熱いもの
「あら。遅かったわね」
ステージの横まで来た香里奈を、見つけたティアは、嫌みぽく微笑んだ。
ティアの後ろを、バンドのメンバーが通る。
ステージへと向かうのだ。
その中に、KKがいた。
虚ろな瞳の癖に、なぜかギラギラしていた。
香里奈は、KKの横顔を見送った。
「あなたは、途中で参加したらいい。あなたの好きな曲を、歌ったらいいわ。彼らは、何でも合わしてくれるから」
会場は、拍手とブーイングが激しかった。
ティアは、笑いが止まらない。
「こういうバカな観客の方が、壊れやすい」
KKは、観客の反応はお構いなしに、
サックスをくわえた。
音が溢れ出た瞬間、
会場が揺れた。
KKのサックスが、次々にフレーズを叩き込む。
ブーイングしていた観客の何人かが、いきなり奇声を上げると、
拍手をしていた賛成派に、殴りかかった。
少し混乱するオーディエンス。
周りの興奮状態を、目の当たりにし、
唖然とする香里奈。
「どうして…」
ティアは、鼻を鳴らすと、
香里奈を見、
「さすが娘ね…。この音を聴いても、何ともないなんて」
ティアや、他のコンサートスタッフは、特殊な耳栓をしていた。
でないと、狂いそうだ。
「それとも…」
ティアは、香里奈を見つめ、
「これを聴いて、何も感じない奴は…音楽に対する感性がないか…本当のバカか…」
香里奈は、ステージの袖から、じっと観客席を見ていた。
暴れる人。
泣く人。
頭を抱え、うずくまる人。
ただ魅せられる人。
そして、
時がたつとともに、
涎をたらし、倒れ込んでいく。
「こんなの…」
香里奈は、ティアの方を向いて、
「音楽じゃない!」
ティアを睨んだ。
ティアは、ニヤリと笑い、
「これも音楽よ。音楽は人を興奮させ、狂わせるもの」
「ちがう!もっと楽しくて、感動するものよ」
ティアはせせら笑い、
「浅い音楽しか、聴いたことがないのね」
「浅くなんてない!少なくても、志乃ちゃんの音楽は、みんなを幸せにしていた!」
香里奈は叫んだ。
「志乃…」
ティアは眉をひそめ、
少し考えて、
「ああ…あの壊れた人形ね…忘れてたわ」
「壊れた人形…」
「そうよ。ろくに使えない…人形」
「志乃ちゃんを…ひどい」
「ひどい?」
ティアは、大声で笑った。
「あんな程度の歌しか歌えない…使い捨ての流行り歌手…人形で十分よ!時期が過ぎたら、捨てるだけ。何日かしたら、新しいお人形が、歌手として発売されるわ。それを、みんなが買うだけ。壊れた…古い人形は、捨てるだけよ」
「ちがう!人形なんかじゃない!」
香里奈は、ティアに詰め寄った。
「みんな歌が好きで、ただ歌って…自分の気持ちを、伝えたり…みんなの気持ちを代弁したり、落ち込んだ時、元気になるように…歌ってるの!」
「詭弁ね」
ティアは、観客席に視線を移し、
「大部分は、ただ有名になって、金がほしいだけよ。ビジネスよ。この世の中すべては、お金で動いてるのよ」
香里奈は、ティアをじっと見据え、
「じゃあ。あなたは何の為に、音楽に関わっているんですか?」
「あたし?」
ティアは、香里奈を見ずに、
「あたしは、すべてを壊すため…さっきのあなたみたいに、綺麗事をいうバカなやつらを…壊すこと」
「壊す…」
「音楽に関わってるやつは…みんな、嫌いなの」
ティアは、香里奈に視線を移し、
「だから」
ティアは、香里奈に微笑みかけ、
「あなたも、大嫌いなの」
クスクスと笑った。
「さあ!さっさと行きなさいよ。あなたの好きな音楽と…父親のもとに」
「あなたは間違ってる」
香里奈は、ステージに歩き出す。
「間違ってる?あたしがあ」
香里奈は振り返り、
「間違ってないかもしれない…でも」
香里奈は、前を向いた。
「それが、すべてじゃない」
眩しいほどの照明が、
まるで太陽のように、降り注いでいる。
香里奈の登場とともに、演奏が終わる。
観客は驚き、
まずはKKを見、
次にステージに上がった香里奈に、目がいった。
香里奈は学校帰り…
場違いの制服のままだ。
アリーナから、2階、3階まで満席だ。
圧倒的な人の迫力に、
押しつぶされそうになる。
拳を握り締め、
香里奈は、久しぶりに、マイクの前に立った。
大きく息をする。
人々の視線がすべて、香里奈に向く。
「曲は?」
