親子
直樹が携帯を置くと、
すぐにまた、携帯が鳴った。
直樹は電話に出た。
「直樹」
相手は、和也だった。
「和也」
「話がある。お前には悪いんだけど…」
直樹は微笑み、
「帰ってくるんだろ。この家に」
「直樹!?」
「わかってたよ。お前が、帰ってくることは…」
直樹の言うことに驚き、
戸惑う和也。
「べ、べつに、出ていけというわけじゃなくて…」
「わかってるよ。部屋はあるし、大丈夫だ。お前とおばさんが、いつでも戻れるようにしていたしな」
「それで、一階を綺麗にしてたのか!」
和也は、思わず声を荒げた。
「食材とかは、ないけど…やる気だったら、いつでも開けれるよ」
「直樹…」
「言ってなかったけど…たまに、何人か昔のお客さんが、訪ねてくるんだぜ」
「そうなのか…」
和也は、感慨深いものを感じていた。
「いつ戻ってくるんだ?」
「明日、明後日には…」
「そうか…待ってるよ」
「お前の都合はいいのか?」
「ああ。明日は、少し出かけるけど…速水さんと…ちょっと…」
「速水」
和也はつぶやいた。
少し間をおいて、
和也は、直樹に話し始めた。
「直樹。あの子を、守ってやってくれ」
いきなり、和也の声のトーンが変わったから、
直樹は、少し驚きながら、
「うん。わかってる」
「実は…俺とあの子は、親戚なんだ」
「ええ!」
その言葉には、
直樹も思わず、声を上げた。
「俺の母さんの兄さん…時祭会長の娘が…速水明日香」
「会長の娘さん!?」
「明日香さんの娘が、速水香里奈…なんだ」
「そうだったのか!」
直樹の驚きの声を、かき消すように、
和也は、真剣な強い口調で話す。
「彼女は、いろんな陰謀に巻き込まれそうになっている。俺は、何もできなかった…。だけど、お前ならできる。彼女を、守ってやってくれ」
「心配するな!絶対守るよ」
直樹の強い口調に、和也は携帯越しに頷いた。
「ありがとう」
和也は、礼を言った。
それは、血のつながった者たちが…これ以上、不幸になってほしくなかったから。
時祭という大企業の都合に、これ以上、
誰も、不幸になってほしくなかった。
和也は、直樹なら香里奈を守れると、信じていた。
次の日、
小さな荷物を持って、律子と和也は、久々に戻ってきた。
我が家に。
荷物を置き、カウンターに座った律子は、しばらくは……ただじっと店内を眺めていた。
和也は、そのそばで、律子を見守っていた。
どれくらい時がたっただろうか…。
じっと座って、動かない律子の目に涙が流れた。
「母さん…」
「ここは…変わってないのね。まるで、時が止まってるみたい」
律子は立ち上がり、カウンターの中を見た。
「綺麗にしてある…」
「直樹が、いつも掃除してくれていたみたいだ」
「そう」
律子は微笑み、店内を歩き出した。
「ちっとも変わってない…」
「ああ。変わってないよ」
「お父さんが、待っててくれたのかしら…」
「ああ…待ってたんだよ」
「和也」
律子は、和也を見た。
「お母さん…やってみようかしら」
律子は微笑み、
「お店を」
「そうだよ。やった方がいい」
和也は、頷いた。
「もう何年もやってないから…ちょっと準備に、時間がかるかも」
「手伝うよ」
和也は嬉しかった。
母の笑顔を見るのは、何年ぶりだろう。
この笑顔があれば、何でもできる気がした。
授業が終わり、
香里奈は、大急ぎで教室を飛び出した。
「香里奈ちゃん!」
祥子が呼び止めた。
「どこいくんだ?」
いつのまにか、恵美が香里奈の前にいた。
「お前。朝から、様子がおかしかったぞ」
「そ、そうかな…」
香里奈は、目をそらした。
「今日、コンサートあるわよね」
里緒菜が、徐に席を立った。
そして、香里奈の前まで歩いてきて、がっと香里奈の腕をつかむと、
そのまま、連れて行く。
「ちょ、ちょっとお!」
反対側を、恵美がしっかりカードする。
香里奈は、拉致された。
その様子を見ていた直樹は、彼女たちの後を追った。
香里奈が、連れていかれたのは、いつもの屋上だった。
「香里奈!あんた、何か隠してるでしょ?」
