の行いの結末にございますが、人一人の器量でのみ、決まるものではございませぬ」


 勝久は還俗したは良いが、一度毛利に兵を起こして敗れ、今また兵を起こそうとしてここにいる。自身が惨めに思えてきたのかもしれない。


 山中鹿之助は、我に七難八苦を与えたまえ、と願ったらしいが、普通の人ならそんな考えを起こす前に萎える。


「そうか、過去を嘆いても何も変わらないという事だな」


「左様にございます」


「では、こたびの会合で、われらはどうなるだろうか。鹿之助は助力を中将様にお願いしたというが、戦をしないならばどうなる? われらの旧領は、本領は戻ってこようか」


「殿、こたびは戦って奪い返したものにあらず、この上は提示されたものに納得するか否か、というだけにございます」


「どれほど戻ってくるだろうか?」


「わかりませぬ。中将様というお人は腹の底が見えませぬ。ただ、足る事を知らねばなりますまい」


「どういう事だ?」


「今は、にございます。まずは安定した足場を作りましょう。そして時期を待つのです。先の事は誰にもわかりませぬ」


 鹿之助はなおも続けた。


「一つ言えるのは、あせってせっかくの機を逃す事のないようにしなければなりません。殿はまだ若い、いかようにも挽回できまする」


 鹿之助のこの予言が、当たるや、否や。


 ■因幡山名(豊国)家中


「われらは、中将殿とはつきあいがない。ゆえにひいきもされず、蔑ろにもされないであろう。それは伯父上も同じはずである」


「左様にございます。われれらは因幡の守護とは言え、その権威によりてようやく家を保てている有り様にござれば、知多郡、高草郡は毛利派の武田高信に押えられておりまする」


 家臣の用瀬備前守は続ける。


 山名家は因幡と但馬に分裂しており、現在の但馬守護である祐豊が、一族統一を目指して因幡に攻め入り、統一して弟の豊定を送り込んでいた。


 ところが弟が死んだため自らの嫡男である棟豊を立てた。しかしその棟豊も18歳で亡くなり、祐豊の甥(豊定の遺児)である豊数が守護代となったのだ。


 しかし当時の因幡は独立を目指す国人勢力が八上郡、八東郡を中心に根強く、家中掌握もままならないうえに、豊数はこれらの勢力との争いに苦慮することになった。


 そんな中、永禄七年に豊数が亡くなり、弟の豊国が家督をついだのだ。


「今は、生き延びる事が肝要。強きにつき、機を見て動かねばならぬ」


「仰せの通りにございます」


「うむ、しかし毛利に服属しておる武田や南条はどうなるのであろうか? もはや隠してもわかるわ。毛利は小佐々の支配下のようなものではないか」


「毛利の体裁を考えて、中将様があえて詳しくは言わぬのでしょう。しかし、毛利としては屈辱的なはず」


「そうだな。まずは中将殿に近づき、武田や南条の動きには目を光らせておくのだぞ」


「ははあ」


 伯耆の南条、因幡の武田。いずれも毛利傘下の国人であるが、火種となるのであろうか。

 

 ■但馬山名(祐豊)家中


「まだまだ豊国は若い。わしがしかと、支えてやらねばならぬが、もう歳じゃ」


 山名祐豊は、会談に参加した大名の中では高齢である。名門山名家の威光を復活させようと、奮闘してきた歴史を刻む、はっきりとした皺が物語っている。


「殿、何を仰せになりますか。まだまだお若い。義親様は元服をなされておりますが、山名にはまだまだ殿が必要にございます」


 家老の垣屋光成は言う。お世辞ではない。


 斜陽の極みである四職の山名家を、なんとか保っているのは、祐豊の力に依るところが大きい。やはり、人なのだ。


 史実では、永禄十二年(1569年)に、尼子に対抗するために毛利から要請を受けた信長が、秀吉に命じて但馬を攻めている。しかし、今世ではそうではない。


 秀吉の軍勢を押しとどめ、苦戦させたおかげで、尼子は毛利に対して一時的にも優位に立つことができたのだ。


 その後、純正の調停で和議が成立している。


 小佐々と毛利は不可侵を結んではいたが、あくまで不可侵である。それにすでに関係は冷え切っていたのだ。文句を言われる筋合いはない。


 また、純正はこの会合について、大使館で信長に話していた。西国は、好きなようにする、的なものだ。但馬と播磨が境界線だが、丹波と摂津は微妙だ。


 しかし、信長がどう思おうが、西国での純正の影響力は、織田を凌いでいたのは事実である。


「それで、どうだ光成。おぬしの目から見た中将殿は」


「は、やはり当代きっての傑物かと存じまする。まずはここにいる諸将を、一堂に集めている事に意義がありまする。誰もそのような事は考えぬでしょうし、考えたとて出来ませぬ」


「その通りだ。それだけで推して知るべしであるし、信長と和議が結べたのも、中将殿の力によるもの。考えずとも、わしの答えはきまっておる」


 光成は静かにうなずいた。両山名家の思惑は違えど、純正に服属する方向で決まったのは間違いなかった。

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