ギターを抱えた大輔が、香里奈に近づき、耳打ちした。
香里奈は、呟いた。
「リトル・ドリーム・…」
志乃の初期の曲であり、
彼女が初めて…歌詞を書いた曲だった。
「OK」
ぶっきらぼうに、大輔は頷いた。
ギターのカッティングから、
曲が始まる。
香里奈はさらに、
拳をぎゅと握り締めた。
空港に降り立った明日香。
やっと…日本に戻ってきた。
荷物を受け取る時間も、もどかしい。
急いで、手続きを済ませると、
明日香は、携帯の電源を入れた。
「もしもし…里美。今、日本に着いたわ」
タクシー乗り場に、向かいながら、
「香里奈はどうなったの?」
タクシー乗り場は、混んでいた。
少しいらつく。
「コンサートに行ったって!」
タクシーの数は多い。
次々に、乗り込んでいく。
「どうして、止めなかったのよ」
やっと明日香の番が来た。
「あの子が、勝手に行ったって!?」
タクシーが前に止まり、ドアが開いた。
乗り込んだ明日香。
「イエローホールまで」
運転手に、行き先を告げる。
「え?」
動き出したタクシーの中、
明日香は、驚きの声を上げた。
曲のイントロを聴きながら…。
この曲は、イントロが長い。
志乃が、観客を煽る姿が、香里奈の脳裏に浮かんだ。
KKがサックスに、口を付ける。
香里奈は、マイクから離れた。
歌が、始まるはずだった。
「このおおお!」
香里奈は、叫びながら、KKに近づく。
そして…
マイクは、サックスや歌をひろうはずだったが、
もの凄い雑音を会場に、響かせた。
サックスが、ステージの床に転がり、
KKは倒れていた。
「あんた…何やってるんだよ!」
激しく肩で息をしながら、香里奈は叫んだ。
拳を握り締めたまま。
会場内、
すべてが凍り付いた。
誰もが、今…目にしたことが、信じられなかった。
突然現れた…新しいボカールらしい学生が…
ステージ上で、
いきなり走りだして、
思い切り、殴ったのだ。
バンドメンバーを…。
信じられない出来事に、
演奏は止まり、
会場は、静まり返った。
「演奏が止まった…」
アリーナ席に出た直樹と和也は、静まり返った会場に驚いた。
「速水さん…」
直樹は、ステージ上にいる香里奈の姿を認めた。
直樹は再び、関係者用の通路に戻った。
「直樹!」
和也は、直樹の後を追った。
香里奈は、激しく肩で息をしながら、
「あんた…何やってんだよ!…これが、音楽家のやることかあ!」
香里奈は、KKに近づこうとした。
「何やってるの!あの娘を捕まえて!」
ステージの袖から、ティアが叫んだ。
その声がスイッチとなり、
再び観客が騒ぎ出す。
ステージに、カードマンが何人か上がってくる。
香里奈を、捕まえる。
「離せ!話があるんだ!」
香里奈は無理やり、ステージから降ろされる。
「どうして!死んだふりなんかしてたあ!」
二人に、羽交い締めにされながら、
香里奈は、連れて行かれる。
観客から、凄まじいブーイングが飛ぶ。
ステージに、いろんな物が投げられる。
「帰れ!」
「引っ込め」
野次に向かって、香里奈は叫ぶ。
「これは、親子の問題だ!あなたたちには、関係ない!」
ステージから、消える前、
香里奈は絶叫する。
「男だったら、逃げるな!」
観客席は、収拾がつかなくなった。
ただ狂ったように騒ぐ。
無法地帯になった。
「あんた、何てことを!」
ティアは、香里奈に平手打ちを喰らわした。
「コンサートが、むちゃくちゃだわ」
香里奈は、羽交い締めにされながらも、ティアを睨んだ。
ティアはもう一度、平手打ちを喰らわそうとした。
香里奈は、目を逸らさない。
ティアは、手を振り上げた。
その瞬間。
「香里奈さん!」
直樹が、その場に飛び込んで来た。
直樹は、香里奈を捕まえているカードマンに体当たりをし、殴り倒した。
「何?」
ティアたちが、呆気にとられている間に、
直樹は、カードマンから、香里奈を引き離した。
「直樹!避けろ!」
ステージ袖の控え室に、和也も飛び込んできた。
手には、通路に置いてあった消火器を持って。
和也は、ティアたちに向かって、ノズルを引いた。
白い液体が、煙となって、周りを包む。
「和也!」
「行くぞ!」
直樹は、香里奈の手を引いて走る。
和也は、消火器を置くと、二人の後を追う。