里緒菜が、詰め寄った。
「べ、別に…」
香里奈はまた、目をそらす。
「あんたは、態度に出やすいの」
恵美も詰め寄る。
香里奈は後ずさる。
「べ、別に…何でもないよ…」
「香里奈!」
里緒菜が凄んだ。
「速水さんは、コンサートに呼ばれてるだ」
屋上の扉を開け、直樹が入ってきた。
「ナオくん…」
里緒菜が、つぶやいた。
「あんたには、関係ない!これは、あたしたちの問題だ!」
恵美が叫んだ。
「香里奈ちゃん!コンサートなんて、行く必要ないよ」
祥子が言った。
「行かなくちゃならないだ」
直樹の前に、里緒菜が立つ。
「どうして?」
直樹は、真っ直ぐ里緒菜を見据え、
「そこに、速水さんのお父さんがいるから…」
直樹の言葉に、
「ええーっ!」
恵美と祥子が声を上げた。
「香里奈ちゃんのお父さんって…死んだはずじゃ…」
「生きていた。だから、会いに行かなくちゃならない」
「香里奈!」
里緒菜が、香里奈の方を見た。
香里奈は、こくりと頷いた。
「多分、会場はマスコミなどで、すごいことになってると思う」
直樹は、香里奈と3人の間に入り、
「もし、その会場に、みんながついてきたら…みんなに、迷惑がかかるかもしれない。速水さんの友達だとわかったら、何をきかれるか…わからない」
「香里奈…」
恵美と祥子は、香里奈を見た。
「ごめんなさい…あたしもわからないんだ。どうなるのか…」
香里奈は、少しうなだれながら、話す。
里緒菜は、直樹の方を向いた。
「ナオくんは、ついていくんでしょ?」
直樹は頷き、
「会場の入り口まで…入れるところまでは」
里緒菜、はため息をつくと、
「わかったわ。いってらっしゃい!」
里緒菜は、出入り口の扉に歩き出す。
「里緒菜!」
香里奈が叫んだ。
里緒菜は立ち止まり、振り返った。
「もうとめない。だけど、ちゃんと明日は、学校に来て」
「うん!」
香里奈は頷いた。
「香里奈…本当に大丈夫か?」
恵美は心配げだ。
「携帯ずっと、握り締めてるから。何かあったら、すぐに電話してね」
祥子が…。
みんな、心配してくれている。
香里奈は、その気持ちを力にして、
頑張ることを誓った。
学校から、電車を乗り継ぎ、
イエローホールのある地下鉄の駅で降りた。
地上にでると、ものすごい人並みに、香里奈は驚いた。
こんな人混み…。
夏の花火大会以外、知らなかった。
「こっちだ」
直樹が示す方は、会場の裏口だった。
人混みは、香里奈を知らない。
ネットで、流出した写真は別人だったし、
直樹と二人でいる為、カップルで、コンサートを見に来たようにしか見えない。
広い会場の周りを探し回り、やっと香里奈たちは、
関係者用の通用口を見つけた。
二人は頷き合い、
通用口に近づく。
しかし、ガードマンが二人を止めた。
「何の用だ?」
「えっと、ぼくたちは…」
直樹が、何か言おうとしたとき、ガードマンは、香里奈の顔を覗き込んだ。
胸のポケットから、1枚の写真を取り出し、
香里奈の顔と、交互に見比べる。
香里奈が写真を見ると、
見たことのない自分の写真だった。
「失礼しました。どうぞお入りください」
香里奈は、ガードマンに促される。
ついていこうとする直樹は、止められた。
「ここからは、関係者以外は立ち入り禁止です」
冷たい言葉だった。
店内の電気を付け、カウンター内の食器をチェックしていた和也は、
奥の棚にあるテレビに、気づいた。
「まだつくのか?」
カウンターを出て、テレビの横に置いてあるリモコンを手にとり、電源を入れた。
「只今、会場の外は、大勢のファンが詰めかけています」
テレビはすぐについた。
「人気歌手、天城志乃さんの突然の引退…そして、新しいボーカリストの発表により、ファンの間では賛否両論が飛び交っています」
「コンサート…」
和也は、画面を見つめた。
「天城志乃さんが、所属するバンドはもともと、世界中で、有名なバンドでした…そこに天城さんが参加し、彼女は、有名になりました」
レポーターのバックには、志乃の写真を掲げ、
コンサートに反対しているファンの姿も、映っている。
