永禄十一年度緊急戦略会議
永禄十一年 四月 小佐々城 小佐々弾正大弼純正
あまりにもいろんな事起きすぎ。胃が痛い。俺、18の頃、こんなストレスまじなかったのになあ。・・・閣僚級(評定衆)緊急戦略会議(評定)を開いた。
議題は次の通り。
・爆破犯
・島津の動き、琉球関連
・相良
・飲食店またはその他生活に密着した直販店
・京都問題、大使館、所司代問題
・大友問題
・石炭
・粘土
・コークス
・大砲
・造船
・レンガ
・燃料問題
・難民、人身売買問題
・etc
「それでは始めさせていただきます」。
静に直茂が始める。
「まず始めに、先日の爆破事件でございますが、情報省藤原どの、現在の進捗をお願いします」。
「はい。まずは犯人でございますが、残念ながら、いまだ証拠が見つかっておらず、特定にはいたっておりません。捜査中です」。
一同、ざわつく。一月も経って犯人どころか証拠も見つかってないなんて。しかし、みんな思っているはずだ。しかけてくる可能性が一番高いのが誰なのか。
「もう、いいんじゃないの?」
出た。やっぱりいつも突破口を開く・・・いや、物議を醸すのはこいつだ。
深沢義太夫勝行。
「皆さま、ご承知の様に、証拠が出ていないのは事実。しかしながら我らに害をなす輩、われらに損を負わせ、力を弱める必要がある者は一人だけ。大友でござろう?」
・・・大友。
みな、わかってはいたが口に出さずにいた。一番われらを恨んでいて、攻撃したいが簡単には出来ない者。
「しかし、証拠もないのに決めつけるのは性急でござろう」。
尾和谷弥三郎が言い、庄兵衛も同意する。
「証拠証拠証拠、大義大義大義と。確かに大義も名分も必要にござる。とくにわが殿はおやさしいゆえ、こだわる。しかし、いまだかつて誰もが納得する大義などあったであろうか?一方の大義は一方の名分に反する物がほとんどではないか?いくさとは大義と大義の戦い。一方では大義でも、一方では難癖とも捉えられかねん。ゆえに・・・・。怪しきは、誅する。これしかございませぬ」。
勝行が説く。珍しく饒舌だ。すると、
「話が飛躍しすぎです。仮にそうだとしても、何を根拠に大友を犯人に仕立て上げるのです?」
太田利行が反論する。
「そんなもの、作ればよいのだ」。
それは乱暴だ!いや事ここにいたっては大友と一戦もやむなし!いや、まずは外交にて!しらばっくれるに決まっておろう!ではどうするのだ?・・・。
侃侃諤諤。議論が白熱する。
「あの・・・」。
内務省の八並舎人がボソリと言った。
「実は休暇明けの人間が、陸軍省の知り合いなのですが、休みに入る当日、午前中ですが、不審な女を見かけたと」
「なにい!?なぜもっと早く報告せんのだ!」
直属の上司、太田七郎左衛門が怒鳴る。
「申し訳ありません。不審といっても、報告するほどでもないと思い」。
舎人は(言わなければよかった)と思ったかもしれない。
「それで、どう不審なのだ?」
俺は直接聞いてみた。
「いえ、その日の朝警備中に、門の前で女がうずくまっているのを見たそうなんです」。
「それで、『大丈夫か?』と駆け寄ったら、よく聞こえなかったが、『大丈夫です。ちいとんずつようなりました。』と言って去っていたようなのです」。
『ちいとんずつ』・・・なんだそれは?
「殿、それは、豊後の方言ですね。『少しずつ』という意味です」。
!豊後?いや、別に怪しくはない。
「舎人よ。それだけでは別に怪しくはない。何が怪しいのだ?」
「いえ、その同僚いわく、きれいな女だったんで、休み前にもう一度探してみたら、居なかったようなのです」。
間者か?その間者にしてみれば、運良く休み前の人間が発見して、運良く休みに入って誰にも知られずに国外に出れたと?行方不明者だからといって、それだけで犯人にはできぬ。しかし事件直前に消えているとなれば・・・。
「千方よ。至急しらべよ」。
「はは!」
「それがしからもひとつ・・・」。
「なんじゃ」
早岐甚助が言う。
「流民なのですが、仕事に就いて働いていた者です。休暇で筑前に出かける、と言っていた者が、今日帰ってくるはずの者が数名おります。しかしまだ戻っておりません。出身が・・・」。
「どこだ?」
「薩摩です」
会議に出席している全員が驚いたようだ。薩摩か・・・。しかしまだ断定はできぬし、薩摩が直接われらに攻撃を加える理由がない。領地も接しておらぬ。大友なのか薩摩なのか?どっちなのだ?
これだけで半日が過ぎた。山積みの議題は、次回へと持ち越しとなった。