通路にある消防ベルを片っ端から、押しながら、
置いてある消火器を次々に、ノイズを開けていく。
ベルの音と、白い煙がアリーナに流れてくると、
観客は、パニックに陥った。
「あいつらを捕まえて!」
ティアが叫ぶ。
ジャックが、控え室に入ってくる。
「何があった?会場が、パニックになっているぞ」
「そんなのは、KKが吹けば収まるわ!」
ジャックは肩をすくめ、
「吹いたらな…」
ティアはステージを見た。
KKがいない。
驚くティア。
「もうサックスを持って…向こうから、降りたぜ」
ガードマンの一人が、控え室に入ってきて、
「駄目です!観客が、そこら中で暴れていて、捕まえることができません」
ティアは、そこに置いてあった機材を蹴飛ばすと、
ジャックの方を向いて、
「まあいいわ…」
ティアは、観客席を見た。
暴動に近い。
「不審者を簡単にいれ…このようなパニックになったのは、会場のセキュリティーに問題があった…と発表して」
ティアは、観客席を見つめながら、
「まあ…いいわ」
ジャックは隣に立ち、
「いいのか?」
ティアは笑い、
「こんな素敵なものを見れたんだから…」
ジャックは、肩をすくめた。
「素敵ね…」
「できれば、みんな壊してほしいわ」
ティアはしばらく、パニック状態の観客を眺めていた。
「すごいことに、なってるぞ」
一般の出口から、出た香里奈たちは、会場を振り返った。
逃げ出す人々は少なく、
ほとんどが、会場で暴れている。
「あの音を聴いて、おかしくなってるんだ。仕方がない」
和也は、少しかかった粉を払う。
遠くから、サイレンの音が聞こえてきた。
「警察か…行くぞ」
和也と直樹は、地下鉄の階段向かって走ろうとする。
「速水さん…」
香里奈は足を止め、会場を見上げていた。
「速水さん!」
直樹が叫ぶ。
「急げ!」
直樹は、香里奈に走り寄り、再び手を取った。
香里奈は、会場を振り返りながら、走り出す。
地下鉄の階段を、降りきった頃、
サイレンは、近くで止まった。
警察が着いたのだ。
香里奈たちは、改札を通った。
その場を離れる為に。
タクシーに乗り込んだ瞬間、
里美から、イエローホールの一件を説明された明日香は、
行き先を変えた。
「まったく…誰に似たんだか…」
明日香は、カウンターに座りながら、
ワイルドターキーをロックで飲んでいた。
「さっき、香里奈から電話があった…無事みたい。飯田くんといっしょだし、大丈夫だわ」
里美が、カウンターの奥から出てきた。
ダブルケイ。
久々に、明日香は里美と2人でいた。
和恵は、もう2階で寝ていた。
明日香は、ワイルドターキーの入ったグラスを、里美に手渡した。
里美は受け取り、
「さっきの話…」
里美は、明日香の前に立ち、
「あたしに、影響されたと言いたいわけ?」
明日香はクスッと笑うと、一口飲んだ。
「それにしても…ステージで、啓介さんを殴るなんて…」
里美も一口飲む。
苦さに、少し顔をしかめる。
「やっぱり…あたしに似てないわ」
明日香は、グラスを傾ける。
「何よ。あんた、この前…暴漢をやっつけてたじゃない」
里美が睨む。
「あれは護身…粗暴とはちがうわ」
「どうせ、あたしは粗暴ですよ。確かに、香里奈は…昔のあたしに似てるところが……影響を与えたのかしら…」
里美はため息とともに、また一口飲んだ。
「里美…」
明日香は、グラスを置いた。
「何…?」
明日香は、里美を見つめ、
「ありがとう。里美には、感謝してるわ」
明日香の言葉に、里美は目を丸くし、
顔を真っ赤にした。
「何よ…いきなり…」
「あんたがいるから…あたしは、この店を留守にできる。香里奈を任せて、安心できる」
「ばかあ」
里美は、カウンターにもたれ、
「あたしも、ここにいるから…幸せなのよ」
「里美…」
「あんたは、世界中のファンの為に、音楽で幸せを与え…あたしは、香里奈といっしょに暮らすことで、女として、血はつながってないけど…母親の幸せを得ているわ」
里美は、明日香を小突き、
「お互いさまよ」
明日香は微笑み、
「もう一杯飲む?」
グラスを突き出した。
「あたしは、他のやつを飲むわ」
里美は顔をしかめた。
それを見て、明日香は笑い、
里美も笑った。
新しいグラスで、
二人は乾杯した。