「しかし、昔からのファンに言わせますと。天城さんいない今のバンドこそが、もともとの姿であると」
カメラが動き、会場の周りを映す。
LikeLoveYouと書かれたボードを持つものもいる。
「まだ未確認ですが…現在のメンバーには、今、世界中を騒がしている人が、参加しているという情報があります」
レポーターが、何かを受け取った。
「只今、入った情報によりますと、新しいボーカリストが、会場に入った模様です」
「繰り返します。たった今、新しいボーカリストが、会場入りした模様です!」
「速水…」
和也がつぶやいた。
「会場が今、開きました!人が、なだれ込んでいきます!」
「和也」
二階にいた律子が、降りて来た。
「直樹くんはまだ、帰って来ないのかい?」
和也は、テレビを消した。
「母さん…」
和也は、消えたテレビ画面を見つめ、
「ちょっと出かけるよ」
「どこにいくの?」
「直樹を、迎えに行ってくる」
和也はそう言うと、店を飛び出した。
走りながら、携帯をかける。
「あなたに、頼みがある!」
和也は、携帯に向かって叫んだ。
「何の用だ?お前とは、縁を切ったはずだ」
一人…会長室にいた光太郎は、窓の外を見ながら、電話を取った。
夕陽が沈み、夜が訪れる。
「あなたのお孫さんの話です!お孫さんを、助けたくはないですか!」
受話器の向こうで、和也が叫んだ。
「孫か…」
光太郎は苦笑すると、
目をつぶり、
「お前の…好きにしろ」
呟くように言うと、電話を切った。
少し間をあけて、
光太郎は、徐に受話器を取り、電話をかける。
「すいません…時祭ですが」
用件を一方的に、話すと、光太郎は、受話器を置いた。
再び窓に向かい、街並みを見下ろしながら、
胸ポケットから、写真を取り出した。
「千春…」
あどけない笑顔を見せる…
出会った頃の少女の女。
光太郎は、写真をまたポケットにしまうと、
「私たちの孫を、助けてやってくれ」
この窓の向こう、
遠く離れた場所にあるはずの、
会場を見つめた。
関係者専用入り口の前で、立ち尽くしていた直樹の携帯が鳴った。
「和也…何かあった?下の店は、よくわからないから…」
「そんなことは、後でいい!お前、今…速水といっしょか!」
和也の声が、荒げている。
走っているからだ。
「今、離された。俺は、関係者の通路に入れなかった」
「そこにいろ。動くなよ」
和也は、地下鉄の階段を上がると、
会場までの人混みをかき分けながら、走る。
もう開場しているはずだが、チケットを手に入れられない人が、大勢いるのだ。
「和也!」
人混みの向こうで、大きく手を振る直樹。
「直樹!」
和也は、全力で走る。
「どうしたんだ?こんなところまで…」
直樹の言葉を遮り、
「時間がない。行くぞ」
和也は、関係者専用出入り口の前にいるガードマンに、
「このコンサートのスポンサーをしている、時祭コーポレーションの者です」
和也は、まだ返していなかったIDカードを見せた。
「本社から、連絡がきているはずですが…」
ガードマンは訝しげに、入口にある電話をかけた。
しばらくして、
ニコニコした顔で、
「お二人様ですね。どうぞ、お入りください」
「いくぞ」
和也は、直樹に予備のIDカードを渡すと、中に促した。
「ああ…」
直樹が、出入り口に入った途端、
凄まじい歓声が上がった。
その歓声さえ、
切り裂くような…
サックスのブロウが轟いた。
「直樹!この音を聴くな。音を意識するな」
直樹は、体を震わした。
何か異質なものが…体に入ってくるような感覚。
「うわさではきいていたが…」
和也は、額の汗を拭った。
「これは…」
二人は、通路を歩きながら、
「音のドラッグ…と言われている」
「音のドラッグ…」
「欲望が強い者、心が病んでる者の…心を蝕むようだ」
「この音が…」
「普通の精神のやつは、すぐには、効かないらしい」
和也は、直樹に微笑み、
「お前は、大丈夫だよ」
「和也」
和也は直樹を見、
「俺も大丈夫だ…お前のおかげで」
「和也…」
「急ぐぞ」
二人は、ステージに向かって走った。