宮の村道中 後藤惟明
同年十二月 有馬・大村陣中
なんだと??
そう伝令に聞き返したのは大村純忠である。
「西郷純堯が三城城へ攻め入り、深堀純賢が鶴城に攻めかかっただと?!有りえん!」
まったくあり得ない話ではない。
それまでも決して、(義理の)兄弟仲が良いというわけではなかったが、純忠のキリスト教入信が決定打になっていた。熱心な仏教徒である純堯は、どうにかして純忠に打撃を与えようと、虎視眈々と時期を見計らっていたのだ。
「申し上げます!後藤惟明、兵千五百にて宮の村に進撃中にございます!」
「なに!?後藤もか?しかも西郷・深堀と同時とは・・・なんたる・・・!」
「兄上!申し訳ござらん。こたびの戦、加勢できませぬ。領内が危ういようでは統治もままならず、帰る他ありませぬ!」
「謝らずとも良い。当然の事だ。しかし、後藤・西郷・深堀と三方からでは厳しいであろう。小佐々に援軍を頼んではどうだ?水軍もあるし、南風崎には砦の兵も詰めておるであろうからな。」
「小佐々の本拠から鶴城に、そして南風崎の砦から宮の村に向かわせれば、そなたは三城城の西郷のみで済む。」
「はい、その様にいたします。それでは、御免!」
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宮の村への道中 後藤惟明
「簡単にできる?その方でもできるだろう?何をバカな事を!できないとわかって言っておるのではないか!」
後藤氏の居城武雄城から大村領・宮の村までは、二通りの道のりがある。一つは波佐見村を通って、大村領の川棚村を抜ける道。もう一つは有田から佐世保の有福、廣田を抜けて南下する道である。
川棚を通った方が早いが、いずれにしても小佐々の勢力圏を通らねばならない。
「去年純種が謀反を起こした時は、波佐見の内海・福田が連合して有田に攻め入っているときだったから容易に突破できたのだ。」
「それにもう一方の有田にしても、その時はまだ独立した勢力だった。硬軟織り交ぜた外交にて、調略かなったであろう。しかし、だ!今は完全に小佐々の勢力下ではないか!」
「どちらにしても、激戦はさけられぬ。義父上は私に死ねといっているのか?いや、死ねたら幸い。死なずに帰ったとしても、何も出来ない無能者呼ばわりされるのは、目に見えておるの。」
神六村を越え、波佐見の領内に入ろうかとしているときであった。馬上のふたつの人影をみつけた。あたりには伏兵の気配はない。注意深く観察していると、見知った顔であった。
昨年宮の村攻めで戦った、内海政道と福田丹波である。
「これはこれは、弥二郎殿ではござらぬか。何をしておいでで?」
敵意丸出し、という訳ではない。妙に落ち着いている。
「見ればわかるであろう?それともここで死にたいのか?」
「それはこちらのせりふにございます。まさか、川棚を抜けて宮の村を攻めるおつもりで?止めておきなされ。・・・勝てませぬぞ。小佐々は強い。それに・・・。」
そう言って、書状を渡してくる。
「よくお読みになって、よくよく考えてくだされ。何が自分にとって、家族にとって最善なのかを。」
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確かに、私が、私の家族が生き延びるには、これしか道がないようだ。